2013・8・8(木)フェスタサマーミューザKAWASAKI
ピエタリ・インキネン指揮日本フィルハーモニー交響楽団
ミューザ川崎シンフォニーホール 7時
今年の「フェスタサマーミューザKAWASAKI」は7月28日~8月11日というスケジュール。以前のようにミューザ川崎シンフォニーホールで、在京各オーケストラや川崎市の音大オーケストラの演奏会、オルガンやジャズのコンサートなどが開催されている。
今夜の日本フィル演奏会は、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番」(ソリストは原田英代)、ベルリオーズの「幻想交響曲」――と、このフェスタの演奏会としては、比較的「重め」のプログラムが組まれていた。客席は、1~3階はほぼ満席だ。
「マイスタージンガー」が始まった時に真っ先に感じたのは、なるほど日頃このホールをフランチャイズとしている東京交響楽団は、やっぱりこのホールを巧く鳴らす術を心得ているんだな――ということだった。
つまり日常、このホールをほとんど使用したことのない日本フィルとの違いがそこに出る、ということだろう。もちろん、大した問題ではないし、だから日本フィルの演奏がどうのこうの、ということではない。
しかしともかく、これまでサントリーホールで聴いた時にはたいてい「引き締まった」イメージの音になるインキネン指揮の日本フィルが、今日はむしろ「硬質な」音のオケというイメージで聞こえたのは事実だった(聴いた席は3階席1列目下手側寄り)。その代り、低音部など内声部の動きが手に取るように判るくらい、明晰な音になっていた。
もっとも、日本フィルも、定期での力演とはだいぶ違い、今日は少々ガサツな演奏になっていたのもたしかなのである。こういう演奏だけ聴いたとしたら、とてもいつものように「完全復調、絶好調、演奏水準急上昇」などと、手放しで絶賛するわけにはまいりますまい。
人間の集団だから、日によって出来不出来があるのはやむを得ないが、本当にいいオーケストラは、たとえガサツな演奏をした時でも、ある種の「味」を出すものである・・・・。
今年の「フェスタサマーミューザKAWASAKI」は7月28日~8月11日というスケジュール。以前のようにミューザ川崎シンフォニーホールで、在京各オーケストラや川崎市の音大オーケストラの演奏会、オルガンやジャズのコンサートなどが開催されている。
今夜の日本フィル演奏会は、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番」(ソリストは原田英代)、ベルリオーズの「幻想交響曲」――と、このフェスタの演奏会としては、比較的「重め」のプログラムが組まれていた。客席は、1~3階はほぼ満席だ。
「マイスタージンガー」が始まった時に真っ先に感じたのは、なるほど日頃このホールをフランチャイズとしている東京交響楽団は、やっぱりこのホールを巧く鳴らす術を心得ているんだな――ということだった。
つまり日常、このホールをほとんど使用したことのない日本フィルとの違いがそこに出る、ということだろう。もちろん、大した問題ではないし、だから日本フィルの演奏がどうのこうの、ということではない。
しかしともかく、これまでサントリーホールで聴いた時にはたいてい「引き締まった」イメージの音になるインキネン指揮の日本フィルが、今日はむしろ「硬質な」音のオケというイメージで聞こえたのは事実だった(聴いた席は3階席1列目下手側寄り)。その代り、低音部など内声部の動きが手に取るように判るくらい、明晰な音になっていた。
もっとも、日本フィルも、定期での力演とはだいぶ違い、今日は少々ガサツな演奏になっていたのもたしかなのである。こういう演奏だけ聴いたとしたら、とてもいつものように「完全復調、絶好調、演奏水準急上昇」などと、手放しで絶賛するわけにはまいりますまい。
人間の集団だから、日によって出来不出来があるのはやむを得ないが、本当にいいオーケストラは、たとえガサツな演奏をした時でも、ある種の「味」を出すものである・・・・。
コメント
東京交響楽団の本拠の川崎で演奏するという、いわば「アウェー」の演奏会にしては、真剣度や練習量が足りないということでしょう。同様に日本フィルの横浜定期の演奏会でも、すでに企画面からそんな雰囲気を感じることがあります。東京定期には出ない某女性指揮者や、炎の(?)第九がラインナップに入っていたり。みなとみらいはシカゴ響、ウィーンフィルも演奏するホールであり、神奈川フィルの本拠地。そこでの「アウェー」演奏となれば、むしろ「ホーム」のサントリー定期よりも高い意識を持って臨まなければならないと思います。東条先生のおっしゃりたかったのも、そのあたりのことではないかと思いました。
たどころ様。
東条先生の意図を慮って擁護されるのは構わない行為だと思われます。
しかし、8月8日の日フィルの演奏批評の根拠を、日フィルの横浜定期の
あり方に求めてしまうのは「贔屓の引き倒し」というものです。
またそのような断定は、8月8日の演奏者・参加者に対して失礼だと思います。
私見では、日フィルの横浜定期はラザレフ・インキネン・山田・広上の各氏を初めとして、かなり聴きごたえのある物になっているように感じます。今シーズンのプログラムは見られましたはずですが・・・・・。
東条先生の意図を慮って擁護されるのは構わない行為だと思われます。
しかし、8月8日の日フィルの演奏批評の根拠を、日フィルの横浜定期の
あり方に求めてしまうのは「贔屓の引き倒し」というものです。
またそのような断定は、8月8日の演奏者・参加者に対して失礼だと思います。
私見では、日フィルの横浜定期はラザレフ・インキネン・山田・広上の各氏を初めとして、かなり聴きごたえのある物になっているように感じます。今シーズンのプログラムは見られましたはずですが・・・・・。
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人間だから、日によって出来不出来があるのはやむを得ないが、本当にいい文筆家は、たとえガサツな書き方をした時でも、ある種の「味」を出すものである・・・・。】
試みに置き換えてみました。
同じ演奏に対してあまりに見解が異なったので、少し意地悪してみたくなったものです。
アンサンブルの乱れが直接的な欠点として聴こえたのは1曲目のみ。
2曲目では呼吸、音色、アンサンブル、演奏姿勢等、数々の美点が花開き、
3曲目では満開になっていました。とても美しく、気持ちの良い演奏会でした。
私は日フィルさんの定点観測者というわけではありませんが、そういう心地にまで至らせてもらえたのは今回が初めてです。
百人百様の感想になるのは当然のこと。
でも、少なくとも音楽家の皆さんに渾身の演奏を求めるのなら。
その演奏をあらわす言葉と文体も、同様に磨かれた渾身のものであるべきと私は考えます。