その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は及川卓也さんの『 ソフトウェアファースト第2版 あらゆるビジネスを一変させる最強戦略 』です。

【はじめに】

 筆者は35年以上に及ぶIT業界でのキャリアの大半を、外資系企業で過ごしてきました。その中には、マイクロソフトやグーグルのように大成功を収めている企業も含まれます。筆者が外資系企業を選んだことについて、日本を見下している、あるいは見捨てたという印象を持つ方もいらっしゃるかもしれません。しかし、本人の認識は、その逆です。日本企業で勤務している方々と同じくらい、もしかするとそれ以上に、日本の成長を強く願い続けています。

 少しだけ昔の話をします。筆者は、マイクロソフトで国際版のウィンドウズの開発に携わっていました。最後に担ったポジションは、日本語版と韓国語版のウィンドウズの開発責任者。同僚は、中国語版の開発責任者、欧州版の開発責任者など、世界各地で筆者と同じように各地域を統括しているメンバーでした。彼らは同志であると同時に、ライバルでもありました。このチームは、米国や英語圏だけでなく、世界各地で使われるウィンドウズの開発に責任を持っていて、予算確保のためには、各市場が投資に値することを示す必要がありました。開発人員を増やすにも、その地域に採用基準に見合う優秀な技術者がいることを証明する必要がありました。言葉にこそしませんでしたが、同僚とは各国や地域を代表する者として競い合う関係でもあったのです。

 筆者がマイクロソフトに勤務していた2000年代半ばまでは、米国から見ても日本は今以上に魅力ある国でした。パーソナルコンピューターメーカーも多くあり、ウィンドウズに新しい技術を搭載する際には、真っ先に相談する相手もいました。国際標準を共同で策定することもありました。周辺機器についても同じです。プリンターだけをとっても、世界市場を席巻するメーカーの多くは日本にありました。

 今はどうでしょう。パーソナルコンピューターのコモディティ化に伴って、日本では多くのメーカーが撤退しています。国民総生産(GNP)も停滞したままです。その結果、1990年代後半から今日(こんにち)にかけて、外資系企業の中には、日本の研究所を閉鎖したり、特定の製品を日本で展開しないケースが出てきています。筆者が外資系企業に勤務していた時に、ジャパンパッシングという言葉が生まれました。ジャパンバッシング、経済大国として国際競争力が突出していた日本に対してバッシング、すなわち批判や攻撃をするのではなく、パッシング、つまり日本を通り過ぎて中国やアジア各国へ投資することを示す比較的新しい言葉です。

 バブル経済崩壊後の日本における「失われた30年」の間に、こうした日本市場の軽視、あるいは無視が増えていきました。筆者は、日本の国際競争力の低下を防げなかった戦犯とも言える世代の1人なのだと自覚しています。

初版を2019年に書いた理由:「手の内化」でデジタル敗戦から脱却へ

 筆者はグーグルを退職後、日本企業の支援を始めました。当初はスタートアップを中心としていましたが、大企業も支援するようになると、日本の競争力低下の理由に少しずつ気付き始めました。それはITを過小評価し、変化を嫌う企業体質です。社会や人々が求めるものや価値観が大きく変わっているにもかかわらず、頑なに変わろうとしない姿がそこにありました。人は理解できないものを否定してしまう性(さが)があります。まさに日本企業はそのような思考回路を備えているように見えました。

 確かに、筆者が転職したころのマイクロソフトやグーグルはまだ子どものような存在で、大企業から見れば、「こんな会社はそう長続きしないだろう」と思われても仕方なかったかもしれません。実際に、注目されたもののすぐに消えてしまったIT企業も多くあります。しかし、その中でも生き残った企業は、多くの産業において、その根本的な構造から大きく変えたのです。それが「ディスラプト(破壊的)」と呼ばれる現象です。さすがに2010年代も後半になれば、ITの破壊力に気付いても良さそうなものなのに、実体が見えないという理由で、ITを虚業呼ばわりしたり、そこまでではないとしても、ITはよく分からないからとすべてをIT企業に丸投げする、そんな会社がまだ多くを占めていました。

 「デジタル敗戦」とも指摘される状況に対して強い危機意識を持った筆者は、2019年に『ソフトウェア・ファースト』第一版を上梓しました。その中で筆者は、ITの本質はソフトウェアであること、そして、ソフトウェアを自分の武器とするために「手の内化(中身をブラックボックス化せずに、自らの制御下に置くこと)」することの重要性を説きました。デジタルトランスフォーメーション(DX)という言葉は当時から認知されており、多くの企業がDXに取り組み始めていました。そこで著者は、DXを進めるにはソフトウェアの手の内化、すなわちソフトウェアファースト【編注1】が必須であることを訴えました。

編注1 初版では「ソフトウェア・ファースト」というように「・(中黒)」を入れていたが、この言葉が一般化したこともあり第2版では「ソフトウェアファースト」と表記する

