2016・4・9(土)ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団
東京オペラシティ コンサートホール 2時
マリナー&アカデミーの「四季」━━この言葉が1970年代初頭にどれほどクラシック音楽界を賑わせたことか。
当時のキングレコード(ロンドン・レーベル)は、このレコードを鳴り物入りでPRし、レコード界でも放送界でも、この名は寵児となった。それまでのイ・ムジチ合奏団の正統的(?)で流麗な演奏のヴィヴァルディの「四季」に慣れたわれわれの耳には、このマリナー&アカデミーによる「四季」の演奏は、いかにも先鋭的で、新鮮に響いたのである。
もっとも、当時出ていたレコードには、それに劣らぬ、もしくはそれ以上の大胆な解釈をやっていた演奏もあったのである。レナート・ファザーノ指揮ローマ合奏団のレコードなどその一例だったが、こちらはレコード会社が全くPRしなかったせいで、目立たなかっただけのことだった。
そのマリナー&アカデミーがついに初来日したのは1972年春のこと。マリナーは未だ40代後半の若さで、颯爽としていた。東京厚生年金会館での演奏会で、自らリーダーとして第1ヴァイオリンの首席に座り、ブリテンの「シンプル・シンフォニー」の第1楽章最後の音を、何とも歯切れよく軽やかにパッと弾いてのけたあのステージ姿は、今も目に焼き付いている。
私は当時のFM東京の番組で彼らの演奏会をライヴ録音により放送したが、それに挿入するマリナーへの特別インタビューを、たしかホテルオークラの、今は壊されてしまった本館5階のロビーで録音したことがある。彼は機嫌よく喋ってくれたのち、招聘の神原音楽事務所の井関さんと手短かに何かを打ち合わせると、朗らかに笑って足早にエレベーターの方へ向かって行った。井関さんは「あの人は時差ボケですごく眠いのよ。眠くなると、ふだんよりもっと、今みたいに目が細くなるの」と言ったが、私は全く気がつかなかった━━もともと目は細いタイプの人だと思っていたので。
なお、この時の来日で、マリナーとアカデミーが神奈川県立音楽堂で演奏会をやっているさなかに火事騒ぎがあって、捧腹絶倒の後日談にまで発展するのだが、それはこのブログのカテゴリーの「マエストロへのオマージュ」をお読み下さい。
ちなみに、アカデミー室内管弦楽団は、周知の通り正式名称は「ジ・アカデミー・オヴ・セント・マーティン・インザ・フィールズ」である。最初はロンドンのトラファルガー広場の一角にある聖マーティン・イン・ザ・フィールズを本拠にしていた。
私もこの教会を訪れた際には、「ここであのアカデミーが━━」と大いに感動に浸ったものであった。折しも当夜、アカデミーは出ないけれども、クリスマスの合唱コンサートが開かれることになっていた。しめたとばかりチケットを買ったのだが、席の希望を訊かれて思わず「アリーナを」と答えたのが大失敗。窓口のおばさんはニコリと笑い、チケットを出しながら「Sing Together」と言ったのである。しまったと思ったが遅かった。
余談はともかくとして、今日の演奏会の話。
そのマエストロ、ネヴィル・マリナーも、この4月15日で、92歳を迎える。だが、見事なほどにお元気である。N響には最近も客演しているが、あのアカデミー室内管と組んでの来日は、おそらくはこれが最後になるであろうとのこと。オケはもちろん新しいメンバーで、今回は弦8型編成、リーダーはトモ・ケラーという人だった。
プログラムは、プロコフィエフの「古典交響曲」、ヴォーン・ウィリアムズの「トマス・タリスの主題による幻想曲」、ベートーヴェンの「第7交響曲」。アンコールはモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲と、「ダニー・ボーイ」だった。
「古典交響曲」での明るい音色、歯切れのいいリズム感、闊達な音楽は、やはり昔ながらのマリナーである。ただし、80年代以降の彼の指揮と同じく、構築は少し大らかになっているだろう。とにかく爽やかで温かく、滋味あふれる、実に気持のいい演奏だ。
