2016・5・28(土)下野竜也指揮新日本フィルハーモニー交響楽団
すみだトリフォニーホール 2時
三善晃の「管弦楽のための協奏曲」、矢代秋雄の「ピアノ協奏曲」、黛敏郎の「涅槃交響曲」というプログラム。
いかにも下野竜也のコンサートらしい、意欲的で大胆な選曲だ。
協奏曲でのピアノ・ソロにはトーマス・ヘル、「涅槃」での合唱には東京藝術大学合唱団が協演した。コンサートマスターは豊嶋泰嗣。
これらは、1950年代後半から60年代にかけて作曲された力作である。私も当時、初演の時だったかどうか定かではないけれども、ステージや放送で聴いたことはある。だが、今回何十年ぶり(?)に聴いてみると、どれも実に新鮮で、当時はあまりピンと来なかった多くの大胆で精妙な音楽の手法が、鮮やかな形で心に迫って来るのを感じないではいられなかった。
それはもちろん、昔の私の理解力や感性の至らなさに原因があったのだろうが━━今だって甚だ怪しいものにすぎないが━━しかし、その他にも、日本のオーケストラの成長や、ホールのアコースティックの改良という要因もあるのではなかろうか? わが国作曲界の先達たちは、当時からもうこんなことをやっていたのだ━━という感嘆とともに、昔とは全く違った気分で、この3曲を堪能させてもらった次第だ。
これはもう、すっきりした明晰な響きの中に叙情美と力動感を交錯させ、起伏の大きな世界をつくった下野竜也の巧みな指揮のおかげである。
1964年に作曲された三善晃の「管弦楽のための協奏曲」は、彼の端整で洗練された作風を象徴している、と当時は評されていたようである。私たちも、そういうイメージで彼の音楽に接していた。だが改めて今、下野の指揮で聴き直してみると、この曲の中には、のちの70年代に三善が足を踏み入れて行った、劇的で激しい、しかも厳しい音楽の萌芽のようなものがすでに在ったのではないか、とさえ感じられたのだ。が、これはあくまで私個人が持った印象に過ぎない。
また矢代の「ピアノ協奏曲」のソリストには今回、リゲティの作品の演奏などで有名なトーマス・ハルが起用されたが、これも貴重なものだった。これは、昔この曲の演奏といえば必ず名前の出ていた中村紘子とは全く違うタイプの、極めてメリハリの強い、作品の構築性を明確に浮き出させるような演奏であり、曲についての新しいイメージを私たちに与えてくれたのである。人選の成功であろう。
「涅槃交響曲」では、ステージを埋めた大編成の管弦楽と、ほどほどの数(?)の合唱に加えて、客席1階の中央通路の上手側に木管、下手側に金管などのバンダを配置し━━といってもこれも結構な人数だったから、真ん中あたりまで拡がっていたようだ━━重厚な空間的拡がりを持つ和音を客席から響かせていた。
ただ、その音響的妙味を充分に嘆賞することができたのは、1階席前方席にいた聴衆だけだったろう。
いつも感じることなのだが、客席にバンダを配置する場合、演奏者の立ち位置からの感覚だけで決めるのではなく、いかに多くの聴衆にその効果を味わってもらえるにはどうしたらよいか、ということを、最大限に柔軟に考えて決めてほしいものである。洋の東西を問わず、金管群のファンファーレを聴衆の耳元で爆発させるような配置を数多く見るたびに、そう思う。
今回の「涅槃」では、バンダの音も柔らかく神秘的だったから、そういう弊害はなかったし、それに指揮者はじめオーケストラ、制作スタッフがいろいろテストを重ねた上で決めたという話だった。とはいえ結果としては、さらにもう一工夫あってもよかったのではないか、というのがわれわれ聴衆側の偽らざる感想なのである。だがそれはまた別の話。
この「涅槃交響曲」。もちろん演奏は良かったのだが、ただ、昔聴いた時に仰天させられたような一種の凄味が、今回はそれほどには感じられなかったかな、という印象だ。つまり、「綺麗だった」のだ。おそらくそれは、オケも合唱も「西欧的に」まとまり過ぎていたことが最大の要因だったのではなかろうか。この曲の本質たる、異様な、民族的な根元的な力の物凄さ━━といったものが、もっと噴出していてもよかったのではないか、と思う。
しかし、いい企画だった。
