2016・5・24(火)キリル・カラビッツ指揮読売日本交響楽団
サントリーホール 7時
カラビッツの指揮を聴くのは、2010年5月のリヨン歌劇場と、同年秋の東響客演以来のことになるか。これほどのライジング・スターを6年間も聴く機会を持たなかったというのは、我ながら怠慢の極みである。
「これはいい指揮者だ」と感心させられたあの時のカラビッツは34歳だったが、久しぶりに聴いた彼は、その容姿にも、指揮にも、見違えるほど風格を増したようだ。
今日のプログラムは、プロコフィエフの交響的絵画「夢」と「交響曲第5番」と、その間にハチャトウリヤンの「フルート協奏曲」(ソロはエマニュエル・パユ)を入れた構成だった。いずれも豪壮華麗な色彩感と、重厚な力感と、鋭いリズムとにあふれた演奏で、そこではロシアやアルメニアの民族色が鮮やかに浮かび上がっていたのである。
ハチャトゥリヤンでは、この曲の管弦楽編成が持つギラギラした音色を強調し、作品における粗暴なほどの野性味を再現していた。この指揮はすこぶる巧妙なもので、読響(コンサートマスター小森谷巧)がまた見事にそれに応えていたことも、今日のハイライトの一つであったろう。
カラビッツは休憩後の「第5交響曲」でも、全編にわたり重厚な大音響を炸裂させ、「家鳴り震動」的な迫力を読響から引き出すとともに、随所に色合いの変化を持たせた設計の妙味を発揮していた。
この「5番」はすこぶるエキサイティングな演奏であった━━が、わずかに残った不満といえば、各楽章の主題を先導する1番クラリネットの音量がやや物足りなかったことと、全曲をあまりに轟々と鳴らし続けたためか、第4楽章最後の追い込みの個所が、それを上回るダメ押しの頂点となり得なかったこと、の2点であろうか。
協奏曲を吹いたエマニュエル・パユは、まさに超絶的な妙技を聴かせて、聴衆を熱狂させた。第1楽章など、原曲の「ヴァイオリン協奏曲」におけるソロ・ヴァイオリンをイメージしたような荒々しく異様な音色で開始した。その後も彼は、さまざまな音色の変化を駆使して、実に多彩かつ野性的な「フルート協奏曲」を構築してくれたのである。
私はこの「フルート版」をこれまでに何度か聴いて、一度たりとも面白いと思ったことはなかった(申し訳ないことながら、編曲者のランパルの演奏も含めてである)のだが、今回こそは認識を改めさせられた━━という次第である。
そしてパユは、アンコールに武満徹の「エア」を、こちらは一転して天国的な美しい音色で演奏、彼の芸域の幅広さを示してくれたのだった。
※コメントは、あまりに感情的な内容や口汚い個人攻撃は削除しておりますが、それ以外は、たとえ私への反対意見であっても、喜んで承認して公開しております。ここをみなさんの論争の場にすることも吝かではありません。
ただし、ここは路上の「自由書き込み所」ではなく、あくまで「私の家」であることをお忘れなく。ひとの家を訪れながら、一言の挨拶もなしに、いきなり自分の(しかも反対の)意見だけ言いたい放題まくし立てるのは、どうかと思いますよ。
カラビッツの指揮を聴くのは、2010年5月のリヨン歌劇場と、同年秋の東響客演以来のことになるか。これほどのライジング・スターを6年間も聴く機会を持たなかったというのは、我ながら怠慢の極みである。
「これはいい指揮者だ」と感心させられたあの時のカラビッツは34歳だったが、久しぶりに聴いた彼は、その容姿にも、指揮にも、見違えるほど風格を増したようだ。
今日のプログラムは、プロコフィエフの交響的絵画「夢」と「交響曲第5番」と、その間にハチャトウリヤンの「フルート協奏曲」(ソロはエマニュエル・パユ)を入れた構成だった。いずれも豪壮華麗な色彩感と、重厚な力感と、鋭いリズムとにあふれた演奏で、そこではロシアやアルメニアの民族色が鮮やかに浮かび上がっていたのである。
ハチャトゥリヤンでは、この曲の管弦楽編成が持つギラギラした音色を強調し、作品における粗暴なほどの野性味を再現していた。この指揮はすこぶる巧妙なもので、読響(コンサートマスター小森谷巧)がまた見事にそれに応えていたことも、今日のハイライトの一つであったろう。
カラビッツは休憩後の「第5交響曲」でも、全編にわたり重厚な大音響を炸裂させ、「家鳴り震動」的な迫力を読響から引き出すとともに、随所に色合いの変化を持たせた設計の妙味を発揮していた。
この「5番」はすこぶるエキサイティングな演奏であった━━が、わずかに残った不満といえば、各楽章の主題を先導する1番クラリネットの音量がやや物足りなかったことと、全曲をあまりに轟々と鳴らし続けたためか、第4楽章最後の追い込みの個所が、それを上回るダメ押しの頂点となり得なかったこと、の2点であろうか。
協奏曲を吹いたエマニュエル・パユは、まさに超絶的な妙技を聴かせて、聴衆を熱狂させた。第1楽章など、原曲の「ヴァイオリン協奏曲」におけるソロ・ヴァイオリンをイメージしたような荒々しく異様な音色で開始した。その後も彼は、さまざまな音色の変化を駆使して、実に多彩かつ野性的な「フルート協奏曲」を構築してくれたのである。
私はこの「フルート版」をこれまでに何度か聴いて、一度たりとも面白いと思ったことはなかった(申し訳ないことながら、編曲者のランパルの演奏も含めてである)のだが、今回こそは認識を改めさせられた━━という次第である。
そしてパユは、アンコールに武満徹の「エア」を、こちらは一転して天国的な美しい音色で演奏、彼の芸域の幅広さを示してくれたのだった。
※コメントは、あまりに感情的な内容や口汚い個人攻撃は削除しておりますが、それ以外は、たとえ私への反対意見であっても、喜んで承認して公開しております。ここをみなさんの論争の場にすることも吝かではありません。
ただし、ここは路上の「自由書き込み所」ではなく、あくまで「私の家」であることをお忘れなく。ひとの家を訪れながら、一言の挨拶もなしに、いきなり自分の(しかも反対の)意見だけ言いたい放題まくし立てるのは、どうかと思いますよ。
コメント
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お邪魔します。できましたらどういった内容のコメントだったのか拝見させて頂きたいのですが・・・。
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いつも楽しみに拝読しています。関西では拝聴できない演奏会を再現していただけるのはとても有り難いですし、東条先生のご意見ご感想は、演奏される方々にとって励みにもなっていると思います。せっかくの貴重な場ですのでどうか後味の悪くないやりとりで進みますよう切に願っております!
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