ベートーヴェンの「7番」も同様、随所に神経の行き届いたアクセントの強調が聴かれるけれども、基本的にはストレートなアプローチに貫かれている。筋の通った力強さの中に、流れのいい、伸びやかな、楽天的な演奏が繰り広げられる。喩えれば、元気溌剌たる年輩者がにこやかに流暢に語ってくれる物語━━といった趣だろうか。
そして、最も情感がこもっていたのは、やはりヴォーン・ウィリアムズの幻想曲であった。自国の作品に寄せる愛情と共感があふれて、これはもう、天下一品の美しい演奏であった。「ダニー・ボーイ」も壮大な編曲で美しかったが、こちらはまあ、アンコールだし、毒にも薬にもならぬ程度の演奏、と言ったら申し訳ないか。
しかし、この「ダニー・ボーイ」に、もしかして日本のファンへの「別れの歌」の意味がこめられていたとすれば・・・・。
マリナーは、終演後のホワイエで、サイン会までやった。そのパワーには敬意を払わずにはいられない。
☞別稿 音楽の友6月号 演奏会Reviews
マリナー&アカデミーの「四季」━━この言葉が1970年代初頭にどれほどクラシック音楽界を賑わせたことか。
当時のキングレコード(ロンドン・レーベル)は、このレコードを鳴り物入りでPRし、レコード界でも放送界でも、この名は寵児となった。それまでのイ・ムジチ合奏団の正統的(?)で流麗な演奏のヴィヴァルディの「四季」に慣れたわれわれの耳には、このマリナー&アカデミーによる「四季」の演奏は、いかにも先鋭的で、新鮮に響いたのである。
もっとも、当時出ていたレコードには、それに劣らぬ、もしくはそれ以上の大胆な解釈をやっていた演奏もあったのである。レナート・ファザーノ指揮ローマ合奏団のレコードなどその一例だったが、こちらはレコード会社が全くPRしなかったせいで、目立たなかっただけのことだった。
そのマリナー&アカデミーがついに初来日したのは1972年春のこと。マリナーは未だ40代後半の若さで、颯爽としていた。東京厚生年金会館での演奏会で、自らリーダーとして第1ヴァイオリンの首席に座り、ブリテンの「シンプル・シンフォニー」の第1楽章最後の音を、何とも歯切れよく軽やかにパッと弾いてのけたあのステージ姿は、今も目に焼き付いている。
私は当時のFM東京の番組で彼らの演奏会をライヴ録音により放送したが、それに挿入するマリナーへの特別インタビューを、たしかホテルオークラの、今は壊されてしまった本館5階のロビーで録音したことがある。彼は機嫌よく喋ってくれたのち、招聘の神原音楽事務所の井関さんと手短かに何かを打ち合わせると、朗らかに笑って足早にエレベーターの方へ向かって行った。井関さんは「あの人は時差ボケですごく眠いのよ。眠くなると、ふだんよりもっと、今みたいに目が細くなるの」と言ったが、私は全く気がつかなかった━━もともと目は細いタイプの人だと思っていたので。
なお、この時の来日で、マリナーとアカデミーが神奈川県立音楽堂で演奏会をやっているさなかに火事騒ぎがあって、捧腹絶倒の後日談にまで発展するのだが、それはこのブログのカテゴリーの「マエストロへのオマージュ」をお読み下さい。
ちなみに、アカデミー室内管弦楽団は、周知の通り正式名称は「ジ・アカデミー・オヴ・セント・マーティン・インザ・フィールズ」である。最初はロンドンのトラファルガー広場の一角にある聖マーティン・イン・ザ・フィールズを本拠にしていた。
私もこの教会を訪れた際には、「ここであのアカデミーが━━」と大いに感動に浸ったものであった。折しも当夜、アカデミーは出ないけれども、クリスマスの合唱コンサートが開かれることになっていた。しめたとばかりチケットを買ったのだが、席の希望を訊かれて思わず「アリーナを」と答えたのが大失敗。窓口のおばさんはニコリと笑い、チケットを出しながら「Sing Together」と言ったのである。しまったと思ったが遅かった。
余談はともかくとして、今日の演奏会の話。
