2015・7・20(月)ヴォーカル・アンサンブル カペラ「サルヴェの祈り」
聖アンセルモ・カトリック目黒教会 4時
世評に高い「ヴォーカル・アンサンブル カペラ」の定期演奏会を聴きに行く。
音楽監督・花井哲郎が率いる10人の歌手たち。完璧な均衡を保った声楽アンサンブルだ。日本のアンサンブルらしく、なだらかで柔らかい響きだが、この上なく美しい合唱を聴かせてくれる。教会の豊かな残響を手の内に収めた歌唱は、素晴らしい空間的拡がりをもって響く。
今回は、第1部を「聖母の晩歌」として、ニコラ・ゴンベールの作品を中心に、第2部を「サルヴェの祈り」として、クレメンス・ノン・パパ、ジャン・リシャフォール、トマ・クレキヨンの作品を、いずれもグレゴリオ聖歌と組み合わせてプログラムを構成している。
それらの曲の流れも見事で、正味1時間半強のプログラムが短く感じられるほどであった。
ただひとつ、古い典礼の形を採った演奏とはいえ、祭壇の一隅に大きな大きな譜面台を置き、メンバーがその向こう側に隠れるように顔を寄せて歌う歌唱のスタイルは、300人以上の聴衆を相手とした演奏会としては、何か閉鎖的なイメージにも見えていかがなものか、という印象は、結局最後まで拭いきれない。いっそ眼を閉じて聴いていた方が、コーラスとの一体感を覚えることができる。
客は満員。歌唱を追って歌詞対訳を正確にめくる人も多く、熱心な定期会員が多いことを示している。
私は教会の硬い木の椅子に座ると、数年前の坐骨神経痛が一気に再発しかねないので、壁側の折り畳みの補助椅子に腰を下ろすことにした。だが運の悪いことに今日は、前に座った中年女性が演奏中にもかかわらず、ひっきりなしに、無神経なほど大きな咳払いをするのに閉口し━━よほど休憩時間に注意してやろうかと思ったのだが、それがたくましい体格といかつい顔つきの、見るからに強そうなオバサンなので怖気づき、主催者に訳を話して反対側の壁際に椅子ごと移動することを許してもらった(係の某氏は、ニヤリとして快く親切に椅子を運んでくれた)。
以下も余談だが、この「聖アンセルモ・カトリック目黒教会」を訪れるのは、実に半世紀ぶりだ。といっても私は子供の頃から、この品川区上大崎4丁目に━━今の雅叙苑マンションのある高台の先端にずっと住んでいたことがあるので、目黒駅との往復には、この教会の前を毎日通っていたのである。建てられてから、もう60年くらい経つのでは? 献堂式は1956年だったはず。久しぶりに入ってみて、内部はこんなに大きかったか、と改めてびっくりしたわけだが・・・・。
この教会の周辺、今は軒並みマンション化してしまったが、私にはそれらの場所に昔あった家の一軒一軒、塀の一つ一つ、道路の形状のすべてに思い出が残っている。
戦後、教会の斜め向かい側の雅叙園観光ホテル(何年か前まで在った)が進駐軍宿舎となっていて、夜には屋上でグレン・ミラーの曲が演奏され、周辺には「パンパン・ガール」(夜の女)がたむろし、住民から顰蹙を買っていたことを知る人は、もう多くないだろう。その夜の女が、取り締まりの警官に追われて私の家の庭に逃げ込んで来たことさえあった。
また警官の中には、取り締まり中に女たちに同情し、彼女らが米軍兵士に出すラヴ・レターを英訳してやるアルバイトを内緒でやっているうちに、それが複雑な内容になりすぎたため、私の家に英文の添削を頼みに来るという、おかしな人もいた。
彼は人柄のいい若い警官で、某大学の夜学に通って勉強していた。子供の私をよく映画や野球に連れて行ってくれ、内緒でピストルの撃ち方を教えてくれたこともある。まだ世の中が大らかだった時代の話である。だが彼は、その一方で何人もの強盗を逮捕し、しばしば警視総監賞をもらっていた立派な警官でもあったのだ。
その後、通りは、「ドレメ通り」となった。学生時代、毎朝目黒駅へ向かう時、駅の方から道一杯に奔流の如く押し寄せて来るドレスメーカー女学院の女子学生軍団の中を、ただ独りで突っ切るのは、本当にしんどかった・・・・。
世評に高い「ヴォーカル・アンサンブル カペラ」の定期演奏会を聴きに行く。
