2014・12・13(土)ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団 ブルックナー「3番」
サントリーホール 6時
マチネーはシベリウス、夜はブルックナー。両方とも私が熱狂的に好きな作曲家だから、とびきりの料理の連続というわけだ。
一昨日あたりから咽喉と鼻に炎症を起こし、マスクをして必死に咳を押し殺しながら演奏を聴くという情けない状態だが、それでも疲れないのは、ひとえに音楽の素晴らしさゆえだろう。いや、こちら、ノットと東京響の演奏も実に素晴らしかった。
ワーグナーの「ジークフリート牧歌」は、やや遅めのテンポで、しっとりとした軽やかな羽毛のような音で演奏され、この作品に籠められた愛と安らぎの情感が余すところなく描き出された。現代音楽を指揮する時には鋭角的なスタイルになるノットも、ロマン派の優しい情感を描く時には、見事にソフトな表現になる━━これは、今年6月に「夏の夜」(ベルリオーズ)で聴かせたのと全く同様だ。東京響の弦も管も美しく、特にホルンのソロは、今日は冴えていた。
ブルックナーの「第3交響曲」は、珍しく1873年の第1稿が使われた。第3稿より15分近く長い。ブルックナー・マニアにとっては、改訂版との聴き比べだけでも楽しめるものではあるが、
しかし曲は、盛り上がるかと思うとパッと総休止をし、このまま終りまで行くかと思えば総休止して別の主題が始まるし、しかもその間、いろいろな主題が断片的に出ては引っ込み、出ては引っ込み、というわけで・・・・。初めて聴くお客さんは退屈して、ブルックナーなんか2度と聞くものか、なんて思うのではないかと心配になってしまう━━なにも私が心配したって何にもならないのだが。
とにかく、この曲がウィーンで初演された際、ブルックナーの指揮も未熟だったろうが、曲が終った時には聴衆が25人くらいしか残っていなかった・・・・という伝説も、さもありなんと思われる。しかし、この散漫な第1稿を、ノットと東京響は、驚くほど見事に、しかも美しく演奏してくれた。
オーケストラには、完璧な均衡が保たれている。整然たる構築、均整の美━━いかにも「日本のオーケストラならではの美感」だ。昼間聴いた大野和士&東京都響とは全く違ったスタイルだが、それぞれが素晴らしい。
先日のシンポジウムに出席していた欧米の辛口の同業者たちが、今日も2階最前列に陣取って聴いていた。彼らがどう思ったかは訊きそびれたけれども、これが日本のオーケストラの美点の一つ(12月10日の項参照)なのだから、少しは認識を改めてもらいたいものだ。
ノットは、バンベルク響を相手の時よりも、東京響を指揮する時の方が、彼の思い通りにオーケストラを動かせるようである(まあ、ペクール氏とビューニング女史の表現を借りれば「指揮者には従順な」日本のオケだから当然だろうが)。彼と東京響とのコンビは、きっとうまく行くだろう。
12月の日本のオーケストラ界、読響、都響、東京響━━と快調である。
マチネーはシベリウス、夜はブルックナー。両方とも私が熱狂的に好きな作曲家だから、とびきりの料理の連続というわけだ。
一昨日あたりから咽喉と鼻に炎症を起こし、マスクをして必死に咳を押し殺しながら演奏を聴くという情けない状態だが、それでも疲れないのは、ひとえに音楽の素晴らしさゆえだろう。いや、こちら、ノットと東京響の演奏も実に素晴らしかった。
ワーグナーの「ジークフリート牧歌」は、やや遅めのテンポで、しっとりとした軽やかな羽毛のような音で演奏され、この作品に籠められた愛と安らぎの情感が余すところなく描き出された。現代音楽を指揮する時には鋭角的なスタイルになるノットも、ロマン派の優しい情感を描く時には、見事にソフトな表現になる━━これは、今年6月に「夏の夜」(ベルリオーズ)で聴かせたのと全く同様だ。東京響の弦も管も美しく、特にホルンのソロは、今日は冴えていた。
ブルックナーの「第3交響曲」は、珍しく1873年の第1稿が使われた。第3稿より15分近く長い。ブルックナー・マニアにとっては、改訂版との聴き比べだけでも楽しめるものではあるが、
