新古典派経済学の限界を指摘し、社会的共通資本を重視した宇沢弘文氏(東京大学名誉教授)。「経済学の書棚」第24回前編は、その出発点となった『自動車の社会的費用』、社会的共通資本の理論と実践を自らの経験を交えて解説した『社会的共通資本』、社会的共通資本の思想的な背景と基本概念を解説した、宇沢経済学を知るのに最適な一冊『宇沢弘文の経済学』を紹介する。
東大赴任後に研究テーマを大きく転換
2024年は宇沢弘文氏(東京大学名誉教授)の没後10年に当たる。今回は、同氏が「社会的共通資本」の大切さを訴えるために一般読者向けに執筆した著書や、その真意を知る位置にいた学者による著書などを紹介する。
宇沢氏は1950~60年代に米スタンフォード大学、米シカゴ大学などで活躍した経済学者だ。主流派の新古典派経済学の枠組みの中で、数理計画法の考案、一般均衡理論の存在証明、新古典派成長理論の応用範囲を拡大する2部門モデルの構築など画期的な成果を上げ、学界で高く評価された。
1968年に東京大学に赴任した後、研究テーマを大きく転換し、「社会的共通資本」の研究と、社会での活動に力を注いだ。社会的共通資本とは何か、どんな意図でこのテーマに取り組んだのか。
路線転換の出発点は『 自動車の社会的費用 』(岩波新書/1974年6月刊)である。日本における自動車の普及や道路建設がもたらす様々な問題を「社会的費用」という概念を使って告発した同書は大きな反響を呼び、ベストセラーとなった。
新古典派経済学の限界を指摘
冒頭で、公害、環境破壊、都市問題、インフレーションなどの現代的な課題を取り扱うとき、正統的な経済理論(新古典派経済学)の限界に突き当たらざるを得なくなるとの認識を表明し、代替的な理論体系の構築を試みていると記している。
自身が依拠してきた新古典派理論とは異なるアプローチを模索しつつ、現代的な課題を象徴する自動車の問題に切り込むという宣言であり、覚悟を決めたうえで大きな一歩を踏み出したといえる。
同書によると、自動車の利用は道路という社会的資本の使用を媒介とし、一般市民の生活に大きな影響を与えている。自動車通行によって都市環境は破壊され、自然は汚染されてきた。市民生活の安全を脅かし、社会の安定性は失われつつある。にもかかわらず、自動車の利用者は社会的に発生する様々な費用を負担せず、自らの便益だけを追求しようとしている。
自動車1台で年200万円の社会的費用
安全かつ自由に歩けるという「歩行権」は市民の「生活権」にとって不可欠である。宇沢氏は、そうした権利を侵害しないような構造を持つ道路を建設し、維持するための費用を計算し、そこから自動車利用者の現実の負担額を差し引いた額を「自動車通行に関する社会的費用」の1つの尺度にするよう提案している。具体的な計算方法は同書を参照してほしいが、自動車1台当たりの年間賦課額は約200万円という金額をはじき出している。数字はたんに仮設的なものにすぎないと断っているが、大きな話題となった。
同書では自動車の普及に伴う問題を、欧米と日本の比較を踏まえてデータで裏付け、問題に対処できない新古典派経済学を批判している。
新古典派理論には様々な前提条件があり、前提に対して疑問を提起したり、命題の妥当性に疑いを抱いたりすると職業的な経済学者としての資格を問われることにさえなるという。新古典派理論では、資源配分の効率性だけを問い、所得分配の公正性を問題にしない。所得水準の高い人々はより環境が良好な場所に移り住むことが可能であり、環境破壊は「実質的所得分配」をいっそう不公正なものにする、と糾弾する。
同書には、「社会的共通資本の捉え方」と題する節があり、当初からこの概念を重視していたことが分かる。
生産や消費活動に必要な希少資源は、各経済主体に分属され、自由に使用されるような私的資源(私的資本)と、社会全体にとって共通の財産であり、広い意味で社会的に管理されるような社会的資源(社会的共通資本)の2種類に分かれると説明している。
社会的共通資本は、大気、河川、土壌などの自然資本、道路、橋、港湾などの社会資本、司法・行政制度、管理通貨制度、金融制度などの制度資本からなる。
市民が基本的な生活を営むために必要な性格を持ち、価格が変動しても需給両面で変化が少ないようなサービスを生み出す希少資源は社会的共通資本として社会的管理下に置くことによって、社会的な安定性を高めると訴える。
