2024-12

2013・3・14(木)オーケストラ・アンサンブル金沢 東京公演

   サントリーホール  7時

 モーツァルトの「交響曲第40番」と「2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ」、プロコフィエフの「ヴァイオリン協奏曲第2番」と「古典交響曲」というプログラム。ゲスト・ソリストがボリス・ベルキン。

 音楽監督の井上道義が指揮――のはずだったが、彼は先日平壌で指揮した時にひいたとかいうインフルエンザでダウン、協奏曲のみを指揮するにとどまり、その他は指揮者なしで、コンマスのアビゲイル・ヤングがリーダーとしてオケを率いる形になった。

 井上道義が北朝鮮で平壌のオーケストラを指揮、ベートーヴェンの「第9」を演奏したというニュースはベルリンで日本のネット・ニュースを見て知った。金沢ではあれこれ議論があったようである。
 さしづめ今様テイキング・サイドというところだが、私は井上の信念と行動を支持する。現在のような状況だからこそ、文化交流を進めなければならないのである。「音楽家にできること」は、いついかなる時でも、「音楽をすること」にほかならない。

 平壌での演奏会の模様もネットで見たが、あそこで響いていたベートーヴェンの「第9」は、やはり崇高なものだった。あの聴衆の中にも「第9」の音楽や歌詞に感動した人々がいたはずであり、その人たちがいつの日かあの「第9」に謳われているような平和を護る担い手になってくれるかもしれない――というように考えられないだろうか? われわれは未来にも目を向けなければならない。その意味でも、井上が平壌で「第9」を指揮したことは正しかった。
 ただし、インフルエンザなんかを貰って来るのは不可ないが――。

 指揮者なしで試みたモーツァルト2曲も、OEKの楽員の自発性と、リーダーのヤングの奮闘もあって、それなりにまとまりのある演奏になっていた。
 だが、今夜の演奏の中で最も聴き応えがあったのは、やはりその井上が指揮し、ベルキンがソロを弾いたプロコフィエフの協奏曲だった。OEKの音楽が俄然大きくなり、多彩な音色になって、ベルキンのソロと綾なる交錯を続けて行く。

 これで雰囲気が変わったのだろうか、そのあとの指揮者なし「古典交響曲」が、嬉しい驚きを感じさせるほど色彩的な演奏となった。ただこれも、もし井上があの派手なジェスチュアで指揮していたなら、フィナーレなどさらに躍動的で煽った演奏になっていただろうにと思わせたが・・・・。

 開演前の1階のロビーには、スポンサーか代理店の関係者といった何十人ものダークスーツの男たちが、一般客の通行を塞がんばかりに半円形に拡がって並び、入って来る客の方をじっと見て立っている。いつもながら実に感じの悪い光景である。東京公演でこんな野暮ったいことを毎回やっている地方のオケは、今ではOEKだけだ(以前は札響もやっていたが、今はもうやめている)。公演を助成してくれるのは大いに有難いが、もう少しスマートにやってもらいたいものだ。ホールのレセプショニストも見かねたのか、「ここ、入っていいの?」とたじろぎ躊躇う一般客に向かって「1階席の方は、どうぞまっすぐお進み下さい」と、いつになくロビーの真ん中で叫び続けていた。
   音楽の友5月号 演奏会評

コメント

大阪でも・・・

東京だけでなく、大阪シンフォニーホールでも、OEKのコンサートのロビーは異様です。

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