2015・7・15(水)佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ「椿姫」
兵庫県立芸術文化センター 2時
撮影:飯島隆 提供:兵庫県立芸術文化センター (中央ドヴァリ)
兵庫県立芸術文化センター開館10周年記念公演、ヴェルディの「椿姫」。2005年以来11作目にあたる佐渡のオペラ・シリーズの中で、ヴェルディは今回が初めてだとのこと。
前日14日にフタを開け、土・日を含めすべてマチネーで、26日までの間に計10回の公演が予定される。それが相変わらず完売に近い売れ行きだそうである。完売すれば、計算上では総計2万人近い観客を動員するわけだから、国内オペラ公演としては図抜けた存在だ。
指揮は、もちろん総帥の佐渡裕。兵庫芸術文化センター管弦楽団と、ひょうごプロデュースオペラ合唱団(合唱指揮 シルヴィア・ロッシ)。
今日はダブルキャスト第2組の初日で、テオナ・ドヴァリ(ヴィオレッタ)、チャド・シェルトン(アルフレード・ジェルモン)、高田智宏(ジョルジョ・ジェルモン)、ルネ・テータム(フローラ)、渡辺大(ガストン子爵)、久保和範(ドゥフォール男爵)、町英和(ドビニー侯爵)ほかのひとびとが出演した。
佐渡の指揮するオーケストラが、冒頭の「前奏曲」から明確な造型感をもって響き出したのが印象的だった。全曲を通じて演奏は緻密であり、少し重いところはあるけれど、この作品を暗い悲劇の音楽として丁寧に描き出していたと思われる。
近年の佐渡裕は、もう昔と違って、ただ力任せに押して行くような指揮者ではない。この「椿姫」での指揮を聴くと、彼は今後、ヴェルディのレパートリーにおいても成功を収めるのではないか、という気がする。
合唱団も良かった。舞台映えもするし(写真参照)、歌唱も極めて水準が高い。
声楽ソリストで最も見事だったのは、父親ジェルモンを歌った高田智宏だ。8年前からドイツのキール歌劇場で専属歌手として歌っている人だそうだが、こんな明晰で豊かな、力強い声で堂々とジェルモンを歌う若手の日本人歌手がいるのを、初めて知った。東京にも現われて欲しい人である。
ヴィオレッタ役のドヴァリは、第1幕ではややノリが悪かったような感もあったが、場面が進むごとに調子を上げて行き、第3幕では実に清澄な表現で、純なヴィオレッタ像を描き出していた。
一方、アルフレード役のシェルトンは、声そのものは豊かだが、歌い方に少し癖があって、冒頭シーンからしてあまり純朴青年アルフレードという声質でなく、何か世慣れた図々しい男みたいな感の歌唱だったが、・・・・まあ、全体としては悪くなかろう。
演出はロッコ・モルテッリーティ。基本的には、ごくストレートな路線だ。映画監督でもある彼の演出らしく、今回は映像が多用されていた。また演出助手を、若手演出家の菊池裕美子が務めていたが、伝え聞くところによれば、彼女の働きが実に大きかったとのことである。装置はイタロ・グラッシとクレジットされているものの、実際は背景の巨大スクリーンに投映される映像(マウロ・マッテウッチ)が 舞台装置のすべてと言ってもいい。
たとえば冒頭、音楽なしで、病の床にあるヴィオレッタと侍女アンニーナ(岩森美里)の対話で始まり、ヴィオレッタが背景の暗黒の中へ遠ざかっていくうちに前奏曲が開始されるのだが、その中でパリの市街の光景や,馬車で夜会に到着する人々の姿が映し出され、音楽が第1幕に入るや、笑い声がさんざめく明るい建物の外観を経て、一気に豪華な邸宅の映像場面になだれこむ━━という具合だ。
このスクリーンは、分割されて各々異なった映像を映すこともある。登場人物そのものも映し出されるが、舞台上の光景をそのまま拡大し投映するなどといった野暮な方法は採られず、それぞれの心象内容が投映され、音楽や歌詞の意味する心理状態が別の形で表現される・・・・という手法が採られる。
これらは、METでケントリッジがアニメを利用して試みたものなどと共通する手法だが、極めて効果的だ。行き過ぎると煩わしいものになりかねないが、ここでは必要程度のものにとどめられている。
