2012・2・24(金)沼尻竜典指揮広島交響楽団の「タンホイザー」演奏会形式抜粋
広島市文化交流会館(旧広島厚生年金会) 6時45分
品川駅から広島駅までは、新幹線で約4時間。
駅弁を食べたり、ちょっと仕事をしたり、眠ったりと、道中ずっとのんびりしていられるのが、飛行機ルートより遥かに楽な点である。
今日は広島交響楽団が沼尻竜典の客演指揮でワーグナーの「タンホイザー」を演奏会形式で抜粋上演するというので、聴きに行った。まあ、プログラムに解説を書いた関係もあったのだが・・・・。
今年は3月に、びわ湖ホール(10、11日)と神奈川県民ホール(24、25日)で、共同制作による「タンホイザー」全曲舞台上演がある。この広響の演奏会は、それらとの「提携協力公演」の形を採っている。
沼尻竜典はもちろんそれら舞台上演を指揮する人だし、今回迎えたソリスト――福井敬(タンホイザー)、安藤赴美子(エリーザベト)、小山由美(ヴェーヌス)、黒田博(ヴォルフラム)も、舞台上演のAキャストに入っている4人である。
但しこの日の合唱は、地元のひろしまオペラルネッサンス合唱団だ。
演奏されたのは、ドレスデン版による序曲、「タンホイザーとヴェーヌスの場」後半、「歌の殿堂」、「エリーザベトとタンホイザーの再会」、「大行進曲」、ヴォルフラムの「この高貴な集いを見渡せば」、「タンホイザーのヴェーヌス賛歌」と「エリーザベトの嘆願」、「エリーザベトの祈り」、「夕星の歌」、「ローマ語りと終曲」。休憩20分を挟んでおよそ2時間の構成。
沼尻がこれらの曲のいくつかに施した、「つなぎ」の手法が実に巧い。
オペラルネッサンス公演などでしばしばピットに入っている広響だが、ワーグナーのオペラを――抜粋にせよ、演奏会形式にせよ――手がけるのはこれが初めてだそうな。意外である。
ホールがデッドな音響なのは些か苦しいところだが、とにかく広響は頑張って、張りのある音で熱演を展開した。ホルンを含めた木管群を下手側に、金管群と打楽器を上手側に、コントラバスを正面奥に――という、オペラのピットと同じ配置で、これが音響を柔らかく豊麗に拡げるのに役立っていたであろう。
合唱団も善戦敢闘、「大行進曲」ではよく力を出したが、第3幕終結近くでの、特に男声にはもっと厳密なバランスが欲しい。
ソリスト陣は前述の通り強力で、これだけの豪華なメンバーは東京でも滅多に揃わないかもしれない。
タイトルロールの福井敬は常にピタリと決める実力の持主だし、まして悲劇的な役柄を歌っては、今日の日本では右に出る者はいないほどのテナーである。
小山由美の卓越した巧さは既に定評のあるところ、この日はいつもよりヴィブラートが大きいような気もしたが、「ドレスデン版」でのヴェーヌスの出番の短さを考えれば、このくらいの強烈な存在感があってこそ「女の魔性的な面」が浮彫りにされるというものだろう。
黒田博は、今回は人間味あふれるヴォルフラム役(全曲版が楽しみ)。
そして最大の嬉しい驚きは、安藤赴美子の清純なイメージと清澄でよく通る声の、その昔のアニア・シリアを思わせるようなエリーザベトであった。この新しいスターの登場も、来月の舞台上演をいっそう楽しみにさせるというものである。
沼尻竜典の指揮は、何よりテンポの良さが光る。
どちらかといえば、かつてのサヴァリッシュのそれを思わせる快適なテンポである。大詰めの恩寵を称える合唱部分をはじめ、今回の演奏個所すべてにおいて、完璧な均衡を感じさせるテンポが見事だ。
ただ今日の演奏では、剣を閃かせつつ殺到する騎士たちの前でタンホイザーをかばうエリーザベトの一言「Haltet ein!」(待って下さい!)のあとのLange Pauseが異様に短かく、これでは彼女の予想外の行動に愕然、唖然とする騎士たちの感情がよく描かれないのではないかと思ったが、・・・・演奏会形式と舞台上演との違いもあることだし、これは来月の上演を聴いてからにしよう。
それにしても、最近のえげつない滅茶苦茶な演出の舞台(必ずしも嫌いではないが)に煩わされることなく、音楽そのものに没頭できる「演奏会形式上演」が如何にいいものであるか、今夜はまたもそれを再認識する機会となった。
ワーグナーの音楽が如何に美しく劇的で、素晴らしいものであるか! 全曲大詰めの合唱から締め括りの「巡礼の合唱」に盛り上がる個所での、ワーグナーの「持って行き方」の巧さ(ここは断じてパリ版の方が好きだが)など、まさに涙モノである。
まあ、3月上演のプロダクションはミヒャエル・ハンペ演出で、多分トラディショナルで理詰めの、辻褄の合った演出だろうから、そう煩わされることも無いだろうけれど。
広島駅直結の、「ヴィアイン広島」というホテルに一泊。