歩行者のための道路を社会的共通資本として建設・管理し、歩行の自由というもっとも重要な市民の権利を守り、安定した生活を確保しようとするのは典型例だと強調している。
『 社会的共通資本 』(岩波新書/2000年11月刊)は、社会的共通資本の理論と実践を、自らの経験を交えて解説した書。自動車と道路の問題から出発し、時間をかけてそれ以外の分野にも議論の対象を広げていった軌跡を追える。
ヴェブレンの「制度主義」を形に
社会的共通資本とは、分権的な市場制度が円滑に機能し、実質的所得分配が安定的となるような制度的諸条件を指す。アメリカの経済学者、ソースティン・ヴェブレンが唱えた制度主義の考え方を具体的な形に表現したものであり、もともと、自動車の社会的費用の概念を明確に理解するために考え出したという。制度主義とは、資本主義と社会主義を超えて、すべての人々の人間的尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、市民の権利を最大限に享受できるような経済体制を実現しようする考え方だとの解釈を示している。
そのうえで、社会的共通資本の各部門は職業的専門家によって、専門的知見に基づき、職業的規範に従って管理・維持されなければならないと強調している。
同書では、社会的共通資本と位置付ける部門の現状と問題点を順に取り上げている。農業と農村(第2章)、都市(第3章)、学校教育(第4章)、医療(第5章)、金融制度(第6章)、地球環境(第7章)と射程は広い。
各章で、どんな管理の方法が望ましいかを提案している。同書発刊から四半世紀近くが経過し、現状とは合わなくなった提案や、すでに頓挫した提案もあるが、問題の根源を理解するのに役立つ。
医療に独立採算の原則は妥当しない
例えば、医療をテーマとする第5章では「社会的共通資本としての医療制度を考えるとき、短期的にも、長期的にもいわゆる独立採算の原則は妥当しない。医学的最適性と経済的最適性とが一致するためには、その差を社会的に補填しなければならないからである」と述べている。
『 宇沢弘文の経済学 社会的共通資本の論理 』(日本経済新聞出版/2015年3月刊)は、社会的共通資本の思想的な背景と基本概念を解説し、地球環境、学校教育、医療などの部門別の取り組みを体系的にまとめた解説書だ。
日本政策投資銀行設備投資研究所の設立40周年を記念して私家版として刊行された宇沢弘文著『社会的共通資本と設備投資研究所』(2005年3月刊)を編集・改題し、解説を付して刊行した。
『自動車の社会的費用』、『社会的共通資本』のほか、『 経済学の考え方 』(岩波新書/1989年1月刊)、『「豊かな社会」の貧しさ』(岩波書店/1989年12月刊)、『地球温暖化の経済学』(岩波書店/1995年2月刊)、『地球温暖化を考える』(岩波新書/1995年8月刊)、『日本の教育を考える』(岩波新書/1998年7月刊)、『ゆたかな国をつくる 官僚専権を超えて』(岩波書店/1999年3月刊)などの著書も参照しており、社会的共通資本に関する論考のエッセンスが詰め込まれている。
宇沢氏の経済学を知るのに最適な一冊
第5章「社会的共通資本の考え方」では、「どのような基準にしたがって、社会的共通資本の各構成要素が管理、維持されるかは、先験的な統一原理にしたがうのではなく、そのときどきの、歴史的、経済的、社会的、文化的、自然的諸条件との関連において決められる」との認識を示している。
小島寛之・帝京大学教授は巻末の解説で、「先生の著作をほぼすべて読破している筆者にさえ新鮮な論考がふんだんに収められている。したがって、これまでに先生の著作をいくつか読んだ読者にも新しい発見のある一冊となるだろう。もちろん、初めて読む読者には、先生の経済学を知るうえで最適の一冊である」と評している。
(後編に続く)
写真/スタジオキャスパー
宇沢氏が発言してきた自動車の社会的費用、ヴェブレン、地球温暖化、医療、教育、都市など様々なテーマが、実は、「社会的共通資本」というキーワードに即して整理できることを総括して示す。宇沢氏の世界観が凝縮された、宇沢氏に関心を持つ方にとって格好の入門書。
宇沢弘文著/日本経済新聞出版/2750円(税込み)