2024-12

2015・2・24(火)クリスティアン・ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデン

    サントリーホール  7時

 3回公演のうちの、今日は3日目。R・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」とブルックナーの「交響曲第9番」というプログラム。

 「メタモルフォーゼン」は、オリジナル通りに、23の弦楽器編成で演奏された。シュターツカペレ・ドレスデンの弦の音色の美しさが余すところなく発揮されて、これは清楚で清澄な、端整な官能美の世界、というところか。
 ティーレマンはテンポの変化に若干の趣向を凝らして作品に適度な起伏をつくる━━といってもそれは、勝手にテンポを揺らすという意味ではなく、音楽の表情の変化に即した、ごく自然な変化ということである。こういうテンポの調整に関しては、今のティーレマンは、いいセンスを備えている人だ。

 ブルックナーの「9番」では、ティーレマンもさすがにテンポで煽るなどということはしない。イン・テンポで、ストレートに堂々と軍を進めるというタイプの演奏である(この曲の場合、テンポを劇的に変化させて魔性的な迫力を出すことに成功した指揮者は、古今おそらくフルトヴェングラーのみだろう)。

 ただ、誇張や大見得や矯めといったものを一切排した、正面切った演奏という面になると、帝王(?)ティーレマンといえども、どうも未だしの感があるのではないか? ワーグナーやR・シュトラウスの作品ではあれほど見事な効果をあげる指揮者なのに、ことブルックナーの交響曲となると、ティーレマンの指揮では、未だ納得のできる演奏には巡り会えないのである。
 ではティーレマンの指揮は、テンポの演出だけが取り柄だと言うのか、などと突っ込まれると、これまた返答に窮してしまうのだが・・・・。

 だが所詮はこれも、相手が世界超一流だからこそ言える「無いものねだり」のようなものだ。巨大な音響構築の力感、うねる弦楽器群の分厚い響き、緊張の糸が途切れることはない長い総休止など、ティーレマンとシュターツカペレ・ドレスデンの演奏が卓越していたことはたしかである。それに演奏の内容だって、第3楽章のコーダで、弦の澄んだ音色とともに浄化されたような雰囲気が次第に増して行くあたり、さすがに見事なものだった。

 誤解されると困るので付記しておくが、ブルックナーの交響曲の場合には、私はテンポを激しく動かすスタイルの指揮は好きではない。

コメント

なるほど!と

東条さん、こんばんは。

ブロムシュテットの8番以降、東条さんとは、ことブルックナーに関してはずっと平行線?ですが笑

《この曲の場合、テンポを劇的に変化させて魔性的な迫力を出すことに成功した指揮者は、古今おそらくフルトヴェングラーのみだろう。》

東条さんのブルックナー観を拝見し、なるほどと思うと同時に、私とは正反対の意見なのだなとも笑

ティーレマン、良かったです。横浜の8番の酷さは何だったのか?と今でも疑問です。SKDとMPOのレベルの差もありますが。

ちなみに前日の英雄の生涯では、フィナーレで絶叫してました、ティーレマン。血が騒ぐんでしょうね笑 こちらは大名演!!!

いつもブログ楽しく拝見してます。お身体に気をつけて頑張ってください。

ねこまる 拝

23日(月)のこと

はしゃいだ珍獣がオーケストラを引きずり回しているようにしか見えなかったミュンヘンフィルとの「運命」以来。海外組の直接情報更新料としては、ぎりぎり許容範囲内のチケットが手に入ったことによる純然たる見聞モードとはいえ、彼が指揮する公演に再び足を向ける気になるまでに5年かかったということ。

結果、ずいぶん大人しくなられたのだなという印象。あの時のハイテンションは着ぐるみだったのかと思うほど。少なくとも今回は、押し出しの強さや暑苦しさが観賞の妨げになることはなかった。

演奏自体はルーティンだったと思う。
推敲や彫琢の跡は見当たらず、むしろ、流し運転が常態化した店の雑然とした雰囲気を感じた。その傾向は特に管楽器において顕著で、音の始末に確信を得ないままただ無難におずおずと、消極的選択として道の真ん中を歩いているだけのように聞こえた。

この楽団の2009年公演でのアルプス交響曲は、気魄と意地とプライドのぶつかり合いのような演奏ではあったけれど、あの曲のベストパフォーマンスとして私の記憶の中に君臨し続けている。また別の日、やや不発気味のブラームスの後に演奏されたオベロン序曲では、音とともに凛とした清潔な空気がすうっと流れ込んできて、開場したての劇場に誘われるような心地になったことも覚えている。今回は、そうしたサウンドのクラス感も、魔法にかけられたような時間も得られないまま終わってしまいました。

たびたびお邪魔します。

誤解があるようですので、明確に言いますが、フルトヴェングラーのブルックナーは失敗だと思います。テンポは脈絡がなく、ポリフォニーもヘッタクレもない崩壊した演奏。劣悪な録音がそれを助長します。あくまで私見ですので、お気を悪くされませぬようお願いします。

