今やどの企業も、パーパスや中期経営計画、あるいは何かしらの発表の場で地球環境に触れています。CO₂削減、カーボンニュートラル、ゼロカーボン、グリーンエネルギーなどなどなど…。逆に、こうした地球環境問題にまつわるトピックスに触れないと、「この会社、大丈夫か?」と言われる時代になりました。
ただ、地球環境問題って実際にはめちゃくちゃ難しい問題です。僕は専門家として詳しいわけでも研究者でもない。だから、いち市民として考えてはいるけれど、この問題を考えるには、目には見えない「本質を捉える力」が必要だと思っています。なぜなら、「地球」というのは僕たちにとって見えない、抽象的な概念でもあるからです。
人間は、夏になれば「昔より暑くなっているなぁ」と環境問題を実感することもありますが、夏が過ぎれば忘れてしまうものです。地球環境は急速に変わっているといわれても、その実態はなかなか見えづらいのが現実です。
それでも、僕たちが今問われているのは、目には見えない課題を認識し、行動を変えていかないと手遅れになる、ということ。これからご紹介する本は、そうした問題に対してどんなことから始めればいいのか、まずは思考のきっかけを与えてくれるものです。
明確な数字を掲げて、問題を分解する2人の天才
1. 『地球の未来のため僕が決断したこと』ビル・ゲイツ著、山田文訳、早川書房
2. 『Speed&Scale』ジョン・ドーア著、土方奈美訳、日本経済新聞出版
米国ハーバード大学ケネディ・スクールのロナルド・ハイフェッツ教授は、「全ての問題は適応課題と技術的問題の二つに分けられる」と提唱しました。技術的問題を平たく言うと、テクノロジー技術論によって解決していく問題を指します。一方、適応課題というのは、そもそもモノの見方を変えないと解決できないよ、という問題です。
身近な例として、「夫婦間のすれ違い」を挙げてみましょう。技術的問題であれば、スケジュールアプリやLINEを使って予定を共有したり、コミュニケーションを増やしたりすることで解決できるかもしれません。片や、適応課題というのは、そもそものお互いの人生観や価値観を理解し、それに基づいて生き方をどう調整するかを考えなければならない問題です。
『地球の未来のため僕が決断したこと』と『Speed&Scale』の二冊は、このうち「技術的問題」に重きを置いて、テクノロジーや既存のフレームをベースにした問題解決を説くものです。
どの企業も「課題解決に貢献する」ことは掲げますが、『 地球の未来のため僕が決断したこと 』で、ビル・ゲイツはさらに踏み込んで、「温暖化ガスの年間排出量510億トンをゼロにする」という明確なアジェンダを本の1ページ目、1行目で語りました。
『 Speed&Scale 』では、ベンチャー投資家のジョン・ドーアも、「59ギガトンの温暖化ガスをキャンセルしていこう」と訴えています。
単位こそ異なるものの、「明確な数字を掲げ、問題を分解する」という点で、この二冊には多くの共通項がある。どちらも、分解された領域ごとに責任を明確にし、技術を駆使して改善を図る方法を説いているからです。
地球環境問題という壮大なテーマでさえ、優れたビジネス脳を持つ人のフィルターを通すと、「自分たちにもできるかもしれない」という手応えを感じられる。そんな二冊だと思っています。
ちなみにドーア氏は、企業やチームの目標達成に役立つフレームワーク「OKR(Objectives and Key Results)」を提唱した人物でもあります。OKRは、何を達成したいかを明確にし、その達成を証明するための数値を示す手法ですが、この『Speed&Scale』でも、そんなドーア氏の卓越したビジネス的思考力が存分に感じられます。
無秩序に資源を投入して成長を“ブースト”してきた末路
3. 『レジリエンスの時代 再野生化する地球で、人類が生き抜くための大転換』ジェレミー・リフキン著、柴田裕之訳、集英社
前置きとして、先ほど紹介した二冊の続きをお話しすると、『地球の未来のため僕が決断したこと』や『Speed&Scale』は素晴らしい本だけど、この2冊には致命的なポイントがある、とも僕は思っています。それは“ドラえもんのポケット”みたいに、「この天才たちがなんとかしてくれるんじゃね?」と、読者自身が「自分には関係ない」と思ってしまう可能性があること。それだけ、著者の2人が天才的であるのですが…。そこで紹介したいのが、この『 レジリエンスの時代 再野生化する地球で、人類が生き抜くための大転換 』です。
著者のジェレミー・リフキンは、『 限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭 』(NHK出版)という本がヒットした文明評論家で、僕が個人的に注目している人物の一人でもあります。今回紹介するのは、そんなリフキンの最新刊。この本では、現在の教育が経済学を重視しすぎるあまり、熱力学を無視していると指摘しています。
「エントロピーの法則」をご存じでしょうか?これは、物理学の熱力学第二法則に基づく概念なのですが、ざっくり要約すると「一度使い切った天然資源は二度と元には戻らない」ということです。経済成長のために、かつて日本をはじめとする多くの国々は、無秩序に資源を投入して成長を“ブースト”してきた。しかし、その資源は使い切れば二度と戻りません。脱炭素はもちろん大事だけれど、限りある資源をどんなペースで使うかも、同時に考えなければいけないのです。
効率を追求し、短時間で大きいアウトプットを生み出すことに疑問を持たない生き方を見つめ直さないと、世界は大変なことになる――。この本は、限りある資源と僕らがどう向き合うべきか、その前提について教えてくれる一冊だと思います。
世の中を変えることは“ビビるくらい面倒くさい”
次は、「小説の力」という視点で、地球環境問題をひもといてみます。この『 ブレイク 』は、再生可能エネルギーや地熱発電の開発に奮闘する人々を描いた物語で、時代設定は今より少し先。地熱発電がローンチするという結論を含んでいるため、2030年ごろの社会を舞台としてイメージできます。