 「手の内化」の意味を改めて確認すると、これはトヨタグループで使われている言葉です。トヨタ企業サイトの『トヨタ自動車75年史』【編注2】によると、80年代に発展したカーエレクトロニクス分野の関連機能をグループ内で内製化したことを「手の内化」と記しています。筆者なりにその意味を解釈すると、自社プロダクトの進化にかかわる重要な技術を自分たちが主導権を持って企画・開発し、事業上の武器にすることを「手の内化する」と言うのでしょう。

 『ソフトウェア・ファースト』第一版は筆者の予想をはるかに超えた多くの読者に手に取っていただきました。「うちの会社の役員会で話題になった」、「この本を参考に勉強会を開催した」、「新入社員の必読本にしている」、「ソフトウェアファーストという部署ができました」──。これらの言葉が筆者の元にも届きました。根が臆病な筆者は、日本企業の方々に随分と耳の痛いことを書いてしまったと心配していたので、温かい言葉に胸をなでおろしました。実際、多くの企業から研修や講演の依頼が舞い込みました。日本および日本企業がITを用いて、これまで以上に世の中に価値のある事業を展開できるように、そして再び高い国際競争力を発揮できるために、本書が少しでもお役に立っているなら嬉しく思います。

第二版を今書いた理由:DXへの真の理解が企業の成否を分ける

 そして2024年の今。第一版が出版されてから今日までで、日本の状況は劇的に改善しています。2020年から始まった新型コロナウイルスによるパンデミックにより、企業が提供するサービスの多くはデジタル化せざるを得なくなりました。緊急事態宣言に伴い、飲食店には営業自粛が要請され、文字通り生き残りをかけ、多くの店がテイクアウトやデリバリーを始めました。そこでは、スマートフォンから簡単にオーダーをできる仕組みが整備されました。店舗での飲食を提供する場合でも、ソーシャルディスタンスを考慮し、テーブルで店員を介さず、タブレット端末もしくはスマートフォンでオーダーできる店舗が増えました。

 影響が及んだのは飲食業界だけではありません。一般企業も在宅勤務が進んだことで、オンラインで仕事を進めることが当たり前になりました。ビデオ会議やオンラインでのホワイトボードなど、今ではどんな会社でも対応できるようになっています。

 国はパンデミック前からDXを推進してきました。第一版でも紹介した通称DXレポート(正式名称『DXレポート〜ITシステム「2025年の崖」克服とDXの本格的な展開〜』)【編注3】が出たのは出版の前年の2018年です。その後も、DXレポートは改訂され、さらにはその実現方法まで踏み込んだ「デジタルガバナンス・コード」やDX推進のための人材に求められるスキルセットをまとめた「デジタルスキル標準」【編注4】も制定されています。さらには、国内の進捗状況をまとめた「DX白書」【編注5】も発行されています。今まで国によるIT産業政策が必ずしも成功とは言えなかった歴史を知っている身からすると、また現実を直視せず、非現実的な打ち手を展開しているのではないかと不安に思っていましたが、これら一連の国からの発信は現状を正しく分析し、危機感を露(あら)わにしたものとなっており、DXが進まない日本企業に対する悲痛な叫びにすら思えるものとなっています。

 2021年9月、日本におけるデジタル化の遅れを解消し、デジタル社会の形成を加速することを目的として、デジタル庁が発足しました。先ほど、新型コロナウイルスによるパンデミックが日本のDXを推進したと書きましたが、同時に、行政手続きや医療や教育などの公共サービスはむしろデジタル化の遅れが露呈されたと言っても過言ではないでしょう。デジタル庁が引き継いだ形となった新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)も提供開始直後に不具合が発見されるなど、スタート時は前途多難に見えましたが、その後のマイナポータルなどは非常に使いやすいものとなっています。デジタル化の進め方はそこで使われている技術も含めて公開され、民間企業の模範になっています。

 日本が世界に誇る製造業、中でも自動車産業は「100年に一度の変革期」と呼ばれています。特にSDV(ソフトウェア・ディファインド・ビークル)への対応が焦点になっています。これは、車の価値がソフトウェアによって定義・実現されるという概念です。車は従来、ハードウェア中心で設計されていましたが、SDVではソフトウェアが中心となり、車の機能はネットワークを介して更新(アップデート)されていきます。まさに、ソフトウェアファーストです。このような背景の元、トヨタ自動車、本田技研工業、日産自動車など日本の自動車メーカーも車載ソフトウェアだけではなく、コネクテッドカーを実現するべく、通信やネットワークの先にあるクラウドと呼ばれる環境でのソフトウェア開発の内製化、つまり手の内化を進めています。

 一方で、ソフトウェアで新たな価値を生み出そうとする企業と、そうでない企業との差は、さらに開きつつあります。「DX推進のためのタスクフォースが発足したので手伝ってほしい」と言われて話を聞いてみたら、いまだに効率化や省力化のためのIT活用の話をしていたり、経営者セミナーに参加した社長が「DX」というキーワードを聞きかじり、それが何なのかはよく分からないけれど、DX担当者をやらされることになりましたという笑うに笑えない話も聞こえてきます。

