2015・7・18(土)山田和樹指揮仙台フィル 「椿姫」演奏会形式上演
東京エレクトロンホール宮城 3時
新潟から仙台に移動。バスもあるようだが、やはり一番確実で早いのは新幹線という話を聞いたので、大回りながらも大宮を経由、正味2時間37分(乗り換え待ち32分を含めても3時間9分)で仙台に到着。こちらも小雨、猛烈に蒸し暑い。
これは仙台フィルの特別演奏会。このオケのミュージック・パートナー、山田和樹の指揮で、ヴェルディの「椿姫」が演奏会形式で上演された。
ヴィオレッタを歌ったのは安藤赴美子。つい先週、札響とのメンデルスゾーンの「讃歌」に出演していたと思ったら、今日は「出ずっぱりの主役」である。この役は彼女の当たり役になっているのでは? いつものように明るく澄んだ伸びのある美しい声で、しかもピンと張りのある力強さもあって魅力的である。これに、いっそう深い感情表現と陰翳とが加わるようになったら、以前聴いた「タンホイザー」のエリーザベトと同様、今以上に素晴らしいプリマになるだろう。
アルフレードは西村悟。情熱的な青年という歌唱表現で、劇的な感情表現も充分。激した表現の時の声に芝居気のような誇張が聞かれることがあり、これはあまり過剰にならぬ方がいいのでは━━と素人目には思われるのだが、どうか。だが長身で舞台映えもするし、良いアルフレード歌手だと思う。
ジョルジョ・ジェルモン役は小森輝彦。歌唱はさすがの貫録、凄みも滋味もあって、父親としての存在感は見事である。ついでにステージ出入りの際、もう少し「横柄な父親」らしく歩いてもらえれば・・・・。
という具合に、主役3人はベストだったが、共演の歌手陣には、残念ながら少々ムラがあった。ただしその中では、ドゥフォール男爵を歌った金沢平が良かった。
合唱は熊友会(ユウユウカイと読む)ヴォーカル・アンサンブル(佐々木正利指揮)で、舞台下手側に配置されており、元気いっぱいの歌唱。盛岡の方の団体と聞いたけれども、プログラム冊子にははっきりと書いてない。
仙台フィル(コンサートマスターは西本幸弘)は、緻密な演奏で好演していた。山田和樹の指揮も丁寧ではあったが、やや器楽的な音楽づくりと言ったらいいか、舞台作品的というよりは「演奏会形式」的な音楽になっていた印象だ。オペラとなれば、演奏にも、もう少し劇的な起伏と煽りが欲しいところである。
たとえば第2幕、ヴィオレッタが悲痛な激情に駆られ、アルフレードに「Amami、Alfred」と訴える個所は、そこだけが突然昂揚するのではなく、彼女のそれまでの苦悩が次第に激して、ついに弦の壮烈なトレモロを含む全管弦楽の慟哭に爆発して行く・・・・という流れの中で演奏されなければならないだろう。
また同幕の後半、「賭け事の場面」と、続く「アルフレードとヴィオレッタの激しい口論の場面」では、オーケストラは同じ音型を執拗に繰り返しつつ転調して行くのだから、緊張感が1小節ごとに高まって行くように音楽をつくっていただきたい気がする。
とまあ、言いたいことをいわせてもらったが、彼はこれからオペラに足を踏み入れて行く指揮者だ。今後何十年、振る作品もどんどん増えて行くだろう。どうか、オペラを、譜面上だけでなく、リアルな舞台ドラマの音楽としてつくる指揮者になっていただきたいと願う。
なお今回、舞台奥には大きなスクリーンが設置され(黒枠というのが少々気になったが)、そこにいろいろな映像と字幕とが映し出されるという手法が採られていた。
字幕には、歌詞だけでなく、簡単なト書きも加えられていたが、演奏会形式の場合、私はこれに大賛成である。歌詞だけでは登場人物が何をやっているのか判らないことも多いので━━つまりその歌詞が何を意味しているか解らないことにもなるので━━ト書きが出れば、初めて聴く人にも理解が深まることだろう。
ただしそれは、必要最小限でいい。今日のは、ちょっと過剰気味だった。いちいち「アルフレード、登場」とまで出さなくても、見ていれば判る。
5時40分頃終演。いい演奏だった。お客の入りも上々だったようである。東京から聴きに来ていた業界関係者も大勢いた。
8時半の「こまち/はやぶさ」に乗り帰京、東京駅までわずか92分。
⇒別稿 モーストリー・クラシック10月号 公演Reviews
新潟から仙台に移動。バスもあるようだが、やはり一番確実で早いのは新幹線という話を聞いたので、大回りながらも大宮を経由、正味2時間37分(乗り換え待ち32分を含めても3時間9分)で仙台に到着。こちらも小雨、猛烈に蒸し暑い。
これは仙台フィルの特別演奏会。このオケのミュージック・パートナー、山田和樹の指揮で、ヴェルディの「椿姫」が演奏会形式で上演された。
