2016・4・7(木)フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮東京都交響楽団
サントリーホール 7時
フランスの個性派指揮者ロトが客演。今年46歳、私のご贔屓指揮者の一人だ。
シューベルト~ウェーベルン編の「ドイツ舞曲」、R・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」、ベートーヴェンの「英雄交響曲」。2曲目が「英雄」第2楽章の葬送行進曲の主題と深い関連を持つ作品であることを踏まえたプログラミングだろう。
が、その「メタモルフォーゼン」が、今夜の演奏の中でも、白眉だった。そこには、シュトラウス晩年の諦念という作品のイメージは、もはやなかった。曲の頂点では激烈な感情が表出され、生への闘争━━死は単なる休息に過ぎず、とでも言う内容を持つ作品に姿を変えていた。そういう「メタモルフォーゼン」を、私は今夜の演奏から聞き取った。
この、美しくともだらだらと流れて行くような演奏になることの多い曲が、これほど生気に満ちた「未来志向」のものに聞こえたことはない(その点、プログラムにロト自身が述べているメッセージとは、全く逆のイメージの演奏となっていたように私には聞こえたのだ。感じ方はさまざまだな、と思う)。
特にこの曲では、矢部達哉をコンサートマスターとする都響の弦が、この上もなく艶と生気とにあふれていた。そして、全員が没入して弾いているような、素晴らしい演奏をつくっていた。
いっぽう、「英雄」は、予想通りのユニークな解釈。
全曲にわたり細部に綿密な設計を施した演奏で、特に印象に残ったのは第1楽章展開部でのホルンの動きと、第2楽章154~159小節における長いパウゼによる衝撃的な曲想の変化だった。また両端楽章では、非常に速いテンポでたたみかけたため、流石の都響も、時には見事にこなし(第4楽章190小節以降のフルート・ソロ)ながらも、時には必死の(?)形相(第1楽章の弦)といった趣を呈していたほどだ。
第4楽章44~77小節の弦4部の個所はソリで演奏させていたが、これは誰だったか他の指揮者もやっていたテのはずである。
ともあれこれは、当代流行りの、かなり慌ただしい演奏の「英雄」ではあったものの、しかし極めて刺激的で、面白い演奏ではあった。ロトはやはりクセモノである。来週のストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」と「火の鳥」も、きっと面白くなるだろう。
フランスの個性派指揮者ロトが客演。今年46歳、私のご贔屓指揮者の一人だ。
シューベルト~ウェーベルン編の「ドイツ舞曲」、R・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」、ベートーヴェンの「英雄交響曲」。2曲目が「英雄」第2楽章の葬送行進曲の主題と深い関連を持つ作品であることを踏まえたプログラミングだろう。
が、その「メタモルフォーゼン」が、今夜の演奏の中でも、白眉だった。そこには、シュトラウス晩年の諦念という作品のイメージは、もはやなかった。曲の頂点では激烈な感情が表出され、生への闘争━━死は単なる休息に過ぎず、とでも言う内容を持つ作品に姿を変えていた。そういう「メタモルフォーゼン」を、私は今夜の演奏から聞き取った。
この、美しくともだらだらと流れて行くような演奏になることの多い曲が、これほど生気に満ちた「未来志向」のものに聞こえたことはない(その点、プログラムにロト自身が述べているメッセージとは、全く逆のイメージの演奏となっていたように私には聞こえたのだ。感じ方はさまざまだな、と思う)。
特にこの曲では、矢部達哉をコンサートマスターとする都響の弦が、この上もなく艶と生気とにあふれていた。そして、全員が没入して弾いているような、素晴らしい演奏をつくっていた。
いっぽう、「英雄」は、予想通りのユニークな解釈。
全曲にわたり細部に綿密な設計を施した演奏で、特に印象に残ったのは第1楽章展開部でのホルンの動きと、第2楽章154~159小節における長いパウゼによる衝撃的な曲想の変化だった。また両端楽章では、非常に速いテンポでたたみかけたため、流石の都響も、時には見事にこなし(第4楽章190小節以降のフルート・ソロ)ながらも、時には必死の(?)形相(第1楽章の弦)といった趣を呈していたほどだ。
第4楽章44~77小節の弦4部の個所はソリで演奏させていたが、これは誰だったか他の指揮者もやっていたテのはずである。
ともあれこれは、当代流行りの、かなり慌ただしい演奏の「英雄」ではあったものの、しかし極めて刺激的で、面白い演奏ではあった。ロトはやはりクセモノである。来週のストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」と「火の鳥」も、きっと面白くなるだろう。
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