[写真]前民主党参院議員の佐藤道夫さん(1932-2009)
前民主党・新緑風会参院議員で元党倫理委員長の佐藤道夫(さとう・みちお)さんがきのう(15日)、横浜市内の病院で亡くなったそうです。享年76。16日付朝日新聞朝刊が伝えています。葬儀などの日取りは未定とのことですから、夕刊各紙でご確認ください。2004年発足の岡田執行部で党倫理委員長を務めました。
佐藤道夫さんは東京地検特捜部検事として、「外務省機密公電漏洩事件(西山記者事件)」の際、毎日新聞記者(男性)と外務省事務官(女性)との関係について、起訴状に「ひそかに情を通じ」という一文を入れて、世論を逆転させ、毎日新聞社を倒産に追い込むという大ヒットを打ちました。私はこういう鋭い人が大好きです。
とはいえ、幹部になっても毎年のように転勤する検察官に疲れたのでしょうか、佐藤さんは札幌高等検察庁検事長だった1995年夏の第17回参院選に出馬し、驚かせました。トップさんや青島さんでおなじみの「第二院クラブ(二院クラブ)」から全国比例で初当選しました。
[写真]佐藤道夫参院議員(民主党・新緑風会)
1998年~2001年にかけて二院クラブ党首(代表)をつとめましたが、2001年の第19回参院選の前月に民主党・新緑風会に移籍。スポーツ平和党の江本孟紀参院議員の民主党結党参画に続き、ミニ政党→民主党合流の流れを不動のもとし、翌年には同じくミニ政党の自由党が民主党に合流することになりました。
2002年3月4日の参院予算委員会では自民党衆院議員(当時)から圧力を受けたNGO代表者への参考人質疑が行われました。民主党参院議員として質問に立った佐藤さんは参考人にこう呼びかけ、質問を締めくくりました。
「そして、最後は、手に余るようならば、やっぱりこれは刑事告発も考えていかなければならないことで、
いささかの不正も許されないことだけは確かであります」
「どうかそういうことで今後のNGOの新しい歩みということを考えてもらいたい。
今や二十一世紀ですから、
今までと同じ、そんなことで通る時代ではないと思います。以上をもちまして、私の質問は終わります。(拍手)」
著書『検事調書の余白』は1996年にNHKでドラマ化されました。記者から「参院議員になったので、次は『議事録の余白』ですか?」と質問されると、「国会はなんて非能率、非民主的なところだと実感した」「あそこにヒューマニズムなんてないからな」と答えました(1996年1月4日朝日新聞夕刊3面「ラウンジ」)。
民主党員として過ごした6年間、当時は衆院議員だった河村たかし名古屋市長にこういう風に言っていたそうです。
「あんたが代表選に出る時には、推薦人にはワシの名前を自由に使っていいぞ。一々、電話してこんでも使っていいぞ」。(なお、佐藤さんは仙台市出身ですが、この話は河村さんから聞いたので、少し河村弁が混じっています)。
河村たかし代表候補の推薦状についぞ「佐藤道夫」の名が連なることはありませんでしたが、河村さんが佐藤先生に「なんで、僕のことをそんなに買ってくれるんですか?」と尋ねたら、ただ一言こう答えたそうです。
「 何か知らんけど、ワシ、あんたのこと好きや 」
参議院議員のあるべき姿です。
心よりご冥福をお祈りします。
asahi.com(朝日新聞社):元札幌高検検事長・元参院議員の佐藤道夫さん死去 - おくやみ・訃報
元札幌高検検事長で元参院議員の佐藤道夫(さとう・みちお)さんが、15日亡くなった。76歳だった。
次男の明夫さんによると、同日午後、横浜市内の病院で死去したという。葬儀の日取りなどは未定。
仙台市出身で、東北大法学部を卒業後、検事に任官。東京地検時代に外務省機密漏洩(ろうえい)事件を担当し、「ひそかに情を通じ」と異例の表現で起訴状を書いたことで知られる。検事を退官後、95年の参院選で二院クラブから初当選し、98~01年に代表を務めた。01年の参院選で民主党に移った。07年の政界引退後は弁護士として活動していた。
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