2024-12

2012・2・29(水)ワレリー・ゲルギエフ指揮東京交響楽団の「復興音楽祭」

   オーチャードホール  7時

 「東日本大震災復興支援」のチャリティ演奏会に行ってみる。
 主催は「復興音楽祭実行委員会」だが、共催には農水省も加わり、その他復興庁、外務省、文科省、経産省、国交省なども後援として名を連ねる。協賛社もきわめて多数、概して食品関係が多い。

 プログラムは、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」、プロコフィエフの「古典交響曲」、シューベルトの「未完成交響曲」。
 全部合わせても、演奏時間は1時間に足りない。「ラ・フォル・ジュルネ」並みの軽量だ。アンコールにはチャイコフスキーの「花のワルツ」も演奏されたが、20分の休憩を加えても、8時35分にはすべて終ってしまった。
 これで1階席のチケットは1万5千円。コスト(?)は甚だ悪いが、――とにかく、チャリティ・コンサートなのである。客席は、全体で7割くらいの入りか?

 その上、復興支援の演奏会にしてはこのプログラム、題名も曲も何となくイメージが薄暗い。死せる王女と未完成――では、あまり気分高揚とは行かないのじゃないか?
 加太こうじさんのように、「未完成交響曲を、私は青春の賛歌と感じている。寒い軽井沢で、私はこのレコードをかけては、春の到来を待つのである」(軽井沢のエッセイ)という素晴らしい感じ方をする人もいたにはいたけれど・・・・。

 もっとも、今回はシューベルトの明るい「ザ・グレイト」をやるという案もあったらしいが、練習時間がないために「ちょっと無理だ」となったらしい。
 何しろゲルギエフは、ロンドン響との韓国ツァーの合間を縫って午後東京に飛んで来て、リハーサルを2時間やり、すぐ本番に入ったという例の如くの猛烈スケジュール。これでは安全パイを採るしかなかったのだろう。
 古の独墺の某大指揮者とオケのように――リハーサルで顔を合わせるや「皆さんはこの曲を知ってますね? 私も知っています。では本番でお会いしましょう」と言って解散してしまったという伝説にならって、ツワモノ同士が丁々発止と行けば格好よかったのだろうが・・・・。

 で、演奏のこと。残念ながら、「亡き王女」は重く、さながら昔ラヴェル自身が誰かの演奏を嘆いて言ったとかいう「死せる王女のためのパヴァーヌでなく、王女のための死せるパヴァーヌ」のよう。「古典交響曲」も、随分重くて切れ味の悪い演奏だった。
 やっと音楽がまとまって手応えが出て来たのは、「未完成交響曲」の第1楽章の展開部に入って以降で、特に第2楽章では弦楽器群の各声部の魅力的な交錯がはっきりと出て、そこだけは良い演奏だったと思う。「花のワルツ」も、それほど華麗な演奏ではなかったが、ハープのソロは美しかった。

 まあ、敢えて歯に衣着せずに言わせていただければ、ゲルギエフにしても東響にしても、総じて日頃では考えられないような活気のない演奏に終始してしまった、ということになろうか。失礼。

コメント

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行ってないコンサートですが、これほどまでに音や空気まで雰囲気が、
伝わってきたことはかつてありません。
チャリティなのに残念ですね。チャリティでなくても残念です。

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