24日の記事で、なぜメインに23日のことやアルペンシンフォニーのことを書かれる方がいるのか不思議ですが、まあいろんな感じ方があるのだな、と素直に感心した次第です。ただ、ルイージやハイティンクのときに、あれだけの響きを出せたかな?とは思います。とくにルイージ。

私としては、評論家の福島さんや都響の矢部さんの感想に頷いてしまいますね。ちなみに海外でもティーレマンを聴いてきてますので、決して今回の公演が流し運転だとは思いません。あくまで私見ですが、ね。

失礼しました。

今回は、アラブ首長国連邦と日本そして香港の3カ国ツアー。昔なら、日本で大阪・名古屋も公演して地方都市にも巡ったものだけど、随分都会的なサウンドになったことと共に、日本が一通過点になった興行だったのは、残念だと思います。3カ国とも同じ二つのプログラムを興行としていたのですから。

追記

追記させてください。

ティーレマンで聴く”ばらの騎士”を12月に聴きました。現地公演です。

とても素晴らしい。

**********  ***********  *****
ティーレマンとザルツブルグ復活音楽祭事務局によるクーデターで、ベルリンフィルをバーデンバーデンに追いやってからの弊害も大きいです。

今度、ピョートル・ペチャワとアンナ・ネトレプコの組み合わせで2016年に”ローエングリン”新演出があります。もちろん、ティーレマン指揮。

ゼンパーオーパーあってのシュターツカペレ・ドレスデンなのであって、物事が逆さまになった劇場になったのは残念です。

オケが都会的になったこと。オペラ部門にいたカペルマイスターも一掃してしまったことも都会的なサウンドに拍車がかかっているように思います。

”ローエングリン”新演出は、観に行きます。つい最近まで残っていた旧演出は、日本に持ってくるだけの価値はあったのに。

R.シュトラウスのオペラ作品全部やる興行を、昔3作品観たけど。あの頃のオケの水準に戻って欲しい。

失われたものが大きいだけに。まだ、ファビオ・ルイジの時代だけで良いからあのときに戻して。。。

度々度々お邪魔します。

ちょっと間違えば炎上の気配笑すらありますが、さすがティーレマンですね笑

ただ、事実誤認は正します。復活音楽祭は、ティーレマンと事務局によるクーデターなどではなく、ベルリンフィルが今後はバーデンバーデンのみに注力すると発表したんです。プレスをご覧になりましたか?

カラヤン以来の伝統を放棄して、《都会的》になったのはベルリンフィルのほうです。困り果てた事務局がティーレマン&ドレスデンに頼んだ、というのが真実です。クーデターならベルリンフィルがティーレマンを定期に招聘するはずがない。

オケのクーデターで追い出されたのはルイージ。ティーレマンの首席指揮者就任の決め手となったブルックナー8番も、本来はルイージが振るはずでした。ジルベスターコンサートの指揮を断りなくティーレマンに変えられたので、軋轢が生じたわけです。

ルイージを高く評価する人は確かにいますが、前任のハイティンクはあからさまに貶していましたし、オーケストラからの評価も得られませんでした。軽いサウンドと、シンフォニーレパートリーがシュターツカペレとは合わなかった、というのが一般的な評価でしょうか。オペラではいいこともありましたし、録画された巨人などはなかなか。

個人的には、シュターツカペレの巨人ならプレートルをとりますね。ルイージは無才ではなく、単に合わなかったんです。逆にコンマスが言うように、ティーレマンは合うんですよ。

主旨

一聴衆にすぎない私の判断基準はシンプル。別世界へトリップさせてくれた瞬間があったかどうかと、また聴きたいと思えたかどうか、ただそれだけ。評論家や著名人や演奏家の評価は、思惑や立場や社会的配慮が添加されるため参照はしても根拠にはしない(できない)。ましてや真偽を確認しようがない内部事情のこぼれ話の類は尚のこと。そうして得た結果は、たとえ自分以外の全世界が逆の見解を示したとしても揺らぐことはない。結局のところ嗜好とは、きわめてパーソナルな現象だからだ。

トリップできないと暇になるから、観察モードに切り替えることにしている。その結果、この度のドレスデンさんで気になったのは以下2点。①木管セクションにまさかのストレス。オペラ系オーケストラの来日公演では初の事例。②芸風とサウンドは、名前の組み合わせからイメージされるようなドイツローカル高級路線ではなく、むしろ某社の「グランドコンサート」などで招かれるクラスの、中堅どころの放送響的。

もちろんこれらも個人的な印象。ただ、最高席3万超の値札をつける興行としては、指揮者や楽団に特別な思い入れがある方々以外の層へのアピールは、今回のコンディションのままでは難しくなってくると思う。

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