2024-12

2016・5・31(火)キリル・カラビッツ指揮読売日本交響楽団

      サントリーホール  7時

 こちらは定期ではなく、「名曲シリーズ」。
 ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、シベリウスの「ヴァイオリン協奏曲」(ソロはヴィクトリア・ムローヴァ)、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」(7曲)というプログラムが組まれていた。

 ウクライナ出身の若手カラビッツ、例のごとく読響をよく鳴らす。若さの爆発は、大いに結構であろう。
 ただ、「ローマの謝肉祭」は、威勢はいいけれどもどこか野暮ったさの残る、融通の利かぬ演奏で、これはどう贔屓目に見ても、快演とは言い難い。

 さらに首を傾げさせられたのはシベリウスの協奏曲で、くぐもった音色と重々しく物々しい表情でオーケストラを轟かせるところは、豪快というより豪怪(?)と言った方がいいような演奏であった。かつてロジェストヴェンスキーがこういう猛々しいシベリウスをやっていたことがあるし、旧ソ連圏内の指揮者であればこういう感性もあるのかな、とも思えるが、いずれにせよカラビッツの個性がそうなのであれば、それはそれでいいだろう。
 だが、ソリストのいる協奏曲の場合には、もう少し音楽の性格を考えてもらわないといけない。

 ムローヴァは、この曲ではポルタメントをも駆使したかなり濃艶な音楽づくりを聴かせてはいたが、こんなにオーケストラを怒号させる指揮者とは、どう見ても合うわけはないだろう。第3楽章など、これではコンチェルトになるまいと思うようなバランスであった。
 ただ、オーケストラが叙情的に響いていた第2楽章のみは、特に終結の部分をはじとして、「ムローヴァのシベリウス」の濃厚な美しさを味わえるものになっていたと思う。

 そして、ソロ・アンコールで弾かれたバッハのソナタの一節こそは、一転して、彼女の清澄で瑞々しい音楽の本領を発揮するものであった。シベリウスとバッハと、これだけスタイルを変えてアプローチするところは、流石ムローヴァ、というべきであろう。

 というわけで俊英カラビッツ、今日はここまでは何とも評価しかねるものがあったけれども、さすがに後半のプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」では、先日と同様、攻撃的な音楽づくりで、この作曲家のラディカルな面を浮き彫りにしてくれた。それは、プロコフィエフがソ連に帰国して保守回帰をしたように見えながら、若い頃からの「恐るべき子供」の性格を未だ失っていなかった、ということを語るような指揮だったのである(これはゲルギエフと一脈通じるものがある)。

 ただし、前半での演奏は、少々荒っぽいところもあった。むしろ最良の個所は、日下紗矢子をコンサートマスターとする読響の弦のしなやかさと瑞々しさが前面に出た叙情的な曲想において聴かれた、と言っていいだろう。そして最後の「ジュリエットの墓の前のロメオ」で、オーケストラはほぼ完璧にまとまり、良い仕上げを聴かせてくれた。
 アンコールで飛び出した同じプロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」の行進曲は、さらに豪壮華麗に弾んでいた。

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