2024-12

2012・2・16(木)新国立劇場制作 松村禎三:「沈黙」

   新国立劇場中劇場  6時30分

 日生劇場での初演(1993年)と再演(95年)、新国立劇場での2回の上演(2000年の二期会との共同制作および05年のカレッジ・オペラ東京公演)など、これまで何度も観る機会のあったオペラだ。

 いつ観ても気の滅入るような内容で、体調の良くない時などに観ようものなら、尚更落ち込む。休憩時間にロビーへ出て来る観客の顔が、一様に暗く、あるいは考え込むような表情と化しているようなオペラなど、この「沈黙」(原作・遠藤周作)を措いて、そうそうあるものではなかろう。
 切支丹への拷問と処刑、宣教師の苦悩、その極限状態において迸る「神はいないのか? 何もしてくれないのか? 何も言ってはくれないのか?」という切羽詰った問いかけ――宗教的な問題に限らず、今日の戦争、天災などにいたるまで、この命題はわれわれに重圧を強いる。

 これまでの鈴木敬介や中村敬一の演出に代わり、今回は宮田慶子(新国立劇場演劇芸術監督)の演出である。
 端的に言えば、さすが演劇畑の人の演出と感心させられる美点が多い。農民や役人などにいたるまで細かい演技が行き渡り、主人公と脇役・端役たちの演技が明確に関連づけられ、ドラマとしての核がしっかりしているからである。演技に隙がなければ、舞台にも緊迫感が生れる。暗鬱な色調に統一され、回り舞台が活用された池田ともゆきの舞台美術も、成功していたと言えよう。

 ラストシーンで、ついに踏み絵を「踏んだ」宣教師ロドリゴの姿をキチジローが物陰から窺うという演出は印象深いが、この設定は過去の2種の演出では、あったか、なかったか? 
 いずれにせよこの光景は、キチジローという百姓を、単なる気の弱い裏切者としてだけでなく、ロドリゴと表裏一体に苦悩する男として描くことになるだろう。

 自ら踏んだ踏み絵を抱き、うちひしがれるロドリゴには、定石通り(?)十字架からの光が当てられる。この設定は、宮田演出でも踏襲されている。
 ただ今回、いかにも彼が救済されたと言わんばかりの見え透いた光景になっていないのは、むしろ好ましい。

 以前、ある音楽学者が、この物語を「神の不在」と解釈するのは誤りであると言い切り、その根拠として遠藤周作自身がのちに「沈黙の声」という小論で「神は沈黙していたのではなく、実際は語っていた。今だったら『沈黙』という題名はつけない」と書いていたという点を挙げた。松村禎三の音楽でも、終場面には明らかにロドリゴへの「許し」を暗示するような曲想も姿を現わしているのは、確かであろう。
 だが、「神」がロドリゴだけを許したと解釈したところで、――逆にいえば、そのように「神」を弁護したところで――真の解決にはなるまい。死んだ者たちは、どうなるのか? 

 救済だとか、真の正義だとか、絶対的な神の存在だとかの価値観をそのまま楽天的に受け入れ難くなっている現代にあっては、それに疑問を呈するような演出解釈が非常に多くなっていることは周知の事実だ。
 とすれば、このオペラ「沈黙」にも、そろそろ異なった解釈の演出が生れてもいい頃なのではないかと思う。――しかし、いざ宗教問題となると、なかなか難しいのだろう。
 ウィーン国立歌劇場の「パルジファル」のように、聖杯を壊してしまうような大胆な反論的演出を試みるのは、日本では勇気の要るところかもしれない。

 この日の上演は、2日目にあたっていた。したがって第2キャストの受け持ちである。ロドリゴを小原啓楼、フェレイラを与那城敬、キチジローを枡貴志、モキチを鈴木准、オハルを石橋栄実、井上筑後守を三戸大休、そのほかの人々、といった顔ぶれだった。
 みんな良く熱演健闘したという感だったが、全体を引き締めたのは、やはり下野竜也の指揮と、東京交響楽団の演奏というべきであろう。
 舞台機構を巧みに使い、転換をスムースにしたおかげで、音楽がそれぞれの幕で切れ目なく演奏され、全曲の流れを見通しよく把握させてくれたことはもちろん、オーケストラのテクスチュアには明晰さが蘇り、このオペラの音楽的な魅力を再認識させてくれたのであった。新国立劇場合唱団もいつもながらの力強さである。

    音楽の友4月号 演奏会評

コメント

感想感服いたしました

こんにちは

おっしゃる通りです。ほとんど同じ感想を持ちました。先生の文章にされた言葉には含蓄が多く、まさに感服した次第です。
私も今回のエースは、指揮者とオーケストラだと思います。(個人的にはシュトラウス的世界観があったのか、と思ったのですが)音楽が全体を雄弁に語ってくれていたことは否めませんし、素晴らしい演奏だったと思います。

しかしあまりにも、小説から離れないので、おっしゃる通り、ワーグナーなどで試みられている、解釈の多様性も今後あっても良いかと思います。
しかし問題は、この演目を毎年のように観たくはないということに尽きるという点でしょうか。

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