2013・3・31(日)旅行日記(3) ワーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
ベルリン・ドイツオペラ 4時
DVDにもなっているおなじみのプロダクション。故ゲッツ・フリードリヒが1993年に制作しプレミエした定番だから、ごくトラディショナルでストレートな演出だ。
だが、たとえ古い演出上演でも、芝居がちゃんと行なわれていて――つまり演技にも微細な表現があって――演奏がちゃんとしていれば、充分満足である、と最近はそう思えるようになって来た。少なくとも、舞台上の景観にあまり気を散らされることがないので、音楽をじっくり聴くことができるという長所がある。
この舞台も、比較的ト書きに忠実である。徒弟たちが踊り、ベックメッサーは詩を書いた紙をカンニングしながら歌い、ザックス親方は(多少苛立たしい表情を見せつつも)ドイツ芸術の素晴しさを説き、ワルターは親方になることを承諾し、大団円の中に物語を終る。
ただ、そこがドイツの演出のゆえんで――ザックスが「ドイツの危機」を一同に訴える瞬間から突然照明は翳り、「ドイツはしかし、いろいろ不幸にして複雑な過去を背負っているのだよ」と言わんばかりに、舞台には明るさと暗さが入り混じり、不穏な空気も漂って来る。このあたりの光景は、やはり一区画凝視型の映像でなく、ナマの大きな舞台全体を俯瞰してこそ迫力が感じるというもの。
余談だが、この自虐的というか、自己反省の強い表現手法は、ドイツでは必ずといっていいほど使われるもののようだが――そうしないと具合が悪いからだろうが――それが時々取ってつけたような、わざとらしい感を与えることがあるのは考えものだ。
例えば、原作のト書きを少し変更して「ザックス親方がいきなり何を突拍子もない飛躍した演説をやり出すのだ」と一同が戸惑う設定にするのはまだよかろう。が、それまで無邪気な少女だったエーファまでが突然政治的な問題意識を持つようになって、ザックス親方の演説に反感を丸出しにしてみせるなどというのはいかがなものだろうか――。幸いにこのフリードリヒの演出では、それほどデコボコした流れはないけれども。
95年に収録されたDVDを観た時には、細かいところまでよく出来ているな、と感心させられたものだが、今回は基本的にはほぼ同じながら、少し緊迫度を欠いたものに感じられたのは、長年上演されているプロダクションの宿命というべきか。
そのDVDで名調子を出していたヴォルフガング・ブレンデルが、18年後の今夜もハンス・ザックス親方を演じて、健在ぶりを示していた(ロベルト・ホルかだれかの代役だったらしい)。
DVDでの演技をそのまま再現しているようで、さすがにこの役が「入って」いるんだな、と感心させられる。しかしやはり年齢の所為か、随分と崩した歌い方をみせるところもあるし、第2幕最後でベックメッサー(マルクス・ブリュック)の歌を邪魔するトンカチのリズムなど、唖然とさせられるくらい、いい加減な叩き方であった。家の中の窓際で叩いているのだから、スコアでもこっそり見ながら叩けばいいのに、とさえ思う。
騎士ワルター役はロバート・ディーン・スミスだったが、何故かあまり冴えない。その他、ポーグナー親方をミヒャエル・エダー、その娘エーファをマルティーナ・ウェルシェンバッハ、ダーヴィドをトマス・ブロンデレ、マグダレーナをヤナ・クロコーファ、といった主役陣。いずれも破綻なく手堅く歌っており、ルーティン公演としてはいい線を示していただろう。
指揮はクリストフ・プリックで、この人は以前にも何かのオペラを振ったのを聴いたことがあるが、あまり強い印象は残っていなかった。だが今夜の指揮を聴くと、少なくともこの「マイスタージンガー」に関する限り、かなり勉強しているなと感心させられるところが多い。
例えば、ワーグナーが随所に指定している弦楽器のフレーズにおける漸強と漸弱を忠実に守り、しかもそれを実に自然に起伏させて、音楽に多彩さを与えていること。
そしてもう一つ、終幕近くのワルターの歌でのオーケストラの柔らかい豊麗な鳴らし方で、ここをこれほど陶酔感豊かに夢幻的な美しさを以って指揮した人は珍しい。
並外れて長大な第3幕がこのあたりに来ると、時差ボケの頭にはそろそろ疲れが出て来るものだが、しかし今夜はそこで、何だかおそろしく幸福感に満ちた気持にさせられてしまった。ベルリン・ドイツオペラ管弦楽団がこの作品に慣れているということもあるのだろうが、それにしてもここまでこのオケを美しく響かせ得るというのは、指揮者の力量も預かってのことだろう。プリックという人をちょっと見直した次第。
30~35分の休憩2回を含み、9時45分終了。一昨夜の「パルジファル」同様、早く終ってくれるのは有難い。外は相変わらず猛烈に冷えている。