しかし曲は、盛り上がるかと思うとパッと総休止をし、このまま終りまで行くかと思えば総休止して別の主題が始まるし、しかもその間、いろいろな主題が断片的に出ては引っ込み、出ては引っ込み、というわけで・・・・。初めて聴くお客さんは退屈して、ブルックナーなんか2度と聞くものか、なんて思うのではないかと心配になってしまう━━なにも私が心配したって何にもならないのだが。
とにかく、この曲がウィーンで初演された際、ブルックナーの指揮も未熟だったろうが、曲が終った時には聴衆が25人くらいしか残っていなかった・・・・という伝説も、さもありなんと思われる。しかし、この散漫な第1稿を、ノットと東京響は、驚くほど見事に、しかも美しく演奏してくれた。
オーケストラには、完璧な均衡が保たれている。整然たる構築、均整の美━━いかにも「日本のオーケストラならではの美感」だ。昼間聴いた大野和士&東京都響とは全く違ったスタイルだが、それぞれが素晴らしい。
先日のシンポジウムに出席していた欧米の辛口の同業者たちが、今日も2階最前列に陣取って聴いていた。彼らがどう思ったかは訊きそびれたけれども、これが日本のオーケストラの美点の一つ(12月10日の項参照)なのだから、少しは認識を改めてもらいたいものだ。
ノットは、バンベルク響を相手の時よりも、東京響を指揮する時の方が、彼の思い通りにオーケストラを動かせるようである(まあ、ペクール氏とビューニング女史の表現を借りれば「指揮者には従順な」日本のオケだから当然だろうが)。彼と東京響とのコンビは、きっとうまく行くだろう。
12月の日本のオーケストラ界、読響、都響、東京響━━と快調である。
コメント
幸せなはしご
私も池袋から溜池山王へとはしごをした一人です。いいお酒ならはしごをしても二日酔いにならないのと同じで、疲れを感じるどころか本当に幸せな気分で帰ることができました。
東響の演奏について申し上げますと、まずは「ジークフリート牧歌」が最高の美音で堪能させてくれました。冒頭から最後の音まで、これだけ美しい音で奏でられたこの曲は記憶にありません。 ブルックナーは1877年版に慣れた耳にはなかなか乗り切れず、少々辛いところもありましたが、室内楽的な緻密さに裏打ちされたこれまた本当に美しい音で紡がれたブルックナーだったと思います。
この版は音楽の流れが弛緩する部分もあるのでややもするとダレ気味になるところ、ブルックナー休止でも会場の静寂が保たれていたというのは聴衆の大部分が聴き入っていたいたということでもあり、大方の人はかなり満足していたのではないかと思います(駄演であれば、進みそうで進まず、ダレ気味になってくると不思議なもので、どうしてもブルックナー休止も咳や雑音が混じり会場全体のテンションが下がります)。
東響の演奏について申し上げますと、まずは「ジークフリート牧歌」が最高の美音で堪能させてくれました。冒頭から最後の音まで、これだけ美しい音で奏でられたこの曲は記憶にありません。 ブルックナーは1877年版に慣れた耳にはなかなか乗り切れず、少々辛いところもありましたが、室内楽的な緻密さに裏打ちされたこれまた本当に美しい音で紡がれたブルックナーだったと思います。
この版は音楽の流れが弛緩する部分もあるのでややもするとダレ気味になるところ、ブルックナー休止でも会場の静寂が保たれていたというのは聴衆の大部分が聴き入っていたいたということでもあり、大方の人はかなり満足していたのではないかと思います(駄演であれば、進みそうで進まず、ダレ気味になってくると不思議なもので、どうしてもブルックナー休止も咳や雑音が混じり会場全体のテンションが下がります)。
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ゆえに個人的な白眉はジークフリート牧歌。精緻を極めながらも、基調には慎ましい暖かさが常に流れていて、とても幸せでした。初台から駆けつけてきて、隅々まで調えられたあのサウンドに包まれた時、ああ、私のホームはやっぱりこっちだなあとしみじみ感じ入ってしまった。MVPはホルン1番。ここ数年でのベストパフォーマンスだったと思います。良い音、佳い歌でした。