三善晃の「管弦楽のための協奏曲」、矢代秋雄の「ピアノ協奏曲」、黛敏郎の「涅槃交響曲」というプログラム。
いかにも下野竜也のコンサートらしい、意欲的で大胆な選曲だ。
協奏曲でのピアノ・ソロにはトーマス・ヘル、「涅槃」での合唱には東京藝術大学合唱団が協演した。コンサートマスターは豊嶋泰嗣。
これらは、1950年代後半から60年代にかけて作曲された力作である。私も当時、初演の時だったかどうか定かではないけれども、ステージや放送で聴いたことはある。だが、今回何十年ぶり(?)に聴いてみると、どれも実に新鮮で、当時はあまりピンと来なかった多くの大胆で精妙な音楽の手法が、鮮やかな形で心に迫って来るのを感じないではいられなかった。
それはもちろん、昔の私の理解力や感性の至らなさに原因があったのだろうが━━今だって甚だ怪しいものにすぎないが━━しかし、その他にも、日本のオーケストラの成長や、ホールのアコースティックの改良という要因もあるのではなかろうか? わが国作曲界の先達たちは、当時からもうこんなことをやっていたのだ━━という感嘆とともに、昔とは全く違った気分で、この3曲を堪能させてもらった次第だ。
これはもう、すっきりした明晰な響きの中に叙情美と力動感を交錯させ、起伏の大きな世界をつくった下野竜也の巧みな指揮のおかげである。
1964年に作曲された三善晃の「管弦楽のための協奏曲」は、彼の端整で洗練された作風を象徴している、と当時は評されていたようである。私たちも、そういうイメージで彼の音楽に接していた。だが改めて今、下野の指揮で聴き直してみると、この曲の中には、のちの70年代に三善が足を踏み入れて行った、劇的で激しい、しかも厳しい音楽の萌芽のようなものがすでに在ったのではないか、とさえ感じられたのだ。が、これはあくまで私個人が持った印象に過ぎない。
また矢代の「ピアノ協奏曲」のソリストには今回、リゲティの作品の演奏などで有名なトーマス・ハルが起用されたが、これも貴重なものだった。これは、昔この曲の演奏といえば必ず名前の出ていた中村紘子とは全く違うタイプの、極めてメリハリの強い、作品の構築性を明確に浮き出させるような演奏であり、曲についての新しいイメージを私たちに与えてくれたのである。人選の成功であろう。
「涅槃交響曲」では、ステージを埋めた大編成の管弦楽と、ほどほどの数(?)の合唱に加えて、客席1階の中央通路の上手側に木管、下手側に金管などのバンダを配置し━━といってもこれも結構な人数だったから、真ん中あたりまで拡がっていたようだ━━重厚な空間的拡がりを持つ和音を客席から響かせていた。
ただ、その音響的妙味を充分に嘆賞することができたのは、1階席前方席にいた聴衆だけだったろう。
いつも感じることなのだが、客席にバンダを配置する場合、演奏者の立ち位置からの感覚だけで決めるのではなく、いかに多くの聴衆にその効果を味わってもらえるにはどうしたらよいか、ということを、最大限に柔軟に考えて決めてほしいものである。洋の東西を問わず、金管群のファンファーレを聴衆の耳元で爆発させるような配置を数多く見るたびに、そう思う。
今回の「涅槃」では、バンダの音も柔らかく神秘的だったから、そういう弊害はなかったし、それに指揮者はじめオーケストラ、制作スタッフがいろいろテストを重ねた上で決めたという話だった。とはいえ結果としては、さらにもう一工夫あってもよかったのではないか、というのがわれわれ聴衆側の偽らざる感想なのである。だがそれはまた別の話。
この「涅槃交響曲」。もちろん演奏は良かったのだが、ただ、昔聴いた時に仰天させられたような一種の凄味が、今回はそれほどには感じられなかったかな、という印象だ。つまり、「綺麗だった」のだ。おそらくそれは、オケも合唱も「西欧的に」まとまり過ぎていたことが最大の要因だったのではなかろうか。この曲の本質たる、異様な、民族的な根元的な力の物凄さ━━といったものが、もっと噴出していてもよかったのではないか、と思う。
しかし、いい企画だった。
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