2013・3・9(土)アンドリス・ネルソンス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
フィルハーモニー(ベルリン) 8時
ベルリンは曇り空で、風こそ無いが、マイナス4度とか、猛烈に冷える。夕方になって雪が降り始めたが、夜遅くには止んだ。こういう天候の時には、このベルリン・フィルの本拠、フィルハーモニーというホールは、何と辺鄙な所にあるのだろう、と恨めしくさえなる。
今夜は屈指の若手、ラトヴィア出身の35歳、アンドリス・ネルソンスの客演指揮。
モーツァルトの「交響曲第33番」、ワーグナーの「タンホイザー」序曲、ショスタコーヴィチの「交響曲第6番」という、ちょっと変わった組み合わせだ。
我ながらそそっかしいことに、実は会場に行くまで、「タンホイザー」は「序曲とヴェヌスベルクの音楽」をやってくれるのだとばかり思い込んでいた。したがって大いに落胆。それにしても随分短いプログラムである。休憩30分を挟み、9時45分には終ってしまった。
雪も降っている夜だから、早く終るのは有難いとはいえ、「バッカナール」を彼の指揮で、しかもベルリン・フィルの豪壮な音で聴けなかったのは、かえすがえすも残念である。
モーツァルトの「交響曲第33番変ロ長調」(ベルリン・フィルは解説パンフレットでこういう伝統的な表記を採っている。最近の研究では旧番号を言ってはいけないのだぞ、などというアカデミックな考え方に拘泥していないので、解り易い)では、ネルソンスは、極めて柔らかい音色をベルリン・フィルから引き出した。踊るような身振りで指揮をする彼の姿そのものが音になった、といっていいかもしれない。
フィナーレでの木管の均整のとれたリズムとアクセントを筆頭に、全曲にわたり細かい神経を行き届かせた演奏――ではあったが、ただ、そのわりには、意外に「あまり面白くない」。形は充分に整ってはいるのだけれど・・・・という類の演奏とでも言うか。
ところが、「タンホイザー」になると、ベルリン・フィルの創り出す音楽は、俄然活気を帯びて来る。どちらかと言えばネルソンス色の「すっきり味」の感触ではあるものの、前後の「巡礼の合唱」の昂揚個所などでの押しの強いエネルギー感は、やはりこのオケならではのものであろう。
そして、ショスタコーヴィチ。ベルリン・フィルの楽員はこの作曲家にほとんど共感を示さない――という噂を聴いたことがあるが、その当否は別としても、今夜の「第6番」が、およそショスタコーヴィチの既存のイメージとは異なる演奏だったのには驚いたり感心したり、またそれなりに面白く、実に興味深かった。
いい加減に演奏していたというのではない。それどころか、おそろしく雄大なのである。
第1楽章など、堂々とした厚みのある音による、まさにシンフォニックな演奏だ。ましてフィナーレにいたっては、この作曲家特有の軽妙洒脱(?)なアイロニーというものからは程遠く、むしろ重厚で正面切った、生真面目なところさえあるスケルツォ――という雰囲気の演奏なのであった。
ベルリン・フィルのこうした頑固な個性には、さすがと申上げるほかはないが、やはりネルソンスも、このドイツ文化の巨大な要塞のごときオケに挑むには、まだちょっと若いか、ということにもなろう。しかし、その強豪オケからさえ、これだけ緻密な均衡の構築を引き出したのは、立派と言うべきである。これは、昨年暮にキリル・ペトレンコがスクリャービンの交響曲を振った時に感じたのと同様であった。
今夜は定期の3日目だが、客席は文字通り満杯、オケのうしろの席(PODIUMSPLATZE)までぎっしりと客が入った盛況ぶり。「第33番」の反応はそこそこだったものの、「タンホイザー」以降は沸きに沸き、ネルソンスへの拍手はすこぶる盛大で、幸せなお開きとなった。
ベルリンは曇り空で、風こそ無いが、マイナス4度とか、猛烈に冷える。夕方になって雪が降り始めたが、夜遅くには止んだ。こういう天候の時には、このベルリン・フィルの本拠、フィルハーモニーというホールは、何と辺鄙な所にあるのだろう、と恨めしくさえなる。
今夜は屈指の若手、ラトヴィア出身の35歳、アンドリス・ネルソンスの客演指揮。
モーツァルトの「交響曲第33番」、ワーグナーの「タンホイザー」序曲、ショスタコーヴィチの「交響曲第6番」という、ちょっと変わった組み合わせだ。
我ながらそそっかしいことに、実は会場に行くまで、「タンホイザー」は「序曲とヴェヌスベルクの音楽」をやってくれるのだとばかり思い込んでいた。したがって大いに落胆。それにしても随分短いプログラムである。休憩30分を挟み、9時45分には終ってしまった。
雪も降っている夜だから、早く終るのは有難いとはいえ、「バッカナール」を彼の指揮で、しかもベルリン・フィルの豪壮な音で聴けなかったのは、かえすがえすも残念である。
モーツァルトの「交響曲第33番変ロ長調」(ベルリン・フィルは解説パンフレットでこういう伝統的な表記を採っている。最近の研究では旧番号を言ってはいけないのだぞ、などというアカデミックな考え方に拘泥していないので、解り易い)では、ネルソンスは、極めて柔らかい音色をベルリン・フィルから引き出した。踊るような身振りで指揮をする彼の姿そのものが音になった、といっていいかもしれない。
フィナーレでの木管の均整のとれたリズムとアクセントを筆頭に、全曲にわたり細かい神経を行き届かせた演奏――ではあったが、ただ、そのわりには、意外に「あまり面白くない」。形は充分に整ってはいるのだけれど・・・・という類の演奏とでも言うか。
ところが、「タンホイザー」になると、ベルリン・フィルの創り出す音楽は、俄然活気を帯びて来る。どちらかと言えばネルソンス色の「すっきり味」の感触ではあるものの、前後の「巡礼の合唱」の昂揚個所などでの押しの強いエネルギー感は、やはりこのオケならではのものであろう。
そして、ショスタコーヴィチ。ベルリン・フィルの楽員はこの作曲家にほとんど共感を示さない――という噂を聴いたことがあるが、その当否は別としても、今夜の「第6番」が、およそショスタコーヴィチの既存のイメージとは異なる演奏だったのには驚いたり感心したり、またそれなりに面白く、実に興味深かった。
いい加減に演奏していたというのではない。それどころか、おそろしく雄大なのである。
第1楽章など、堂々とした厚みのある音による、まさにシンフォニックな演奏だ。ましてフィナーレにいたっては、この作曲家特有の軽妙洒脱(?)なアイロニーというものからは程遠く、むしろ重厚で正面切った、生真面目なところさえあるスケルツォ――という雰囲気の演奏なのであった。
ベルリン・フィルのこうした頑固な個性には、さすがと申上げるほかはないが、やはりネルソンスも、このドイツ文化の巨大な要塞のごときオケに挑むには、まだちょっと若いか、ということにもなろう。しかし、その強豪オケからさえ、これだけ緻密な均衡の構築を引き出したのは、立派と言うべきである。これは、昨年暮にキリル・ペトレンコがスクリャービンの交響曲を振った時に感じたのと同様であった。
今夜は定期の3日目だが、客席は文字通り満杯、オケのうしろの席(PODIUMSPLATZE)までぎっしりと客が入った盛況ぶり。「第33番」の反応はそこそこだったものの、「タンホイザー」以降は沸きに沸き、ネルソンスへの拍手はすこぶる盛大で、幸せなお開きとなった。
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