12年働いた中堅システムインテグレーターをやめようと決心していたSEの後藤智彦。緊急トラブルの対応現場で出会ったすご腕の先輩SEの五十嵐優一と共に徹夜でトラブル対応にあたる過程で、仕事への前向きな気持ちを取り戻した後藤に、五十嵐はこの夜で最も大切な話を伝える。(この物語はフィクションです)
「それと、もう1つ大事なことがある」
五十嵐さんの話が、佳境に近づいているような気がした。ぼくは、「はい」と背筋を伸ばした。
「1人でできることには限界がある。システムを構築しようとすると、雑務として打ち合わせだったり、物理的なキッティングであったり、立ち会い作業であったり、保守対応など、様々な仕事が求められる」
「そうですね……」
「どれだけ能力が高くても、1人では無理だ。だから独立してフリーで稼ごうとするとシステム構築ではなく、コンサル契約の仕事が増える。資料を作ってしゃべればいいだけだからだ。ただ、仮に、オレがコンサルをしていて、1日に10万円稼げたとしよう。1年は365日しかない。土日や正月は顧客も休みだろうから、どうがんばっても年収の最大値は2500万円程度になる」
「たしかにそうですね」
そう言いながらも、それって十分すごい年収だと思った。
「だけど、1人でやるのはこれが限界。実際、毎日10万円をもらえる仕事を見つけるのは難しいし、お金を稼がない経理やら雑務対応もある。営業や、アフターフォローだって必要だ。だから、実質はその半分だな。あとは単価を2倍の1日20万円にできるかだけど、そんな条件がいい仕事が1年中もらえるほど世の中は甘くない。だから、収益を増やしていくには、仲間が要る」
「だから、会社にはたくさん社員がいるんですね」
「そう。それに、仲間がいないと大きな仕事ができない」
その言葉に、改めてハッとした。ぼくがやってきたプロジェクトだって、多くのメンバーがいたから成り立っていたんだ。
「仮にオレにいくら能力があったとしても、社員1人の会社が、大企業の何億円ものシステムに入札することはできない。人間1人の能力なんて、たかが知れている。いろいろな得意分野を持ったメンバーが集まるから、組織としての能力が結集し、大きな仕事もできる。だから、仲間は大事なんだ」
「そうですね……」
「それと」
「なんですか? 五十嵐さん」
「仲間がいると楽しい!」
五十嵐さんはとっても無邪気な表情を浮かべた。
「ぼくもそう思います。同じ仕事でも、いいメンバーに恵まれると、とても楽しいです。高校の文化祭をやっているような楽しさを感じます。そして、プロジェクトが成功したあとに、ワイワイ飲む打ち上げも最高です」
「仲間が誰かというのは、とても大事だ。『どこで働くか』『どんな仕事をするか』より『誰と仕事をするか』で会社を選ぶ人もいる。実際、グーグルなどの人気企業の場合、高収入や待遇が魅力なだけでなく、優秀な人材とともに働けることに魅力を感じる人も多い」
「……わかってきました」
ぼくは、まっすぐに五十嵐さんを見つめた。
この結論にたどり着くまで、本当に長かったけど。
「ぼくは転職せず、今の素晴らしい仲間と、やりがいのある仕事を続けろ、そういうことですね」
「そう聞こえたか」
「はい。それと」
「それと?」
「ぼくが今転職したり、独立したりしても、成功しないって暗に言ってもらえました」
そして、ぼくは頭を下げる。「ありがとうございます」
「そんなつもりはなかったんだけどな」
五十嵐さんは、とぼけた顔で笑った。
「ぼく、もっと技術力を身に付けます」
「おお。いいじゃないか」
「そのあとに、転職や独立をしてみたいと思いました。でもそのために、今はとりあえず、上司への不満は見えないゴミ箱に捨てるようにします」
「いい発想だ!」
「はい。明日からも、がんばります!」
プリンのカップもすっかり空になった。ぼくは立ち上がって、野球のピッチングのように、空のカップをゴミ箱に投げた。
「ストライーク!」
空のカップがゴミ箱に入るのを見て、春村さんが最高の笑顔で右手を真上に挙げた。
そのまま勝利インタビューをしたい気分だ。
晴れ晴れとした気分で、窓の外を見た。
「うわっ。まぶしい!」
ぼくが声を上げると、五十嵐さんも春村さんも、窓の外を見つめる。
そこには、朝日が昇っていた。
「もう、朝かあ」
「長い一晩でしたね」
「そうでしたか? 私は短く感じられました」
口々に言って、ぼくらはゴミを片付ける。まるで、お菓子を食べて、人生観を変えるためにあったような一晩だった。ぼくは死ぬ前の日も、今日のことを思い出すかもしれない、なんて感傷的なことを考える。
すでに6時。顧客が来るまで、あとわずかだった。
(つづく)
[日経クロステック 2023年9月6日付の記事を転載]