第3幕では、明るい映像は影を潜め、ひたすら暗黒の背景の前でひっそりとヴィオレッタの病の床のシーンが進む。そしてラストシーンでは、人々が見守る死の床から抜け出た彼女が、舞台中央で銀色の光を浴び、皆の悲しみを他所にすっくと立つうちに暗転して終るという演出である。かような「哀れっぽくない椿姫」の幕切れは、先日の新国立劇場制作のヴァンサン・プサール演出でも行われた手法だが、私の好みとしては、こういう方がいい。
2回の休憩を含み、終演は5時頃。舞台・演奏がよくかみ合った成功プロダクションということができよう。
この「佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ」、来年はブリテンの「夏の夜の夢」だという。これまでの路線に比べ、いきなり随分渋いものを持って来るんだな、という感。
⇒別稿 音楽の友9月号 演奏会評
撮影:飯島隆 提供:兵庫県立芸術文化センター (中央ドヴァリ)
兵庫県立芸術文化センター開館10周年記念公演、ヴェルディの「椿姫」。2005年以来11作目にあたる佐渡のオペラ・シリーズの中で、ヴェルディは今回が初めてだとのこと。
前日14日にフタを開け、土・日を含めすべてマチネーで、26日までの間に計10回の公演が予定される。それが相変わらず完売に近い売れ行きだそうである。完売すれば、計算上では総計2万人近い観客を動員するわけだから、国内オペラ公演としては図抜けた存在だ。
指揮は、もちろん総帥の佐渡裕。兵庫芸術文化センター管弦楽団と、ひょうごプロデュースオペラ合唱団(合唱指揮 シルヴィア・ロッシ)。
今日はダブルキャスト第2組の初日で、テオナ・ドヴァリ(ヴィオレッタ)、チャド・シェルトン(アルフレード・ジェルモン)、高田智宏(ジョルジョ・ジェルモン)、ルネ・テータム(フローラ)、渡辺大(ガストン子爵)、久保和範(ドゥフォール男爵)、町英和(ドビニー侯爵)ほかのひとびとが出演した。
佐渡の指揮するオーケストラが、冒頭の「前奏曲」から明確な造型感をもって響き出したのが印象的だった。全曲を通じて演奏は緻密であり、少し重いところはあるけれど、この作品を暗い悲劇の音楽として丁寧に描き出していたと思われる。
近年の佐渡裕は、もう昔と違って、ただ力任せに押して行くような指揮者ではない。この「椿姫」での指揮を聴くと、彼は今後、ヴェルディのレパートリーにおいても成功を収めるのではないか、という気がする。
合唱団も良かった。舞台映えもするし(写真参照)、歌唱も極めて水準が高い。
声楽ソリストで最も見事だったのは、父親ジェルモンを歌った高田智宏だ。8年前からドイツのキール歌劇場で専属歌手として歌っている人だそうだが、こんな明晰で豊かな、力強い声で堂々とジェルモンを歌う若手の日本人歌手がいるのを、初めて知った。東京にも現われて欲しい人である。
ヴィオレッタ役のドヴァリは、第1幕ではややノリが悪かったような感もあったが、場面が進むごとに調子を上げて行き、第3幕では実に清澄な表現で、純なヴィオレッタ像を描き出していた。
一方、アルフレード役のシェルトンは、声そのものは豊かだが、歌い方に少し癖があって、冒頭シーンからしてあまり純朴青年アルフレードという声質でなく、何か世慣れた図々しい男みたいな感の歌唱だったが、・・・・まあ、全体としては悪くなかろう。
演出はロッコ・モルテッリーティ。基本的には、ごくストレートな路線だ。映画監督でもある彼の演出らしく、今回は映像が多用されていた。また演出助手を、若手演出家の菊池裕美子が務めていたが、伝え聞くところによれば、彼女の働きが実に大きかったとのことである。装置はイタロ・グラッシとクレジットされているものの、実際は背景の巨大スクリーンに投映される映像(マウロ・マッテウッチ)が 舞台装置のすべてと言ってもいい。