音楽監督・花井哲郎が率いる10人の歌手たち。完璧な均衡を保った声楽アンサンブルだ。日本のアンサンブルらしく、なだらかで柔らかい響きだが、この上なく美しい合唱を聴かせてくれる。教会の豊かな残響を手の内に収めた歌唱は、素晴らしい空間的拡がりをもって響く。
今回は、第1部を「聖母の晩歌」として、ニコラ・ゴンベールの作品を中心に、第2部を「サルヴェの祈り」として、クレメンス・ノン・パパ、ジャン・リシャフォール、トマ・クレキヨンの作品を、いずれもグレゴリオ聖歌と組み合わせてプログラムを構成している。
それらの曲の流れも見事で、正味1時間半強のプログラムが短く感じられるほどであった。
ただひとつ、古い典礼の形を採った演奏とはいえ、祭壇の一隅に大きな大きな譜面台を置き、メンバーがその向こう側に隠れるように顔を寄せて歌う歌唱のスタイルは、300人以上の聴衆を相手とした演奏会としては、何か閉鎖的なイメージにも見えていかがなものか、という印象は、結局最後まで拭いきれない。いっそ眼を閉じて聴いていた方が、コーラスとの一体感を覚えることができる。
客は満員。歌唱を追って歌詞対訳を正確にめくる人も多く、熱心な定期会員が多いことを示している。
私は教会の硬い木の椅子に座ると、数年前の坐骨神経痛が一気に再発しかねないので、壁側の折り畳みの補助椅子に腰を下ろすことにした。だが運の悪いことに今日は、前に座った中年女性が演奏中にもかかわらず、ひっきりなしに、無神経なほど大きな咳払いをするのに閉口し━━よほど休憩時間に注意してやろうかと思ったのだが、それがたくましい体格といかつい顔つきの、見るからに強そうなオバサンなので怖気づき、主催者に訳を話して反対側の壁際に椅子ごと移動することを許してもらった(係の某氏は、ニヤリとして快く親切に椅子を運んでくれた)。
以下も余談だが、この「聖アンセルモ・カトリック目黒教会」を訪れるのは、実に半世紀ぶりだ。といっても私は子供の頃から、この品川区上大崎4丁目に━━今の雅叙苑マンションのある高台の先端にずっと住んでいたことがあるので、目黒駅との往復には、この教会の前を毎日通っていたのである。建てられてから、もう60年くらい経つのでは? 献堂式は1956年だったはず。久しぶりに入ってみて、内部はこんなに大きかったか、と改めてびっくりしたわけだが・・・・。
この教会の周辺、今は軒並みマンション化してしまったが、私にはそれらの場所に昔あった家の一軒一軒、塀の一つ一つ、道路の形状のすべてに思い出が残っている。
戦後、教会の斜め向かい側の雅叙園観光ホテル(何年か前まで在った)が進駐軍宿舎となっていて、夜には屋上でグレン・ミラーの曲が演奏され、周辺には「パンパン・ガール」(夜の女)がたむろし、住民から顰蹙を買っていたことを知る人は、もう多くないだろう。その夜の女が、取り締まりの警官に追われて私の家の庭に逃げ込んで来たことさえあった。
また警官の中には、取り締まり中に女たちに同情し、彼女らが米軍兵士に出すラヴ・レターを英訳してやるアルバイトを内緒でやっているうちに、それが複雑な内容になりすぎたため、私の家に英文の添削を頼みに来るという、おかしな人もいた。
彼は人柄のいい若い警官で、某大学の夜学に通って勉強していた。子供の私をよく映画や野球に連れて行ってくれ、内緒でピストルの撃ち方を教えてくれたこともある。まだ世の中が大らかだった時代の話である。だが彼は、その一方で何人もの強盗を逮捕し、しばしば警視総監賞をもらっていた立派な警官でもあったのだ。
その後、通りは、「ドレメ通り」となった。学生時代、毎朝目黒駅へ向かう時、駅の方から道一杯に奔流の如く押し寄せて来るドレスメーカー女学院の女子学生軍団の中を、ただ独りで突っ切るのは、本当にしんどかった・・・・。
コメント
そのイカツイ顔の凄いオバサン、私が隣に居たら助太刀して差し上げたのですけど・・・生憎夏は9月以降の来日ラッシュに備え、金を貯めなければならないのでコンサート通いは休止中です。専門家の方々が羨ましい・・・。
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今回のも大変おもしろく拝読しました。
またこのようなのを読ませていただければ幸甚に存じます。