2014・12・6(土)いずみホール・オペラ モーツァルト:「フィガロの結婚」
いずみホール 2時
大阪城公園近くにあるいずみホールの恒例のオペラシリーズ。昨年12月の「イドメネオ」は演奏会形式上演だったが、今年の「フィガロの結婚」は、再びセミステージ形式による上演に戻った。
ノーカット上演━━つまり第4幕のマルチェリーナのアリアも、バジリオのアリアも、いずれも省略されずに演奏されるという形である。
演出は粟国淳。オーケストラ後方に小規模なステージを造り、簡素な小道具を使って、オペラのストーリーを理解するに充分な程度の演技を加えている。狭いステージでただ1回限りの上演だから、少々の手違いもあったようにも見えたが、セミステージ形式上演としては、まずよくまとまっていたと思う。
演奏は、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団。河原忠之がチェンバロも弾きながらの指揮。通奏低音部分は細部までよく考えられている。
オーケストラはもちろん小編成ながら、たっぷりした厚みのある音が、ホールに美しく響く。所謂「柔らかい」演奏スタイルだが、モーツァルトのオーケストラの細部の多彩さ、美しさも、よく再現されていた。
冒頭、序曲での演奏がやや平板だったので・・・・正直言って先行きが少々心配されたのだが、その後は演奏にも活気が加わり、特に休憩後の第3,4幕では、劇的な追い込みも充分になった。
細かい点ながら、たとえば第4幕のフィナーレの終り近く、激怒する伯爵を前に、フィガロとスザンナが口々に「Perdono、perdono!」と表向きだけは謝ってみせる個所━━このあたりの音楽の流れの良さと、管弦楽の多彩な表情は、モーツァルトの底知れぬ天才ぶりを余すところなく示すところだ━━での低弦の4分音符のリズムが、今日の演奏ではきわめて明快に刻まれていた。そのため、音楽にたたみこむような重心が生まれ、ドラマに追い込みの緊迫感が加わるという結果になっていたのだった。そこでは、このいずみホールのよく響くアコースティックも効果的に生きていたことにも触れておかなくてはならない。
歌手陣。
アルマヴィーヴァ伯爵は黒田博。紳士的な表現の伯爵だが、いつもながら風格充分で見事。
伯爵夫人の澤畑恵美は、プリマの貫録だ。最初のうちはスザンナと同じように少女っぽい性格もあった伯爵夫人が、最後には落ち着いた威厳を持つにいたるといった変化が感じられたのは面白い。「この1日の騒動」が彼女を「おとなの女性」に変えたという演出だったとすれば、彼女の演技は見事だった。
フィガロの西尾岳史は闊達に躍動していた。最近活躍目覚ましい石橋栄美も、愛すべきスザンナ像を巧く表現。ケルビーノの向野由美子は、容姿がこの役によく向いていて、すこぶるカッコいい。
福原寿美枝は、これはもうマルチェリーナにぴったりだろう。「マタイ受難曲」の時と同様、発音が明確でないのが気になるが、凄みは充分だ。但し第4幕のアリアでの歌唱は、ちょっとモーツァルトには異質だったのではないか?
