2024-12

2011・3・5(土)リッカルド・シャイー指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

   サントリーホール  3時

 今日はドヴォルジャーク・プログラムで、序曲「謝肉祭」、ヴァイオリン協奏曲(ソロはレオニダス・カヴァコス)、交響曲第7番。アンコールは「スラヴ舞曲」から「作品72の2」および「作品72の7」。
 昨日の大咆哮の演奏とは打って変わって、オーケストラにはしなやかな流動性と、しっとりした味とが甦っていた。

 「謝肉祭」はダイナミックな力感で疾走した演奏だったが、それでも昨日のブルックナーよりは制御が効き、管と弦のバランスも整った構築になっていたであろう。
 協奏曲での音量を抑制した演奏はこのオーケストラの音色に陰翳を取り戻したが、さらに「第7交響曲」や「スラヴ舞曲」では、隅々まで神経の行き届いた、完璧に近いほど均衡のとれた演奏に展開して行った。

 バランスさえ良ければいいと言っているのではない。事実、「謝肉祭」後半で猛烈に追い上げ、クライマックスに持って行くくだりなど、シャイーの設計の上手さは、いかにもオペラの得意なシャイーらしい、劇的そのものといった組み立てではなかったか。
 そして交響曲では、変幻自在の表情を以ってテンポやデュナーミクを構築、管弦楽のバランスにも細密な工夫を凝らして主題の響きを様々に変え、音楽に多彩さを加えていたのである。

 私はこの「7番」を聴きながら、先年東京でマリス・ヤンソンスがコンセルトヘボウ管を指揮した、精緻極まるユニークな解釈と演奏によるドヴォルジャークの「第8交響曲」の演奏のことをふと思い出してしまった。この作曲家の交響曲は、スコアの内部に、予想外の大胆な解釈を可能にする要素を含んでいるのではなかろうか?

 2曲の「スラヴ舞曲」も、この上なく力と変化に満ちて、面白かった。このオーケストラの精妙なニュアンスに富んだ個性は、今日の演奏で余すところなく発揮されていたのではないかと思う。

 カヴァコスの演奏を久しぶりに聴けたのは嬉しい。3年前の夏にエディンバラでゲルギエフと協演したプロコフィエフの協奏曲を聴いた時以来かもしれない。
 この人のヴァイオリンは骨太で強靭な精神力を持ち、野太い音色の裡に激しい緊張感をあふれさせる。しかもその演奏における陰翳の濃い表情は、並外れているだろう。ドヴォルジャークの協奏曲も見事だったが、アンコールで弾いたイザイの「ソナタ第4番」からの「アルマンド」は、実に暗い凄味を持ったものであった。

コメント

お目当てのカヴァコス。だから出かけた。他のヴァイオリン奏者とは何か違う奥にあるエネルギー。
昨年の1回しかやらないコンサートでのハイティンク指揮のベルクのコンチェルトの時も。すごいと思った。(演奏会1週間前になって、突然カヴァコスがキャンセルしてまた2日後復活したけど。)キャンセル魔にならないことを。
シャイーの指揮、段々、やっていることがスター街道から外れてしまって。Leipzigって、本人のやりたいことできるのでしょうね。今しかできないことを。

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