2024-12

2016・5・11(水)サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル 初日

      サントリーホール  7時

 ラトルとベルリン・フィルにとっての、これが最後のベートーヴェン交響曲ツィクルスになる由。今日は第1夜で、「第1番」と「第3番《英雄》」。

 思えばこの同じサントリーホールで、ラトルがウィーン・フィルを指揮した、プログラムも同じ「1番」と「英雄」を聴いたのは、もう15年も前になる━━まだほんの昨日のことのような気もするが。
 あの頃は、ラトルも「尖った」指揮で、「英雄」など表現主義的な激烈さがあり、各パートの音のぶつかり合いが、ベートーヴェンの革命的な手法を強く感じさせたものだった。
 だが、その頃に比べると、ラトルの指揮も、随分丸くなったようである。

 ベルリン・フィルの音も、ラトルのシェフ就任前後の演奏(たとえばベルリンで聴いた「第9」など)と比べると、かなり柔らかく感じられてしまう。1階席後方で聴いた限りでは、弦(「1番」は10型、「英雄」は12型)が前面に浮かび上がり、管は後方に溶け合って響き、全体に飽和した音で、良くも悪くも安定した演奏という印象である。もっとも、昨年彼らが録音した同じ曲のCDを聴いてみても、やはり似たような特徴が示されているから、今日だけの特徴でもなさそうだ。

 だが・・・・それにしても、今日の演奏は、単に響きの問題だけでなく、演奏のアプローチそのものも、随分おとなしく、温厚で、「物わかりのいい」ものになってしまっていたように思う。ベートーヴェンの革命的で攻撃的な手法もかなり薄められ、特に「1番」など、むしろ優雅な手すさびのような雰囲気さえ感じられてしまったというのは極端な見方か?
 このホールの1階中央やや後方では音が拡散して聞こえるという癖もあるので、あるいはその影響かもしれないが。「英雄」も、全部が全部そうというわけではないが、淡彩な演奏に感じられる。

 樫本大進をコンサートマスターとするオーケストラは、相変わらずいい音だが、いわゆるスーパー・オーケストラのイメージは、些か薄れたか。
 特に今日はホルン群のバランスが悪いのが気になった。1番奏者は不思議におとなしいし、一方3番奏者の音は何故か荒っぽくて強く、第3楽章トリオでのあのホルン3本のファンファーレの音も、甚だアンバランスだ。リピートの際には1番奏者の音も少し明確になったところをみると、旅の疲れか、ノッていなかったのか?

 オケも人間の集団だから、日によって演奏が違い、出来不出来もあることは当然ではあるものの、これはあまりベルリン・フィルには似合わぬバランスではある━━。とはいえ、いずれにせよ、今日の演奏だけで云々するべきではなかろう。

 ラトルはまだ61歳、丸くなるのは早すぎる。あの15年前の鮮烈な演奏が懐かしく思い出された次第である。

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