品川駅から広島駅までは、新幹線で約4時間。
駅弁を食べたり、ちょっと仕事をしたり、眠ったりと、道中ずっとのんびりしていられるのが、飛行機ルートより遥かに楽な点である。
今日は広島交響楽団が沼尻竜典の客演指揮でワーグナーの「タンホイザー」を演奏会形式で抜粋上演するというので、聴きに行った。まあ、プログラムに解説を書いた関係もあったのだが・・・・。
今年は3月に、びわ湖ホール(10、11日)と神奈川県民ホール(24、25日)で、共同制作による「タンホイザー」全曲舞台上演がある。この広響の演奏会は、それらとの「提携協力公演」の形を採っている。
沼尻竜典はもちろんそれら舞台上演を指揮する人だし、今回迎えたソリスト――福井敬(タンホイザー)、安藤赴美子(エリーザベト)、小山由美(ヴェーヌス)、黒田博(ヴォルフラム)も、舞台上演のAキャストに入っている4人である。
但しこの日の合唱は、地元のひろしまオペラルネッサンス合唱団だ。
演奏されたのは、ドレスデン版による序曲、「タンホイザーとヴェーヌスの場」後半、「歌の殿堂」、「エリーザベトとタンホイザーの再会」、「大行進曲」、ヴォルフラムの「この高貴な集いを見渡せば」、「タンホイザーのヴェーヌス賛歌」と「エリーザベトの嘆願」、「エリーザベトの祈り」、「夕星の歌」、「ローマ語りと終曲」。休憩20分を挟んでおよそ2時間の構成。
沼尻がこれらの曲のいくつかに施した、「つなぎ」の手法が実に巧い。
オペラルネッサンス公演などでしばしばピットに入っている広響だが、ワーグナーのオペラを――抜粋にせよ、演奏会形式にせよ――手がけるのはこれが初めてだそうな。意外である。
ホールがデッドな音響なのは些か苦しいところだが、とにかく広響は頑張って、張りのある音で熱演を展開した。ホルンを含めた木管群を下手側に、金管群と打楽器を上手側に、コントラバスを正面奥に――という、オペラのピットと同じ配置で、これが音響を柔らかく豊麗に拡げるのに役立っていたであろう。
合唱団も善戦敢闘、「大行進曲」ではよく力を出したが、第3幕終結近くでの、特に男声にはもっと厳密なバランスが欲しい。
ソリスト陣は前述の通り強力で、これだけの豪華なメンバーは東京でも滅多に揃わないかもしれない。
タイトルロールの福井敬は常にピタリと決める実力の持主だし、まして悲劇的な役柄を歌っては、今日の日本では右に出る者はいないほどのテナーである。
小山由美の卓越した巧さは既に定評のあるところ、この日はいつもよりヴィブラートが大きいような気もしたが、「ドレスデン版」でのヴェーヌスの出番の短さを考えれば、このくらいの強烈な存在感があってこそ「女の魔性的な面」が浮彫りにされるというものだろう。
黒田博は、今回は人間味あふれるヴォルフラム役(全曲版が楽しみ)。
そして最大の嬉しい驚きは、安藤赴美子の清純なイメージと清澄でよく通る声の、その昔のアニア・シリアを思わせるようなエリーザベトであった。この新しいスターの登場も、来月の舞台上演をいっそう楽しみにさせるというものである。
沼尻竜典の指揮は、何よりテンポの良さが光る。
どちらかといえば、かつてのサヴァリッシュのそれを思わせる快適なテンポである。大詰めの恩寵を称える合唱部分をはじめ、今回の演奏個所すべてにおいて、完璧な均衡を感じさせるテンポが見事だ。
ただ今日の演奏では、剣を閃かせつつ殺到する騎士たちの前でタンホイザーをかばうエリーザベトの一言「Haltet ein!」(待って下さい!)のあとのLange Pauseが異様に短かく、これでは彼女の予想外の行動に愕然、唖然とする騎士たちの感情がよく描かれないのではないかと思ったが、・・・・演奏会形式と舞台上演との違いもあることだし、これは来月の上演を聴いてからにしよう。
それにしても、最近のえげつない滅茶苦茶な演出の舞台(必ずしも嫌いではないが)に煩わされることなく、音楽そのものに没頭できる「演奏会形式上演」が如何にいいものであるか、今夜はまたもそれを再認識する機会となった。
ワーグナーの音楽が如何に美しく劇的で、素晴らしいものであるか! 全曲大詰めの合唱から締め括りの「巡礼の合唱」に盛り上がる個所での、ワーグナーの「持って行き方」の巧さ(ここは断じてパリ版の方が好きだが)など、まさに涙モノである。
まあ、3月上演のプロダクションはミヒャエル・ハンペ演出で、多分トラディショナルで理詰めの、辻褄の合った演出だろうから、そう煩わされることも無いだろうけれど。
広島駅直結の、「ヴィアイン広島」というホテルに一泊。
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