2013・3・16(土)児玉宏指揮大阪交響楽団 東京公演
すみだトリフォニーホール 3時
恒例の「地方都市オーケストラ・シリーズ」の一環で、プログラムが凄い。マルトゥッチの「夜想曲 作品70-1」、ブルッフの「2台のピアノと管弦楽のための協奏曲」(ソロは山本貴志と佐藤卓史)、最後がスヴェンセンの「交響曲第2番」。
こんな大胆で意欲的なプログラムを組むオーケストラは、わが国では他に例を見ない。かつてゲルト・アルブレヒトが常任だった時代の、最近では下野竜也が指揮した読売日本交響楽団でさえ太刀打ちできないだろう。「未知の作品」や「忘れられた名曲」をプログラムに入れたとしても、たいてい後半には何か一つ「名曲」をやって、「毒消し」をするのが普通であった。だが今回の児玉=大阪響のように、プログラムのすべてをそれで押し切ってしまうというのは珍しい。見上げた意欲である。
こうした姿勢と、作品の思いがけぬ素晴しさに心を打たれた聴衆も多いだろう。困難もあろうが、今後ともこの独自の個性を貫き通していただきたいものである。
マルトゥッチの「夜想曲」の、極度に甘美な、陶酔的なほどのリリシズムは感動的だった。こんな素晴しい曲が、なぜ埋もれてしまったのか? 児玉宏と大阪響の、柔らかく溶け合った響きで再現されたこの曲を聴くと、ある一つの作品が、広く親しまれる名曲になるか、それとも埋もれた名曲になるかは、ほんの紙一重、なにかの偶然によって左右されるだけなのではないのか――とさえ思えて来る。
ブルッフの「協奏曲」にしても同様、彼のよく知られた「ヴァイオリン協奏曲第1番」や「スコットランド幻想曲」などにおける、やや哀愁を帯びた陰影感に富む作風とは、少しばかり性格を異にし、むしろメンデルスゾーンやシューマンの影響も聴かれる、闊達で激しい曲想を含んだ作品である。すこぶる美しい主題も含まれていて、これもまた「名曲」の仲間入りができなかったのは、なにかのほんのはずみによるものではなかったのか、とさえ思えてしまう。
後半はスヴェンセンの「第2交響曲」。これも、ナマで聴くと、曲想の数々が実に魅力的なものであることが再認識できる。第3楽章で、それまで抑えに抑えていた「ノルウェー魂」が一気に流れ出るところなど、微苦笑を禁じえないが、いい曲だ。
児玉宏と大阪響の演奏は、どちらかといえば力感に満ちて、かなりダイナミックなものだったのではないかと思うが、ただ私の聴いた席の位置――3階のバルコン席は、オケの音がやや飽和気味に、しかもバランスよく聞こえる傾向があるので、全体としてはしっとりと美しい表情に聞こえた。協奏曲での2台のピアノも、席の位置によってはオケにマスクされ気味だったということだが、上階席では全く違和感なく聞こえた。ピアノ・コンチェルトとしての性格は、余すところなく再現されていた。
児玉宏の滋味あふれる指揮、大阪響の熱演、いい演奏会だった。
恒例の「地方都市オーケストラ・シリーズ」の一環で、プログラムが凄い。マルトゥッチの「夜想曲 作品70-1」、ブルッフの「2台のピアノと管弦楽のための協奏曲」(ソロは山本貴志と佐藤卓史)、最後がスヴェンセンの「交響曲第2番」。
こんな大胆で意欲的なプログラムを組むオーケストラは、わが国では他に例を見ない。かつてゲルト・アルブレヒトが常任だった時代の、最近では下野竜也が指揮した読売日本交響楽団でさえ太刀打ちできないだろう。「未知の作品」や「忘れられた名曲」をプログラムに入れたとしても、たいてい後半には何か一つ「名曲」をやって、「毒消し」をするのが普通であった。だが今回の児玉=大阪響のように、プログラムのすべてをそれで押し切ってしまうというのは珍しい。見上げた意欲である。
こうした姿勢と、作品の思いがけぬ素晴しさに心を打たれた聴衆も多いだろう。困難もあろうが、今後ともこの独自の個性を貫き通していただきたいものである。
マルトゥッチの「夜想曲」の、極度に甘美な、陶酔的なほどのリリシズムは感動的だった。こんな素晴しい曲が、なぜ埋もれてしまったのか? 児玉宏と大阪響の、柔らかく溶け合った響きで再現されたこの曲を聴くと、ある一つの作品が、広く親しまれる名曲になるか、それとも埋もれた名曲になるかは、ほんの紙一重、なにかの偶然によって左右されるだけなのではないのか――とさえ思えて来る。
ブルッフの「協奏曲」にしても同様、彼のよく知られた「ヴァイオリン協奏曲第1番」や「スコットランド幻想曲」などにおける、やや哀愁を帯びた陰影感に富む作風とは、少しばかり性格を異にし、むしろメンデルスゾーンやシューマンの影響も聴かれる、闊達で激しい曲想を含んだ作品である。すこぶる美しい主題も含まれていて、これもまた「名曲」の仲間入りができなかったのは、なにかのほんのはずみによるものではなかったのか、とさえ思えてしまう。
後半はスヴェンセンの「第2交響曲」。これも、ナマで聴くと、曲想の数々が実に魅力的なものであることが再認識できる。第3楽章で、それまで抑えに抑えていた「ノルウェー魂」が一気に流れ出るところなど、微苦笑を禁じえないが、いい曲だ。
児玉宏と大阪響の演奏は、どちらかといえば力感に満ちて、かなりダイナミックなものだったのではないかと思うが、ただ私の聴いた席の位置――3階のバルコン席は、オケの音がやや飽和気味に、しかもバランスよく聞こえる傾向があるので、全体としてはしっとりと美しい表情に聞こえた。協奏曲での2台のピアノも、席の位置によってはオケにマスクされ気味だったということだが、上階席では全く違和感なく聞こえた。ピアノ・コンチェルトとしての性格は、余すところなく再現されていた。
児玉宏の滋味あふれる指揮、大阪響の熱演、いい演奏会だった。
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マルトウイッチの曲は甘美な弦の向うにワグナーの響が少しした。ピアノ協奏曲は2度目ということで余計に楽しめました。両者の掛け合いも見える位置だった(オルガン席)ためマスクされることも無く刺激的でした。初々しい奏者。最終楽章が少し類型的に思えましたが、再度聞いてみたい曲。
スヴェッセンは1楽章からひたしみやすい旋律が出てくる曲で3楽章の民族的なリズムがほほえましい。ところどころ曲の平板さをカバーするような工夫もあるのだがそれを拭い去ることが出来ない印象。
演奏はなかなかのものでした。(児玉氏はライプチッヒの図書館で知られざる名曲の譜面を捜しているとのことを話されていました。面白い企画であり今後も行くつもりです。