2024-12

2015・12・15(火)マルク・ミンコフスキ指揮東京都交響楽団

    サントリーホール  7時

 午前11時羽田着。成田と違い、自宅まで1時間かからないので羽田は楽だ。

 ミュンヘン滞在中から歯痛と首肩痛に襲われ、機内ではアスピリンをもらって切り抜けるというていたらくではあったものの、とりあえず時差解消のための2時間の昼寝を試み体力を回復したところで、ミンコフスキと都響を聴きに行く。

 ミンコフスキは、先週のオーケストラ・アンサンブル金沢とのシューマン交響曲全曲演奏会を旅行のため聴けなかったのは痛恨の極みだったが、都響の方もルーセルの「バッカスとアリアーヌ」第1・第2組曲及びブルックナーの「交響曲第0番」という面白いプログラムだったので、楽しみにしていたところだった。

 演奏の出来栄えは上々である。
 ルーセルは、演奏に今少しの優雅さとか洒落っ気とか、しなやかな弾力性とかが欲しかったような気がしたけれども、これは日本のオーケストラが最も苦手とする分野だから仕方ないかもしれない。もっとも、「第2組曲」後半の音楽が持っている豊麗な音色と忘我的な興奮という特徴を巧く出せるオーケストラなどというものは、今は世界中どこを探して見つからないだろう。
 それよりもミンコフスキが、この曲のエネルギッシュなダイナミズムを、都響から巧く引き出すことに成功していたことを讃えよう。

 一方ブルックナーの「0番」は、━━もともとナマで聴ける機会などほとんどない交響曲だが、それにしても、これほど美しい「0番」を聴かせてもらったのは初めてである。
 ブルックナー最初期の、普通にやれば若書きの荒っぽい作品だと片づけられかねないこの交響曲を、ミンコフスキは細部に至るまで緻密精妙に彫琢し、全ての小節に温かい情感を導入して、これまで聴いたことのないような叙情美をつくり出していたのだった。

 いわゆる「ブルックナー指揮者」ではないはずのミンコフスキが、ふだんはあまり「問題にされない」交響曲が持つこのような美点を鮮やかに蘇らせたということに、驚きを感じないではいられない。作品そのものの構築的な弱さは如何ともし難いけれど、それをカバーして余りある良さを、この演奏は聴かせてくれたのである。

 矢部達哉をコンサートマスターとする都響の弦のしっとりした美しさが、それを完璧に仕上げてくれた。時差ボケも歯痛も、どこかへ吹き飛んでしまったような演奏会だった。
         →別稿 モーストリー・クラシック3月号 公演Reviews

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