 「あなたにとってDXとは?」この質問にはっきりと答えられない会社がまだ多くあります。私にとってDXとは、ITの中でも最も破壊力のあるソフトウェアを使って、人と組織、事業、そして社会を変革する、ソフトウェアファーストを実現することです。

 2019年の第一版当時からすでに、ソフトウェアファーストは欧米では当たり前の概念でした。なので、もし『ソフトウェア・ファースト』が日本で売れたら、日本が周回遅れであることの証左でもあると思っていました。売れてほしいような、売れてほしくないような……。しかし、蓋を開けてみれば予想以上の反響を呼んだことは、すでに書いた通りです。さらに言うと、今でもまだ多くの日本企業が、この考えを理解していないのが実情です。

 今度こそ、日本がソフトウェアをしっかりと活用し、以前と同じように世界で輝ける国になってほしいという気持ちで、再び筆を取り、実際にはマックブックプロですが、第二版を書くことにしました。

第二版の内容構成:「体験のサービス化」を実現するために

 第二版の構成は次の通りです。時代の変化を反映して、第一版から大きく内容構成を見直しています。

 1章では、現代社会における「体験のサービス化」の加速と、それを支える技術の重要性を解き明かします。同時に、人工知能(AI)の進化とその社会への影響、特にサービス化に与える影響についても解説し、今後を見据えたソフトウェアファーストの意義と本質を示します。

 続く2章では、ソフトウェアファーストに成功する企業と失敗する企業の違いを浮き彫りにします。さらに、日本のデジタル敗戦とその原因、製造業の現状と展望、コロナ禍で進んだ小売業の変革などを通じて、成否を分ける要因を明らかにし、成功への道筋を示します。

 その上で3章では、ソフトウェアファーストを実現する手段を説明します。迅速に新しいプロダクトを投入して、顧客のニーズに的確に応えるための具体的なステップとマネジメントを解説します。

 4章では、「手の内化」に必要な今どきの開発技法を、経営層にも理解していただけるよう、かみ砕きつつなるべく端的に説明します。DXの成功に欠かせない技術に対する見識を高め、技術選定やデータ活用の勘所を理解していただく狙いです。

 続いていよいよ、DX実践を担う組織と人材について説明します。5章では、経営層はもとより、エンジニアの方々にも向けて、強い開発組織を形づくる方法を説明します。そして6章では、そうした組織で活躍できる人材になるためにすべきことを示します。

 最後の7章では、日本企業がソフトウェアファーストを実践すべき領域と方策について、著者の考えを述べます。読者にイメージを持ってもらいやすいよう、なるべく具体的に記します。

真のDXに向けて勇気を持って踏み出そう

 第一版の「はじめに」では、著者は自分のことを「IT業界のチコちゃん」と称しました。筆者が講演会などでいくら日本の現状に警鐘を鳴らしても、聴いている人にはエンターテインメントとして消費されてしまっている。これを、NHKの番組「チコちゃんに叱られる!」になぞらえたのです。筆者の話は聴く人にある種の爽快感を与えるようで、「上司にも聴かせてやりたい」、「胸のつかえが取れた感じです」──このようなことを言っていただくのですが、その後、その会社が変わった様子はありません。チコちゃんに、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と無知を指摘され、その場は楽しいのですが、翌日には何を言われたのかさっぱり覚えていない。そんな状況と一緒です。

 このようなIT業界のチコちゃんを卒業すべく書いたのが第一版だったのですが、状況は良くなったでしょうか。すでにソフトウェアファーストに向かって前進している会社がある一方、むしろもっと悪化して、思考停止に陥っている会社も見受けられます。

 お会いしてまだわずかにもかかわらず、筆者に「どうすれば良いですか?」と聞いてくる人が多くいます。最初は「詳しくお聞きしないと分からないですし、決めるのはあなたです」と丁寧に対応していましたが、しばらくして次のように理解しました。これらの方々は筆者に背中を押してほしいのだと。何が正しいか分からない中、決断するのが怖いのでしょう。

 ふと、こうした人々に向き合っていた人がいたことを思い出しました。マツコ・デラックスさんです。バラエティ番組を中心に多数のレギュラー番組を抱える売れっ子タレントで、大衆に媚びないストレートな発言が視聴者に支持されています。もしかしたら、好き嫌いがはっきりと分かれるのかもしれませんが、筆者も争点を適切に指摘するマツコさんの発言には賛同することも多くあります。

 IT業界のチコちゃん改め、IT業界のマツコ・デラックスさんを標榜し、端的にこうしろ、ああしろと言いまくることも考えましたが、それではまた思考停止に拍車をかけるだけです。ならば、最新状況を踏まえて、ソフトウェアファーストに踏み出していただくために、そして、すでに踏み出している人々の背中を押して勇気を与えるために、この第二版に思いの丈を綴(つづ)ることにしました。

 本書が読者の皆様個人、あるいは所属組織の真のDXを推進するためにお役立ていただけることを願っております。


【目次】

画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示