我が党の加賀谷健・参議院議員(元総務大臣政務官、今夏勇退)は、5月15日(水)、「総理大臣公邸に関する質問主意書(第183参質101号)」を提出。安倍内閣は10日間のしめきりぎりぎりの5月24日(金)、答弁書を閣議決定しました。
この中で、「七 旧総理大臣官邸である総理大臣公邸には、二・二六事件等の幽霊が出るとの噂があるが、それは事実か。安倍総理が公邸に引っ越さないのはそのためか」と質問。これに対して、安倍内閣は「お尋ねの件については、承知していない」と答弁しました。
ところが、これについては、2・26事件の当時に幽霊が出たという証言があります。
反乱軍に加わった坪井という腰抜け一等兵が首相官邸(現在の首相公邸)で「寝室に近づいてゆくと、暗やみの中に一人の老人がいるのが見えた。だれか、と叫ぶと、その老人は音もなく天井に消えた。それでテッキリ首相の幽霊でも出たか、と思い、急に恐ろしくなって逃げ帰った」と証言しています。
一方、「我こそは岡田啓介(首相)なり」と身代わりに死んだ松尾伝蔵・内閣嘱託の死体のそばで、寝間着を脱ぎ、羽織袴に着替えた岡田首相は、玄関から足音がしたので、廊下に出て洗面所の壁のところに立っていたところ、「今なにか、変な者がいたぞ」「じいさんだった」「しかしもう誰もいるはずがないんだから、変だぞ」「気味悪いな、帰ろう」と言って、兵隊たちは、丹念に調べることをせずに、引き返していったとしています。
つまり、坪井らは、岡田首相の幽霊が出たと怖くなって引き返したわけですが、実はその「岡田首相の幽霊」は幽霊ではなく、岡田首相本人だったという話。首相官邸・公邸をめぐる人間たちが権力の狂気の中で見る幻想こそが、幽霊であり、不安定さなのです。(参考文献『岡田啓介回顧録』163、164ページ)
私は現在の内閣総理大臣公邸の空間には、通算で2000時間以上、滞在していますが、幽霊は出るか、出ないかで言えば、おそらく出ると思います。そもそも私たち民間人に言わせれば、「事故物件」です。事故物件をオフィスから居住用に変更するとは官舎住まいの一般職国家公務員は東大出てても足りません。
安倍首相は自宅から通えばいいでしょう。
海江田ネクスト首相はどうするのでしょうか。
2・26事件は陸軍省の反乱軍を陸軍省の憲兵隊が鎮圧した事件。陸軍省軍務局としても反乱は想定外だったでしょうが、石原カンジらが鎮圧したことで、陸軍省の東条英機首相(憲兵隊長)らが9年間、永田町を支配することになりました。一方、岡田元首相のあっせんで、組閣した鈴木貫太郎首相ら海軍省出身者の力で、1945年8月15日正午、ポツダム宣言を受諾したことにより、警察庁・警視庁が永田町の秩序を支配することになりました。防衛庁発足後も、初めから、防衛庁出向歴のある警察官僚が首相官邸に常駐しています。鳩山内閣の北澤防衛相の働きかけで、防衛官僚が初めて首相秘書官室に入れるようになりました。
この警察官僚による、首相官邸・首相公邸支配は、警察官僚の思い上がりを招き、暴力団の温存、パチンコ利権の拡大、深夜営業ダンス店など風俗営業法取締行政の恣意的な運用など、官舎住まい一般職国家公務員である警察官僚の暴走が続いています。警察行政に限れば、日本は三等国です。
首相官邸を首相公邸にしたときの警察庁出向首相秘書官が、みんなの党参議院議員の小野次郎さんです。
ごらんのように、おしゃれなメガネで経産官僚のように装っていますが、間違いなく警察官僚です。昭和51年入省。
彼は、3・11より半年前の国会で次のように民主党の内閣官房長官に語っています。
「官邸の危機管理センターに遠方からリアルタイムで情報が送られてくるシステムがあるんじゃないですか」「これは私自身も証言できますし、官房長官も恐らく九月一日の防災の日なんかに地下で御覧になったと思いますが、海上保安庁であれ、警察であれ、自衛隊であれ、遠方から画像を送るシステムは官邸にある」「どこからでも画像が送れるような仕組みできていますからと自慢していた機能なんですよ」と語っています。しかし、新官邸は地下1階の情報集約ルームに、警察庁からリアルタイムで情報が伝送されますが、5階の総理執務室によく伝わりませんでした。情報は伝わらなければ意味がありません。仏つくって魂入れず。
3・11があった当月、小野次郎さんは次のように国会で語っています。
「私が官邸で五年、夏を迎えました。そのときに一番心を砕いたのは、いかにして総理大臣や官房長官に空にしてもらうかということです、官邸を。なぜかというと、電気の使用量も水の使用量も、それから働いている方の休暇も消化できません。それで、ホテルか何かに泊まっていただくと、その間はいわゆる休みの日状態にできます」
警察官僚がいかに官邸を我が者と勘違いしているかよく分かる議事録です。
田中角栄首相は午後5時を過ぎると、砂防会館にある外事務所に移ったそうです。これは、砂防会館で人と会いたいということと、官邸職員を休ませるという意思があったようです。角さんは、およそ1メートル半の距離にいる壁塗り職人にもねぎらいの声をかけたそうです。首相官邸職員は「角さんは立派だった」と話しています。
さて、岡田内閣の正副官房長官候補の一人に、大串博志さんがいます。
2013年5月28日(火)の衆・安全保障委では、自衛隊法の一部を改正する法案(183閣法63号)の参考人質疑で、大串さんが質問に立ちました。財務政務官、内閣府政務官を歴任し、社会保障と税の一体改革にも詳しい大串さんですが、安保委の質疑はこれが初めてのようです。
大串さんは「私はインドネシア大使館に書記官として2年間行っていました。そのときに、9・11を経験しましたが、インドネシア国内はイスラム教国なのでかなり動揺していました。さらに、バリ島の爆弾テロがおこり、邦人も亡くなりました。インドネシア大使館もひっくり返ったような大騒ぎになり、邦人の安否確認に奔走しました」とその経験を語りました。そして、第1次与党期に、「内閣府政務官のころ、南スーダンPKOの安全を毎日、祈っていました」としました。
今、私たちは、国家間戦争も、冷戦も、大規模な内戦もない平和な時代を過ごしています。しかし、世界中のどこで、いつ、テロリズムが起こってもおかしくない時代でもあります。「我こそは岡田啓介なり」と叫べる命がけの政治家と、そう思える総理の下に、歴史を前に進める政治を実現したいものです。
衆・消費者問題特別委では、28日、「食品表示法案(183閣法44号)」が全会一致で修正議決しました。修正案の筆頭発議者となった元復興政務官(仙台駐在)の郡和子さんは、岡田内閣の男女共同参画相の最有力候補ですが、原案の「施行後5年後の見直し」を「施行後3年後の見直し」に書き直しました。この法案は早ければ今夏施行になりますので、見直しは、2016年7月以降ということになるでしょう。郡さんも還暦前です。2016年7月以降、必ず政権を取り戻して、我が党政権が見直しましょう。
海江田内閣でも岡田内閣でも、平成の松尾伝蔵が10人ぐらいでしょうか、ちょっと何人ぐらいか、私もまだ知見が足りませんが、何人かいれば、必ず、自民党にも、官僚にも、テロルにも勝てるでしょう。それまでの3年間~15年間、臥薪嘗胆です。
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