DVDにもなっているおなじみのプロダクション。故ゲッツ・フリードリヒが1993年に制作しプレミエした定番だから、ごくトラディショナルでストレートな演出だ。
だが、たとえ古い演出上演でも、芝居がちゃんと行なわれていて――つまり演技にも微細な表現があって――演奏がちゃんとしていれば、充分満足である、と最近はそう思えるようになって来た。少なくとも、舞台上の景観にあまり気を散らされることがないので、音楽をじっくり聴くことができるという長所がある。
この舞台も、比較的ト書きに忠実である。徒弟たちが踊り、ベックメッサーは詩を書いた紙をカンニングしながら歌い、ザックス親方は(多少苛立たしい表情を見せつつも)ドイツ芸術の素晴しさを説き、ワルターは親方になることを承諾し、大団円の中に物語を終る。
ただ、そこがドイツの演出のゆえんで――ザックスが「ドイツの危機」を一同に訴える瞬間から突然照明は翳り、「ドイツはしかし、いろいろ不幸にして複雑な過去を背負っているのだよ」と言わんばかりに、舞台には明るさと暗さが入り混じり、不穏な空気も漂って来る。このあたりの光景は、やはり一区画凝視型の映像でなく、ナマの大きな舞台全体を俯瞰してこそ迫力が感じるというもの。
余談だが、この自虐的というか、自己反省の強い表現手法は、ドイツでは必ずといっていいほど使われるもののようだが――そうしないと具合が悪いからだろうが――それが時々取ってつけたような、わざとらしい感を与えることがあるのは考えものだ。
例えば、原作のト書きを少し変更して「ザックス親方がいきなり何を突拍子もない飛躍した演説をやり出すのだ」と一同が戸惑う設定にするのはまだよかろう。が、それまで無邪気な少女だったエーファまでが突然政治的な問題意識を持つようになって、ザックス親方の演説に反感を丸出しにしてみせるなどというのはいかがなものだろうか――。幸いにこのフリードリヒの演出では、それほどデコボコした流れはないけれども。
95年に収録されたDVDを観た時には、細かいところまでよく出来ているな、と感心させられたものだが、今回は基本的にはほぼ同じながら、少し緊迫度を欠いたものに感じられたのは、長年上演されているプロダクションの宿命というべきか。
そのDVDで名調子を出していたヴォルフガング・ブレンデルが、18年後の今夜もハンス・ザックス親方を演じて、健在ぶりを示していた(ロベルト・ホルかだれかの代役だったらしい)。
DVDでの演技をそのまま再現しているようで、さすがにこの役が「入って」いるんだな、と感心させられる。しかしやはり年齢の所為か、随分と崩した歌い方をみせるところもあるし、第2幕最後でベックメッサー(マルクス・ブリュック)の歌を邪魔するトンカチのリズムなど、唖然とさせられるくらい、いい加減な叩き方であった。家の中の窓際で叩いているのだから、スコアでもこっそり見ながら叩けばいいのに、とさえ思う。
騎士ワルター役はロバート・ディーン・スミスだったが、何故かあまり冴えない。その他、ポーグナー親方をミヒャエル・エダー、その娘エーファをマルティーナ・ウェルシェンバッハ、ダーヴィドをトマス・ブロンデレ、マグダレーナをヤナ・クロコーファ、といった主役陣。いずれも破綻なく手堅く歌っており、ルーティン公演としてはいい線を示していただろう。
指揮はクリストフ・プリックで、この人は以前にも何かのオペラを振ったのを聴いたことがあるが、あまり強い印象は残っていなかった。だが今夜の指揮を聴くと、少なくともこの「マイスタージンガー」に関する限り、かなり勉強しているなと感心させられるところが多い。
例えば、ワーグナーが随所に指定している弦楽器のフレーズにおける漸強と漸弱を忠実に守り、しかもそれを実に自然に起伏させて、音楽に多彩さを与えていること。
そしてもう一つ、終幕近くのワルターの歌でのオーケストラの柔らかい豊麗な鳴らし方で、ここをこれほど陶酔感豊かに夢幻的な美しさを以って指揮した人は珍しい。
並外れて長大な第3幕がこのあたりに来ると、時差ボケの頭にはそろそろ疲れが出て来るものだが、しかし今夜はそこで、何だかおそろしく幸福感に満ちた気持にさせられてしまった。ベルリン・ドイツオペラ管弦楽団がこの作品に慣れているということもあるのだろうが、それにしてもここまでこのオケを美しく響かせ得るというのは、指揮者の力量も預かってのことだろう。プリックという人をちょっと見直した次第。
30~35分の休憩2回を含み、9時45分終了。一昨夜の「パルジファル」同様、早く終ってくれるのは有難い。外は相変わらず猛烈に冷えている。
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