ヴィオレッタを歌ったのは安藤赴美子。つい先週、札響とのメンデルスゾーンの「讃歌」に出演していたと思ったら、今日は「出ずっぱりの主役」である。この役は彼女の当たり役になっているのでは? いつものように明るく澄んだ伸びのある美しい声で、しかもピンと張りのある力強さもあって魅力的である。これに、いっそう深い感情表現と陰翳とが加わるようになったら、以前聴いた「タンホイザー」のエリーザベトと同様、今以上に素晴らしいプリマになるだろう。
アルフレードは西村悟。情熱的な青年という歌唱表現で、劇的な感情表現も充分。激した表現の時の声に芝居気のような誇張が聞かれることがあり、これはあまり過剰にならぬ方がいいのでは━━と素人目には思われるのだが、どうか。だが長身で舞台映えもするし、良いアルフレード歌手だと思う。
ジョルジョ・ジェルモン役は小森輝彦。歌唱はさすがの貫録、凄みも滋味もあって、父親としての存在感は見事である。ついでにステージ出入りの際、もう少し「横柄な父親」らしく歩いてもらえれば・・・・。
という具合に、主役3人はベストだったが、共演の歌手陣には、残念ながら少々ムラがあった。ただしその中では、ドゥフォール男爵を歌った金沢平が良かった。
合唱は熊友会(ユウユウカイと読む)ヴォーカル・アンサンブル(佐々木正利指揮)で、舞台下手側に配置されており、元気いっぱいの歌唱。盛岡の方の団体と聞いたけれども、プログラム冊子にははっきりと書いてない。
仙台フィル(コンサートマスターは西本幸弘)は、緻密な演奏で好演していた。山田和樹の指揮も丁寧ではあったが、やや器楽的な音楽づくりと言ったらいいか、舞台作品的というよりは「演奏会形式」的な音楽になっていた印象だ。オペラとなれば、演奏にも、もう少し劇的な起伏と煽りが欲しいところである。
たとえば第2幕、ヴィオレッタが悲痛な激情に駆られ、アルフレードに「Amami、Alfred」と訴える個所は、そこだけが突然昂揚するのではなく、彼女のそれまでの苦悩が次第に激して、ついに弦の壮烈なトレモロを含む全管弦楽の慟哭に爆発して行く・・・・という流れの中で演奏されなければならないだろう。
また同幕の後半、「賭け事の場面」と、続く「アルフレードとヴィオレッタの激しい口論の場面」では、オーケストラは同じ音型を執拗に繰り返しつつ転調して行くのだから、緊張感が1小節ごとに高まって行くように音楽をつくっていただきたい気がする。
とまあ、言いたいことをいわせてもらったが、彼はこれからオペラに足を踏み入れて行く指揮者だ。今後何十年、振る作品もどんどん増えて行くだろう。どうか、オペラを、譜面上だけでなく、リアルな舞台ドラマの音楽としてつくる指揮者になっていただきたいと願う。
なお今回、舞台奥には大きなスクリーンが設置され(黒枠というのが少々気になったが)、そこにいろいろな映像と字幕とが映し出されるという手法が採られていた。
字幕には、歌詞だけでなく、簡単なト書きも加えられていたが、演奏会形式の場合、私はこれに大賛成である。歌詞だけでは登場人物が何をやっているのか判らないことも多いので━━つまりその歌詞が何を意味しているか解らないことにもなるので━━ト書きが出れば、初めて聴く人にも理解が深まることだろう。
ただしそれは、必要最小限でいい。今日のは、ちょっと過剰気味だった。いちいち「アルフレード、登場」とまで出さなくても、見ていれば判る。
5時40分頃終演。いい演奏だった。お客の入りも上々だったようである。東京から聴きに来ていた業界関係者も大勢いた。
8時半の「こまち/はやぶさ」に乗り帰京、東京駅までわずか92分。
⇒別稿 モーストリー・クラシック10月号 公演Reviews
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安藤さんは、当地の「せんくら」に2度出演され、華ある容姿と清楚な声に、期待しておりました。 ハイEフラットは回避しましたが、ヴィオレッタの心理の綾(特に2幕)を、きれいなレガートでつづっており、好演だったと思います。西村さんは典型的なリリコで、この役にふさわしい声でした。ほとんど破綻がなく響かしておりました。 小森さんはさすがの貫録で、性格演技が光っていました。こうもり、オランダ人、遠い帆の常長と、役の広い人ですね。 佐々木氏は、長年、弘前、盛岡、仙台、山形の合唱団指揮を複数手掛けておいでです。そのメンバーや有志たちが結成したのでしょうか? 初めて聞く名前でしたので詳細はわからないのですが。
長文、失礼いたしました。