2012・2・17(金)二期会制作 ヴェルディ:「ナブッコ」初日
東京文化会館大ホール 6時30分
アンドレア・バッティストーニの指揮、ダニエレ・アバドの演出、ルイージ・ペレーゴの舞台美術、パルマ王立歌劇場所有の舞台装置による上演。
二期会が「ナブッコ」を手がけるのは、創立以来、これが初めての由。
今回の舞台は、おそろしく頑丈そうな、立派な舞台装置の前で行なわれたセミ・ステージ形式上演――と言ったところか。
主役も群集も、ほとんどすべて棒立ち姿勢で客席を向いて歌う。構図としてはまとまってはいるが、著しくスタティックな舞台になる。
有名な「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」の合唱は慣習に従い繰り返されたが、合唱団は、1回目は半円形にかたまった位置で、2回目には舞台一杯に拡がった位置で客席を向いて歌ったのであった・・・・。
演出家はまさかこのオペラを、舞台装置付きオラトリオとして扱ったわけでもなかろうに。
そんなわけで、演出面ではさっぱりスリルのない、面白くない上演だったが、しかし大きな収穫が、日本デビューの指揮者アンドレア・バッティストーニにあった。
この個性的な眼をした若手、ヴェローナ生れの24歳の指揮は、並外れてイキがいい。
若い頃のムーティにも似た、速い、激しい、大きな、小気味よい腕の動きが印象的で、全身を躍動させつつ、活気に満ちて引き締まった音楽をつくる。歯切れのいいリズム感にあふれた速目のテンポは痛快無類だし、特に最初のザッカーリアの登場のアリアでの、ハーモニーの動きとカンタービレとを完璧に調和させた音楽づくりなど、ヴェルディの音楽の魅力はこれだ、と愉しませてくれる効果を発揮していた。
これは、「ほりだしもの」である。また1人、素晴らしい若手指揮者に巡り会えたのがうれしい。
ただし、序曲や第1部ではオーケストラ(東京フィル)も珍しく元気よく鳴り渡り、合唱(二期会合唱団)にもソロ歌手たちにも、一種の沸き立つような雰囲気が感じられていたのだが、これが後半にかけ、何となく生気が弱まり、しぼんで行くような雰囲気があったのが気にかかる。ガラにもなく張り切り過ぎて疲れたか?
終結近く、ナブッコが再起を宣言する個所でのカバレッタなど、もっと劇的に盛り上がるべきところだった。
もっとも東京フィルは、いくら元気よく鳴っている時でも響きは薄手で頼りなく、技術的にも危なっかしく、今にも崩れそうな演奏をしていた。これは今回に限ったことではない。
コンサートではいい演奏をするオケが、ピットに入ると何故このような・・・・ということも、あの合併後から既にさんざん言われていたことである。もういい加減に、抜本的な対策を講じるべきであろう。いつまでもこの程度の水準に止まっていては、わが国のオペラ運動の足を引っ張るにも等しい。
歌手陣では、ザッカーリアを歌ったジョン・ハオと、フェネーナを歌った中島郁子が良かった。アビガイッレ役の板波利加は、高音はよく伸びるようだが、中高音域が妙にこもった声になり、歌い方にも大時代的なところがあって、少々異質なものを感じさせる。聴かせどころのアリアのカバレッタの部分は1度だけだったが、これはずるい(?)。
ほか、ナブッコに上江隼人、イズマエーレに松村英行、アンナに江口順子ら。
咳がまだ止まらないので、昨日の新国立劇場中劇場での「沈黙」と同様、1階の最後列の隅で観る。終演は9時。外は雪である。
アンドレア・バッティストーニの指揮、ダニエレ・アバドの演出、ルイージ・ペレーゴの舞台美術、パルマ王立歌劇場所有の舞台装置による上演。
二期会が「ナブッコ」を手がけるのは、創立以来、これが初めての由。
今回の舞台は、おそろしく頑丈そうな、立派な舞台装置の前で行なわれたセミ・ステージ形式上演――と言ったところか。
主役も群集も、ほとんどすべて棒立ち姿勢で客席を向いて歌う。構図としてはまとまってはいるが、著しくスタティックな舞台になる。
有名な「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」の合唱は慣習に従い繰り返されたが、合唱団は、1回目は半円形にかたまった位置で、2回目には舞台一杯に拡がった位置で客席を向いて歌ったのであった・・・・。
演出家はまさかこのオペラを、舞台装置付きオラトリオとして扱ったわけでもなかろうに。
そんなわけで、演出面ではさっぱりスリルのない、面白くない上演だったが、しかし大きな収穫が、日本デビューの指揮者アンドレア・バッティストーニにあった。
この個性的な眼をした若手、ヴェローナ生れの24歳の指揮は、並外れてイキがいい。
若い頃のムーティにも似た、速い、激しい、大きな、小気味よい腕の動きが印象的で、全身を躍動させつつ、活気に満ちて引き締まった音楽をつくる。歯切れのいいリズム感にあふれた速目のテンポは痛快無類だし、特に最初のザッカーリアの登場のアリアでの、ハーモニーの動きとカンタービレとを完璧に調和させた音楽づくりなど、ヴェルディの音楽の魅力はこれだ、と愉しませてくれる効果を発揮していた。
これは、「ほりだしもの」である。また1人、素晴らしい若手指揮者に巡り会えたのがうれしい。
ただし、序曲や第1部ではオーケストラ(東京フィル)も珍しく元気よく鳴り渡り、合唱(二期会合唱団)にもソロ歌手たちにも、一種の沸き立つような雰囲気が感じられていたのだが、これが後半にかけ、何となく生気が弱まり、しぼんで行くような雰囲気があったのが気にかかる。ガラにもなく張り切り過ぎて疲れたか?
終結近く、ナブッコが再起を宣言する個所でのカバレッタなど、もっと劇的に盛り上がるべきところだった。
もっとも東京フィルは、いくら元気よく鳴っている時でも響きは薄手で頼りなく、技術的にも危なっかしく、今にも崩れそうな演奏をしていた。これは今回に限ったことではない。
コンサートではいい演奏をするオケが、ピットに入ると何故このような・・・・ということも、あの合併後から既にさんざん言われていたことである。もういい加減に、抜本的な対策を講じるべきであろう。いつまでもこの程度の水準に止まっていては、わが国のオペラ運動の足を引っ張るにも等しい。
歌手陣では、ザッカーリアを歌ったジョン・ハオと、フェネーナを歌った中島郁子が良かった。アビガイッレ役の板波利加は、高音はよく伸びるようだが、中高音域が妙にこもった声になり、歌い方にも大時代的なところがあって、少々異質なものを感じさせる。聴かせどころのアリアのカバレッタの部分は1度だけだったが、これはずるい(?)。
ほか、ナブッコに上江隼人、イズマエーレに松村英行、アンナに江口順子ら。
咳がまだ止まらないので、昨日の新国立劇場中劇場での「沈黙」と同様、1階の最後列の隅で観る。終演は9時。外は雪である。
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