そのマエストロ、ネヴィル・マリナーも、この4月15日で、92歳を迎える。だが、見事なほどにお元気である。N響には最近も客演しているが、あのアカデミー室内管と組んでの来日は、おそらくはこれが最後になるであろうとのこと。オケはもちろん新しいメンバーで、今回は弦8型編成、リーダーはトモ・ケラーという人だった。
プログラムは、プロコフィエフの「古典交響曲」、ヴォーン・ウィリアムズの「トマス・タリスの主題による幻想曲」、ベートーヴェンの「第7交響曲」。アンコールはモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲と、「ダニー・ボーイ」だった。
「古典交響曲」での明るい音色、歯切れのいいリズム感、闊達な音楽は、やはり昔ながらのマリナーである。ただし、80年代以降の彼の指揮と同じく、構築は少し大らかになっているだろう。とにかく爽やかで温かく、滋味あふれる、実に気持のいい演奏だ。
ベートーヴェンの「7番」も同様、随所に神経の行き届いたアクセントの強調が聴かれるけれども、基本的にはストレートなアプローチに貫かれている。筋の通った力強さの中に、流れのいい、伸びやかな、楽天的な演奏が繰り広げられる。喩えれば、元気溌剌たる年輩者がにこやかに流暢に語ってくれる物語━━といった趣だろうか。
そして、最も情感がこもっていたのは、やはりヴォーン・ウィリアムズの幻想曲であった。自国の作品に寄せる愛情と共感があふれて、これはもう、天下一品の美しい演奏であった。「ダニー・ボーイ」も壮大な編曲で美しかったが、こちらはまあ、アンコールだし、毒にも薬にもならぬ程度の演奏、と言ったら申し訳ないか。
しかし、この「ダニー・ボーイ」に、もしかして日本のファンへの「別れの歌」の意味がこめられていたとすれば・・・・。
マリナーは、終演後のホワイエで、サイン会までやった。そのパワーには敬意を払わずにはいられない。
☞別稿 音楽の友6月号 演奏会Reviews
コメント
古典交響曲の最初の1音から目の醒めるような、とても92歳目前の老巨匠の棒から導き出されたとは思えない溌剌とした音楽が鳴り渡りました。オーケストラの音色もすこぶる明るく爽やかで、それは続くタリス幻想曲でも大いに発揮されていました。響きの好い2階ステージ横の席だったこともあり、2群の弦楽オーケストラの遠近感も最高!。イギリスの田園地帯をそよぐ風を想像しながら心地よい気分に浸ることができました(ああ、やっぱりVWはイイ・・・)。 後半のベト7では室内オーケストラとは思えない量感に驚かされました。生気に満ちた音楽!フィナーレに差し掛かった時、あらためて目の前で指揮しているのが92歳目前の長老なのだということが思い出され(本当に忘れていた!)鳥肌がたった。 アンコールはやらないだろうと思っていたら何と2曲も!「ダニー・ボーイ」では他の老巨匠の晩年のような枯れた哀愁、淋しさのようなものが少し感じられました。 そして終演後は、まさかのサイン会まで開催(この日はホントに驚きの連続だった!)!! 普段、殆どの場合サッサと帰ってしまう私も思わず並んでしまいました。長蛇の列に老巨匠の体力が持つか心配になった。「一人一点」と事前に注意があったにもかかわらず明らかに2回並んでいる者もいるのにメンドクサそうな表情一つ見せず一人一人に「Thank you」と声を掛けていたのでした(本当に一人一人に!!)!! そのサービス精神、優しさには心底敬服するのみです! あと何回、この人のコンサートが聴けるのか・・・もしかしたらこれが最後かもしれない・・・と思った時、なんとも言い様のない淋しさに襲われた・・・。
お亡くなりになられたようです。心より哀悼の意を表します。東条さんのこのレポートを読みながら氏の思い出をかみしめています。
本当に最後になってしまった・・・。 やはり「ダニー・ボーイ」は「別れの歌」だったのだ。
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