たとえば冒頭、音楽なしで、病の床にあるヴィオレッタと侍女アンニーナ(岩森美里)の対話で始まり、ヴィオレッタが背景の暗黒の中へ遠ざかっていくうちに前奏曲が開始されるのだが、その中でパリの市街の光景や,馬車で夜会に到着する人々の姿が映し出され、音楽が第1幕に入るや、笑い声がさんざめく明るい建物の外観を経て、一気に豪華な邸宅の映像場面になだれこむ━━という具合だ。
このスクリーンは、分割されて各々異なった映像を映すこともある。登場人物そのものも映し出されるが、舞台上の光景をそのまま拡大し投映するなどといった野暮な方法は採られず、それぞれの心象内容が投映され、音楽や歌詞の意味する心理状態が別の形で表現される・・・・という手法が採られる。
これらは、METでケントリッジがアニメを利用して試みたものなどと共通する手法だが、極めて効果的だ。行き過ぎると煩わしいものになりかねないが、ここでは必要程度のものにとどめられている。
第3幕では、明るい映像は影を潜め、ひたすら暗黒の背景の前でひっそりとヴィオレッタの病の床のシーンが進む。そしてラストシーンでは、人々が見守る死の床から抜け出た彼女が、舞台中央で銀色の光を浴び、皆の悲しみを他所にすっくと立つうちに暗転して終るという演出である。かような「哀れっぽくない椿姫」の幕切れは、先日の新国立劇場制作のヴァンサン・プサール演出でも行われた手法だが、私の好みとしては、こういう方がいい。
2回の休憩を含み、終演は5時頃。舞台・演奏がよくかみ合った成功プロダクションということができよう。
この「佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ」、来年はブリテンの「夏の夜の夢」だという。これまでの路線に比べ、いきなり随分渋いものを持って来るんだな、という感。
⇒別稿 音楽の友9月号 演奏会評
コメント
佐渡オペラ「椿姫」
Bravo! 高田智宏
同じキャストで20日に観ました。関西のオペラシーンでは藤田卓也以来の久々の逸材発見です。高田智宏、こんな素晴らしいバリトンがいるんだという印象、2年前のフィガロ(セヴィリアの理髪師)も聴いているのですが、あのときは日本語上演で歌手がみんな苦労していた感があり大きなインパクトはなかったのに、きっと高田さんのこの2年間の進境が著しいのだろうと思います。ほとんど第2幕第1場だけの出番なのに、ヴィオレッタもアルフレードも霞んでしまうほどの歌唱でした。まさに圧巻のパパ・ジェルモン、「トラヴィアータ」でこういう公演は初めての体験でした。
コメントの投稿
トラックバック
https://concertdiary.blog.fc2.com/tb.php/2210-992fce55
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
1年ぶりにコメントさせていただきます。
まずは、昨年に続き佐渡オペラを取り上げていただきありがとうございます。
(これは芸文に通うこの地域の人達、皆同じ思いかと思います)
余談ですが冒頭の画像にチョットびっくりしましたが・・・
オペラはやはり画像もあるといいですね
今回、私は25・26日に楽しませていただく予定ですが
私はじめ、この地区の住民は確実に「チケットを売り切る劇場」の術中にハマっているのです(笑)
思えば「蝶々夫人」「ヘンゼルとグレーテル」という、誰でも知っていて、その昔クラブや授業で噛った楽しみを思い出し気軽に出かけられる演目で始まり・・・
だんだんと気づかぬうちに観る目、聴く耳を育てられ
生活に音楽や演劇がある楽しみや豊かさを味わわせえてもらているのではないかと思えます。
ところでMETで試みた手法とは「鼻」の時の演出ですか?
それは、ますます楽しみですね。
芸文オペラは衣装や演出・装置もお洒落で演唱とともに大きな楽しみでもあります
決して潤沢では無いであろう予算の中での創る情熱を感じます。
今秋のROH公演とは違った生活の中に潤いを与えてもらえる
もう、衣替えのように、季節とともに当然のようにやってくる存在になっているように思います。(ROH1回分の予算で4回楽しめますし(笑))