現在も地熱発電は存在しますが、この物語では「超臨界地熱発電」という、約500度の地熱をエネルギーに変え、原発に代わる日本固有のエネルギーを開発していこうじゃないか、という話です。しかしながら、この本では、世の中を変えることがいかに“ビビるくらい面倒くさい”かが、いやというほど描かれている。
その面倒くささには二つの要素があって、一つは新しいテクノロジーを開発するということの難しさ。そしてもう一つは、政治の難しさです。この本を読んでいると、特に後者において、世論を動かし民意を獲得しながら、新たな技術開発にしっかり予算を投下していくということが、いかに難度が高いかが分かる。
最初に紹介したビル・ゲイツやジョン・ドーアの本を読んで、天才たちが軽やかに世の中をよくしてくれるイメージを持った人も、この本を読むと、「日本で地熱発電を開発するだけで、なぜこんなに大勢の人が右往左往しなければならないんだ?」という、ちょっとした絶望感を覚えるかもしれません。
作中では、なんとか超臨界地熱発電のローンチにこぎ着きますが、これが実社会だったらどうでしょうか?もしかすると、僕たちが「モノの見方」を変えないままでは、大きな課題を解決し得る技術そのものを阻害してしまうのかもしれない――。新たなテクノロジーをめぐり、様々な“摩擦”が生まれる政治の世界を垣間見ながら、そんなことに思いをはせてしまう作品です。
エネルギーの価値とその裏にある代償を知る
5. 『エネルギーをめぐる旅 文明の歴史と私たちの未来』古舘恒介著、英治出版
この『 エネルギーをめぐる旅 文明の歴史と私たちの未来 』は僕が大好きな一冊で、人間がエネルギーをどのように発見して今日的な社会を築いていったのか、旅というメタファーを通じて古舘恒介さんが記す“エネルギーの歴史”の本です。
そもそもエネルギー問題を難しく感じるのは、エネルギーにまつわる単位自体がものすごくたくさん存在していて、しかも目には見えないため、単純にイメージするのが難しいからだと思うんです。想像ができないから、我々はその価値を軽視したり、過剰に消費したりして平気で無駄遣いをしてしまう。
振り返ると、紀元前300年ごろ、アリストテレスが「エネルゲイア(energeia)」という概念を提唱して、物事がどのように動き、変化するかを考えていました。実はエネルギーとは、人間にとって新しい問いであると同時に、「いにしえからの問い」でもあるんです。
この本の最終的な問いは、「我々人間の幸せとは何か?」「強みとは何か?」というものです。物質的な豊かさは当たり前のものになり、以前は手に入らなかったものも簡単に買えるようになった。ただ、そうした社会を本当に幸せと感じるべきなのか?と古舘さんは投げかけてくる。目に見えないエネルギーの価値と、その裏にある代償について考えさせられる一冊です。
見えない「根の下の世界」に目を凝らす
6. 『マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険』スザンヌ・シマード著、三木直子訳、ダイヤモンド社
カナダの森林生態学者スザンヌ・シマードは、この『 マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険 』で、「木はコミュニケーションしている」という驚きの発見を伝えています。
森や林に自生しているとしても、木そのものは単体で存在しているように見えますよね。ですが、近年の研究で、木の根にある菌根菌(きんこんきん)を媒介して、地下で情報や栄養をやりとりしていることが明らかになりました。
この本に登場する「マザーツリー」と呼ばれる大きな古木は、周囲の若い木が栄養不足や病気に陥ると、菌根菌ネットワークを通じてコミュニケーションを行い、栄養を分け与えたりしていた。普段は見えない根の下には、驚くべき世界が広がっていることが分かってきています。
地球環境問題、あるいはエネルギーの課題を理解するのが難しいのは、目には見えない本質を見る力が必要だから、と冒頭でお話ししました。この「マザーツリー」が教えてくれるのも、根の下で何が起きているのか、目には見えない本質を探究することの大切さだと感じます。
僕自身、仕事で山に行き、林業に携わる人たちの話を聞く機会が多いのですが、自然の生態系というのは目に見えるようでいて、人間が合理的に理解している部分は非常に限られているのだと気付かされる。この本も、そんな気付きを与えてくれる本だと思います。
「モノの見方を変える」にはアートの力が必要不可欠
技術的な問題をベースに世の中を動かすことは非常に重要だと僕は思っています。しかし、この辺りで視点を変えて世の中を見つめ直すことも必要ではないか、とも僕は感じています。じゃあ、どうやって視点を変えればいいのか。その手助けをしてくれるのが、この『 〈問い〉から始めるアート思考 』です。
例えば、この本で紹介されているアートの中に、アーティストの長谷川愛さんが手がけた《私はイルカを産みたい…》という作品があります(記事末参照)。これは、女性が水中でイルカを出産するというテーマの作品で、人間が絶滅危惧種を代理出産するというコンセプトを描いている。それを見て、僕が感じたのは、我々の倫理のあり方はどうなっているのだろう、ということでした。
特に現代アートは、ギョッとするような際どい表現を通じて、私たちが無意識に持っている暗黙のフレームを認識させることがあります。何がアウトで、何がセーフなのか?自分でも気付いていなかったその境界を突き付けてくる。
この本は必ずしも地球環境問題と直結しているわけではありません。ですが、ハイフェッツ教授が提唱した「適応課題」に気付くためには、「モノの見方を変える」というプロセスが重要であり、僕はそのためにアートの力が必要不可欠なんじゃないか?と考えていたりします。
取材・文/金澤英恵 編集協力/山崎綾 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集部)