2024-12

2011・3・26(土)小林研一郎指揮東京交響楽団定期

   サントリーホール  6時

 「ミューザ川崎シンフォニーホール」が地震による天井崩落のため、向う半年以上にわたり使用できなくなったことは、同ホールを本拠地とする東京交響楽団にとっては大変な打撃であろう。

 自主運営のオーケストラは、演奏会をやらなければ収入の道が途絶えてしまう。何とか代替のホールを見つけて、頑張って切り抜けて欲しいものだ。
 せっかく決まった秋のミューザ川崎でのロリン・マゼール客演指揮演奏会という大物企画も、公式発表は未だ見送られたままになっている。団側では、何としても計画通り実現したいと方策を練っているようだが、――それまでにホールが修復できればいいのだが。
 ともあれここは、苦境に陥っている東京響を激励したいところだ(マゼール・ファンとしても、である)。

 その東京響が、サントリーホール3月定期を、予定通りに実施した。
 ただし、音楽監督ユベール・スダーンは来日できていない。そのため、彼の指揮で演奏されるはずだったリストの「オルフェウス」、フランクの「交響変奏曲」、ベルリオーズの「テ・デウム」という、国内オケとしては千載一遇、優曇華の花(!)ともいうべきプログラムが流れてしまったのは、まさに痛恨の極みである。

 代わりに小林研一郎が指揮を執り、プログラムも変更して、モーツァルトの「レクイエム」(「ラクリモーザ(涙の日)まで)と、ベートーヴェンの「英雄交響曲」を演奏した。
 「テ・デウム」を歌うはずだった合唱(東響コーラス)と福井敬(T)もそのまま「レクイエム」に参加、他に森麻季(S)竹本節子(Ms)三原剛(Br)が同曲のソリストとして出演した。

 そういえば、小林研一郎氏は、たしか福島県いわき市の小名浜の出身ではなかったか? 委細は承知していないが、この場を借りてお見舞申し上げる。
 ほかにも演奏者の中には、ご親族が被災されたという方も居られるかもしれない。ご心痛のことと思う。

 「レクイエム」でP席をぎっしり埋めたコーラスは、260人前後か。いかにも大編成に過ぎたが、ずっと「テ・デウム」を練習して来たメンバーを一部削るわけにも行かぬという事情もあったのかもしれない。しかしコーラスは、全員が暗譜での見事な歌唱。いつ練習したのだろう? 
 「涙の日」の最後を漸弱で終らせつつも、コーラスの男声部をオーケストラのあとに僅かに残し、余韻を響かせて結んだところなどは小林の指示か、極めて美しい。犠牲者を悼むために「涙の日」はもう一度繰り返されたが、そこでも同じ手法の見事さが目立った。

 「英雄」は、同じく16型で、フルートとオーボエ各3本(クラリネットとファゴットはスコア指定通り各2本)、ホルン4(+アシスタント)という大編成。遅めのテンポ、旧版(ブライトコップ版のような)の使用なども含め、久しぶりに聴く重量級の「英雄」である。こういう壮烈なベートーヴェンも、奇数番の交響曲においては的を得ているだろう。とはいっても、あの粘った表情の演奏は、私にはもう共感できないのだが。
 

コメント

数々の演奏会中止が発表される中、また、震災後数週間という時期のこのような演奏会、演奏者の気持ちは理解できるが、今後の日本の演奏会プログラムがレクイエム調一色にならないようにとも願う。音楽はこういうとき、哀悼の意の表明だけのために活用されるのではなく、これから復興していこう、あるいはそれを支えていこうという日本中の遠隔地の方々に力を与えてくれるものである必要も存分にあると思う。

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