バルバリーナ役の四方典子は、「小娘」にしては立派な容姿。庭師アントニオは晴雅彦、先日の「ドン・カルロ」のロドリーゴとはうって変わった喜劇的な表現(この人、演技の幅が素晴らしく広い)。声のパワーも立派だし、歌にはちょっと走り気味の個所はあったが、存在感のある脇役ぶりであった。バルトロ役の折江忠道も、バジリオとクルツィオ役を掛け持ちの清原邦仁もいい。
今回はこのように、脇役までバランスよくそろった、良い歌手陣であった。なお合唱(8人)は関西二期会のメンバー。
モーツァルトの音楽の素晴らしさが愉しめた演奏。昨夜のN響の「ペレアス」と同様、オーケストラがステージに乗ると、そのオペラのオーケストラ・パートの素晴らしさを、心ゆくまで堪能することができる。
☞音楽の友2月号 演奏会評
大阪城公園近くにあるいずみホールの恒例のオペラシリーズ。昨年12月の「イドメネオ」は演奏会形式上演だったが、今年の「フィガロの結婚」は、再びセミステージ形式による上演に戻った。
ノーカット上演━━つまり第4幕のマルチェリーナのアリアも、バジリオのアリアも、いずれも省略されずに演奏されるという形である。
演出は粟国淳。オーケストラ後方に小規模なステージを造り、簡素な小道具を使って、オペラのストーリーを理解するに充分な程度の演技を加えている。狭いステージでただ1回限りの上演だから、少々の手違いもあったようにも見えたが、セミステージ形式上演としては、まずよくまとまっていたと思う。
演奏は、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団。河原忠之がチェンバロも弾きながらの指揮。通奏低音部分は細部までよく考えられている。
オーケストラはもちろん小編成ながら、たっぷりした厚みのある音が、ホールに美しく響く。所謂「柔らかい」演奏スタイルだが、モーツァルトのオーケストラの細部の多彩さ、美しさも、よく再現されていた。
冒頭、序曲での演奏がやや平板だったので・・・・正直言って先行きが少々心配されたのだが、その後は演奏にも活気が加わり、特に休憩後の第3,4幕では、劇的な追い込みも充分になった。
細かい点ながら、たとえば第4幕のフィナーレの終り近く、激怒する伯爵を前に、フィガロとスザンナが口々に「Perdono、perdono!」と表向きだけは謝ってみせる個所━━このあたりの音楽の流れの良さと、管弦楽の多彩な表情は、モーツァルトの底知れぬ天才ぶりを余すところなく示すところだ━━での低弦の4分音符のリズムが、今日の演奏ではきわめて明快に刻まれていた。そのため、音楽にたたみこむような重心が生まれ、ドラマに追い込みの緊迫感が加わるという結果になっていたのだった。そこでは、このいずみホールのよく響くアコースティックも効果的に生きていたことにも触れておかなくてはならない。
歌手陣。
アルマヴィーヴァ伯爵は黒田博。紳士的な表現の伯爵だが、いつもながら風格充分で見事。
伯爵夫人の澤畑恵美は、プリマの貫録だ。最初のうちはスザンナと同じように少女っぽい性格もあった伯爵夫人が、最後には落ち着いた威厳を持つにいたるといった変化が感じられたのは面白い。「この1日の騒動」が彼女を「おとなの女性」に変えたという演出だったとすれば、彼女の演技は見事だった。
フィガロの西尾岳史は闊達に躍動していた。最近活躍目覚ましい石橋栄美も、愛すべきスザンナ像を巧く表現。ケルビーノの向野由美子は、容姿がこの役によく向いていて、すこぶるカッコいい。
福原寿美枝は、これはもうマルチェリーナにぴったりだろう。「マタイ受難曲」の時と同様、発音が明確でないのが気になるが、凄みは充分だ。但し第4幕のアリアでの歌唱は、ちょっとモーツァルトには異質だったのではないか?
バルバリーナ役の四方典子は、「小娘」にしては立派な容姿。庭師アントニオは晴雅彦、先日の「ドン・カルロ」のロドリーゴとはうって変わった喜劇的な表現(この人、演技の幅が素晴らしく広い)。声のパワーも立派だし、歌にはちょっと走り気味の個所はあったが、存在感のある脇役ぶりであった。バルトロ役の折江忠道も、バジリオとクルツィオ役を掛け持ちの清原邦仁もいい。
今回はこのように、脇役までバランスよくそろった、良い歌手陣であった。なお合唱(8人)は関西二期会のメンバー。
モーツァルトの音楽の素晴らしさが愉しめた演奏。昨夜のN響の「ペレアス」と同様、オーケストラがステージに乗ると、そのオペラのオーケストラ・パートの素晴らしさを、心ゆくまで堪能することができる。
☞音楽の友2月号 演奏会評
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老婆心ながら
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昨年の公演に参加しておりましたが、
イドメネオと今回のフィガロは、
別の括りの公演だと思います。
どちらかといえば、このフィガロは
昨年初夏にあったシモン・ボッカネグラ、
その流れにある形態ではないでしょうか。
それは、河原氏プロデュースという点においてです。