2016・5・21(土)アレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィル
サントリーホール 2時
日本フィルハーモニー交響楽団とその首席指揮者ラザレフのコンビは、ことロシア音楽の演奏に関するかぎり、現在のわが国のオーケストラ界では随一と言ってもいいかもしれない。
事実、今日のチャイコフスキーの「組曲第1番」と、ショスタコーヴィチの「交響曲第6番」の演奏などを聴くと、彼らがこの8年ほどの間に築き上げて来たものが最良の形で発揮されているように思えるのである。
チャイコフスキーの「第1組曲」とは、珍しい選曲だ。第4曲の「小行進曲」だけは単独で聴く機会があるが、組曲の全曲が演奏会で取り上げられることは、日本ではほとんど無いだろう。
今日の演奏では、特にこの行進曲が、木管楽器群の鮮やかな躍動で映えた。日本フィルの木管群━━特にフルートとオーボエの良さが光る。また全曲においても、分厚く底力のある低音、引き締まった音が展開され、かなりスケールの大きな、シンフォニックな演奏が聴けた。
ただ、やっぱりこの組曲は、あの「小行進曲」を除いては、あまり面白くない曲だ、というのが正直なところである。だが、聴かせてくれたことには感謝したい。
ショスタコーヴィチの「6番」の方は、これまでのラザレフと日本フィルの演奏の中でも、屈指の快演と言っていい。
冒頭の低弦の響きからして強靭な意志力が漲っているし、特にその第1楽章では、神秘的な緊張感にも事欠かない。ホールを揺るがせんばかりの大音響は相変わらずだが、それが決してヒステリックな絶叫にならず、完璧な均衡を備えたエネルギーとなって突進するのが素晴らしい。ラザレフは、この少し軽く見られることの多い「6番」の中にも、前後の交響曲群と共通した巨大性を見出し、それを再現しようとしていたのだろう。
音楽がティンパニの豪打の中に終結へ殺到して行くと、聴衆も堪えていられなかったらしく、最後の和音から間髪をおかずに拍手とブラヴォーが炸裂したのだった。
これは、これまで聴いた「6番」の中でも、最も密度の濃い演奏だったと言っても誇張ではないだろう。木野雅之をコンサートマスターとした今日の日本フィルの演奏をも讃えたい。
3時35分終演。プログラムは短かめだったが、中身はぎっしり詰まっていたので、これで充分という感じがする。
日本フィルハーモニー交響楽団とその首席指揮者ラザレフのコンビは、ことロシア音楽の演奏に関するかぎり、現在のわが国のオーケストラ界では随一と言ってもいいかもしれない。
事実、今日のチャイコフスキーの「組曲第1番」と、ショスタコーヴィチの「交響曲第6番」の演奏などを聴くと、彼らがこの8年ほどの間に築き上げて来たものが最良の形で発揮されているように思えるのである。
チャイコフスキーの「第1組曲」とは、珍しい選曲だ。第4曲の「小行進曲」だけは単独で聴く機会があるが、組曲の全曲が演奏会で取り上げられることは、日本ではほとんど無いだろう。
今日の演奏では、特にこの行進曲が、木管楽器群の鮮やかな躍動で映えた。日本フィルの木管群━━特にフルートとオーボエの良さが光る。また全曲においても、分厚く底力のある低音、引き締まった音が展開され、かなりスケールの大きな、シンフォニックな演奏が聴けた。
ただ、やっぱりこの組曲は、あの「小行進曲」を除いては、あまり面白くない曲だ、というのが正直なところである。だが、聴かせてくれたことには感謝したい。
ショスタコーヴィチの「6番」の方は、これまでのラザレフと日本フィルの演奏の中でも、屈指の快演と言っていい。
冒頭の低弦の響きからして強靭な意志力が漲っているし、特にその第1楽章では、神秘的な緊張感にも事欠かない。ホールを揺るがせんばかりの大音響は相変わらずだが、それが決してヒステリックな絶叫にならず、完璧な均衡を備えたエネルギーとなって突進するのが素晴らしい。ラザレフは、この少し軽く見られることの多い「6番」の中にも、前後の交響曲群と共通した巨大性を見出し、それを再現しようとしていたのだろう。
音楽がティンパニの豪打の中に終結へ殺到して行くと、聴衆も堪えていられなかったらしく、最後の和音から間髪をおかずに拍手とブラヴォーが炸裂したのだった。
これは、これまで聴いた「6番」の中でも、最も密度の濃い演奏だったと言っても誇張ではないだろう。木野雅之をコンサートマスターとした今日の日本フィルの演奏をも讃えたい。
3時35分終演。プログラムは短かめだったが、中身はぎっしり詰まっていたので、これで充分という感じがする。
コメント
聴きたかったです・・・。東条さんのお聴きになられた2日目は仕事での折り合いがつかず断念。初日は、同時に(最近、私が贔屓にしている)K・ウルバンスキが大阪フィルで得意のルトスワフスキの「オケ・コン」を指揮するために究極の選択を迫られ(以前、東響で演奏した時は聴き逃しているだけに)、当日の昼まで悩みぬいた挙げ句、大阪へ向かったのでした。・・・これがまた信じられない程、美しい演奏で、特に1曲目のチャイコ「ロメ・ジュリ」、序奏部分はラヴェル「道化師の朝の歌」中間部を思わせるジンワリとした退廃的な雰囲気で、第2主題は「亡き王女のためのパヴァーヌ」のようでした。ルトスワ「オケ・コン」でも燦然と輝く明晰な音のシャワーに恍惚とさせられ選択は間違ってなかったと確信できましたが、“日記”を読んでしまいますと、(4、8、11番は聴いているので)凄さが容易に想像できてしまい、さすがに少々悔しい・・・。
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