2012・2・10(金)高関健指揮札幌交響楽団 メシアン:「トゥーランガリラ交響曲」
札幌コンサートホールkitara 7時
2003年から札響正指揮者を務めて来た高関健の、在任中のこれが最後の定期公演。
全く意外なことに、彼がオリヴィエ・メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」を指揮するのはこれが初めてだという。彼の日頃のレパートリーを思えば、信じられないような話だ。
そして札響にとっても、「トゥーランガリラ」は今回が初めての由。但しこの曲の札幌初演は、4年前に準・メルクルの指揮とPMFオーケストラによって行われている。
今回の協演は児玉桃(ピアノ)と原田節(オンド・マルトノ)。今夜は2回公演のうちの初日である。
さて、その高関と札響の「初めてのトゥーランガリラ」は、一言で言えば、充分な成功を収めたと言っていいだろう。
第1楽章最初のトロンボーン他による豪壮なモティーフ――プレトークで高関はこれを「偉そうに出て来る」と評したが、巧い表現だ――からしてバランスの好い音だと感心させられた。が、この楽章では、まだちょっと手探り的な演奏という印象もないではない。しかし、続く「愛の歌第1」からは、演奏に勢いが生まれて来る。細部はともかく、終結にかけての煽りは、なかなかのものであった。
概して言えば、高関と札響は、この個性的な大曲を、押しつけがましさのない叙情性を以って演奏していたと思う。私には、それがむしろ快かった。
「愛の眠りの園」での陶酔的な世界や、「トゥーランガリラ第3」における管とオンド・マルトノの均衡の取れた美しさなどはもちろんだが、その一方、中盤の頂点を成す「星たちの血の喜び」でも、オーケストラはむやみに咆哮することなく、よくありがちなヒステリックな絶叫型演奏にすることもなく、むしろ節度と均整を保った構築の音楽をつくっていた。
にもかかわらず聴き手を巻き込むエネルギーは充分あったし、まぎれもないメシアン・サウンドでもあったのである。
ただ、こういう「アクの強くない」演奏の、あるいはまた「良い意味での傍若無人さ」のない「トゥーランガリラ」には、快さはあるものの、その一方で、「終曲」における大団円的な法悦を表現するという面では、ちょっと物足りなさもあるだろう。
児玉桃の自発的で躍動的なピアノ・ソロが素晴しく、オーケストラをリードするかのような趣を呈していた。原田節のオンド・マルトノは音量的にややおとなしいような印象だったが、演奏についてはさすがこの曲における百戦錬磨の名手といった雰囲気である。
ともあれ、初めてこの大曲に取り組んだ指揮者とオーケストラ、その熱演ぶりは立派なものであった。終演後のロビーで、後ろから来る若いカプルが「チョー面白かった」と語り合っているのが耳に入ったが、この言葉に勝る讃辞があろうか?
2003年から札響正指揮者を務めて来た高関健の、在任中のこれが最後の定期公演。
全く意外なことに、彼がオリヴィエ・メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」を指揮するのはこれが初めてだという。彼の日頃のレパートリーを思えば、信じられないような話だ。
そして札響にとっても、「トゥーランガリラ」は今回が初めての由。但しこの曲の札幌初演は、4年前に準・メルクルの指揮とPMFオーケストラによって行われている。
今回の協演は児玉桃(ピアノ)と原田節(オンド・マルトノ)。今夜は2回公演のうちの初日である。
さて、その高関と札響の「初めてのトゥーランガリラ」は、一言で言えば、充分な成功を収めたと言っていいだろう。
第1楽章最初のトロンボーン他による豪壮なモティーフ――プレトークで高関はこれを「偉そうに出て来る」と評したが、巧い表現だ――からしてバランスの好い音だと感心させられた。が、この楽章では、まだちょっと手探り的な演奏という印象もないではない。しかし、続く「愛の歌第1」からは、演奏に勢いが生まれて来る。細部はともかく、終結にかけての煽りは、なかなかのものであった。
概して言えば、高関と札響は、この個性的な大曲を、押しつけがましさのない叙情性を以って演奏していたと思う。私には、それがむしろ快かった。
「愛の眠りの園」での陶酔的な世界や、「トゥーランガリラ第3」における管とオンド・マルトノの均衡の取れた美しさなどはもちろんだが、その一方、中盤の頂点を成す「星たちの血の喜び」でも、オーケストラはむやみに咆哮することなく、よくありがちなヒステリックな絶叫型演奏にすることもなく、むしろ節度と均整を保った構築の音楽をつくっていた。
にもかかわらず聴き手を巻き込むエネルギーは充分あったし、まぎれもないメシアン・サウンドでもあったのである。
ただ、こういう「アクの強くない」演奏の、あるいはまた「良い意味での傍若無人さ」のない「トゥーランガリラ」には、快さはあるものの、その一方で、「終曲」における大団円的な法悦を表現するという面では、ちょっと物足りなさもあるだろう。
児玉桃の自発的で躍動的なピアノ・ソロが素晴しく、オーケストラをリードするかのような趣を呈していた。原田節のオンド・マルトノは音量的にややおとなしいような印象だったが、演奏についてはさすがこの曲における百戦錬磨の名手といった雰囲気である。
ともあれ、初めてこの大曲に取り組んだ指揮者とオーケストラ、その熱演ぶりは立派なものであった。終演後のロビーで、後ろから来る若いカプルが「チョー面白かった」と語り合っているのが耳に入ったが、この言葉に勝る讃辞があろうか?
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カップルでトゥーランガリラとは乙ですね。
トゥーランガリラの法悦に刺激された若いカップルのその後が気になります。
…下世話な話ですいません。