「ピース・オブ・ケイク(a piece of cake)」は、英語のイディオムで、「ケーキの一片」、転じて「たやすいこと」「取るに足らない出来事」「チョロい仕事」ぐらいを意味している(らしい)。当欄は、世間に転がっている言葉を拾い上げて、かぶりつく試みだ。ケーキを食べるみたいに無思慮に、だ。で、咀嚼嚥下消化排泄のうえ栄養になれば上出来、食中毒で倒れるのも、まあ人生の勉強、と、基本的には前のめりの姿勢で臨む所存です。よろしくお願いします。
シリーズ
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明
632回
小田嶋隆さんとつくった『コラムの向こう側』
小田嶋さんが他界したその日(6/24)、私は新型コロナに罹った。そのため翌週末に催されたお別れ会にも参列できず、自宅にこもり、ひとり悲しみに暮れるほかなかった。
小田嶋さんが書いていた「ソニーへの手紙」
小田嶋さんの逝去が報じられてすぐ、意外な人から、弔意と「連載を愛読していたことを伝えたい」というメッセージが届きました。ソニーグループ副会長で、同社のエレクトロニクス部門を率いてきた石塚茂樹さんです。
小田嶋さんへの手紙
2022年6月24日、日経ビジネスオンライン時代から長くご執筆をいただいてきたコラムニスト、小田嶋隆さんがお亡くなりになりました。今回は、小田嶋さんに近しい方々にいただいた寄稿を掲載して、皆さんと一緒に偲びたいと思います。
小田嶋隆さん、お疲れ様でした。そしてありがとう。
日経ビジネス電子版で「『ア・ピース・オブ・警句』~世間に転がる意味不明」、日経ビジネス本誌では「『pie in the sky』~ 絵に描いた餅べーション」を連載中のコラムニスト、小田嶋隆さんが亡くなりました。追悼の意を込めて、2021年11月12日に掲載した記事「晩年は誰のもの…
○○界に残る「ホモソーシャル」
「○○界」と外部から呼ばれてしまう閉鎖的な分野は、どれもこれも、均質的で排他的で、身内大事で、ピラミッド的な体育会系ライクな人間集団なのである。
カジュアルさにひそむ責任回避
方言は、謝罪にも使われる。ニュアンスとしては謝罪の意味をにおわせつつ、公式な謝罪を表明してしまった立場の不自由さから逃避するつもりでいる。
思い上がりがもたらす自縄自縛
私は、自分が自分に課した仕事のノルマからほとんどまったく逃れられないのである。これは、自分で自分を有能だと思いこんでいる人間が陥りやすい罠なのだ。
戦争が示す「コミュ力」の無力さ
「ゆるい独裁」とは、つまり、暴力や恫喝を駆使した強圧的な独裁ではなくて、コミュ力を媒介にしたやんわりとした独裁なのだろうか。
戦争を宣伝ツールに使う残念な人たち
ひとたび戦争が勃発すると、戦時報道のドサクサの中で、さまざまな立場の人々が、それぞれに別の狙いを持った独自の宣伝工作を始める。
殺意は容易に暴走する
殺意は制御可能な感情ではない。殺人のための道具である武器は、道具の本能として殺人を志向している。
勤労と職業と労働と雇用、その曖昧さを憂う
「生涯現役社会」であるとか「人生100年時代」であるとかいった惹句を、無批判に受け入れて良いものなのか、私は、少しく、疑問を抱きはじめている。
「若害」もあるのではと考える私の存在は老害なのだろうか
「老害」があるのなら、「若害」というのもあるはずだ。逆に、「老害」の反対側には「老徳」を想定することができるだろう。
「ヘイトスピーチだ」と言い返す人のお気持ちやいかに
「ヘイトスピーチ」の定義を誤解している人は珍しくない。というよりも、あえて誤解することによって「ヘイトスピーチ」の概念を無効化しようとたくらんでいる人々が、この国で多数を占めつつある、ということなのだと考えている。
アルゴリズムよ、勝手に私の視野を狭めないでおくれ
私はもっぱら、Googleニュースのトップページからクリックする形式でニュース記事を閲覧している。この手順が健全でないことは、自分ながら承知している。いずれ改めなければならないと、強くそう反省してもいる。
いつから、大声が粗暴から「コミュ力」に変わったのか
私たちは、たいして意味のないことを大声でしゃべり、面白くもないのに手を叩いて笑う人間を重要視している。しかも、そんなふうに大げさに振る舞うことこそが「コミュ力」なのだと思い込んでいる。
なぜテレビは見捨てられないのか
われわれがテレビに対して抱いている感情は、「軽蔑」であるよりは「失望」に近い。なんというのか、まだ心のどこかでテレビへの愛情と期待を抱いているということだ。だから、自分が発信したテレビへの悪口に「いいね」が殺到すると、複雑な気持ちになる。
自分の「臆病」に気づこう
私が前半生を過ごす間、牢固として思い極めていた人生観だの哲学だのの半分ほどは、前提からして無効になってしまっている。無効化したあげくに、新しく一から学び直さねばならなくなったものも少なくない。
今年もやります!2022年新春吉例いろは歌留多
新年あけましておめでとうございます。日経ビジネス電子版の年明けといえばこれ。吉例のいろは歌留多、2022年の元旦にお届けいたします。
「ときめき」はその一瞬の判断でしかない
われわれの生活と精神は「ときめき」のような一過性の感情で埋められるようなものではないのだ。
正解は常にミスを認めてそれを正していく過程の中にある
われら日本人が犯す致命的な失敗は、不決断と不実行によってもたらされているケースが圧倒的に多いように思えるからだ。私たちは、余計なことをして墓穴を掘るよりは、為すべきことに手をつけぬままにむなしく瓦解していくことの多い民族なのである。
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