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ドイツの首都ベルリンにある国防省で行われた退任式典で、手を振って別れを告げるアンゲラ・メルケル首相(2021年12月2日撮影)。(c)Odd ANDERSEN / POOL / AFP 【12月3日 AFP】ドイツの首都ベルリンの国防省で2日、アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相(67)の退任式が行われた。メルケル氏は送別の曲として、共産主義政権時代に「パンクのゴッドマザー」と呼ばれた歌手ニナ・ハーゲン(Nina Hagen)のヒット曲を選び、周囲を驚かせた。 ドイツでは今月8日、議会が社会民主党(SPD)のオラフ・ショルツ(Olaf Scholz)現財務相をメルケル首相の後任として正式に選出し、16年間続いた保守政権から中道左派政権へと移行する。 2日夜の式典では、正装した兵士たちが火のついたたいまつを持ち参加し、鼓笛隊が演奏する伝統的な軍楽に加え、首相自身が選んだ曲目が
ロシアのバンド・メンバーは、刑務所行きを言われた後、食糧配達人に変装してロシアから脱出しました。 ニューヨーク・タイムズ紙によると、脱出したのは、ロシアのフェミニスト・パンク・ロック集団、プッシー・ライオット(Pussy Riot)の創設メンバーの一人であるマリア・アリョーヒナ。プッシー・ライオットは長年にわたってプーチン政権への抗議活動を行っています。 彼女は2月、「ナチスの象徴のプロパガンダ」だと言われ、15日間刑務所で過ごした後、モスクワの自宅で軟禁状態にありましたが、当局が21日間の実刑判決を出したことを受けて、ロシアを逃れることを決めました。 「彼らは私たちをコントロールできないので、怖がっているのです」と彼女は言っています。 アリョーヒナは、鮮やかなグリーンのパーカーを着て、保温性の高い食品配達用のリュックを背負って逃走しました。追跡されないように、彼女は監視下にあったアパート
TOSHI-LOW 撮影/河西遼 吉田豪がTOSHI-LOWにインタビューを実施。BRAHMANをはじめとするバンド活動で生き様としてきたパンクの精神、その出会いから現在に至るまでの変化を語った。 パンク・ロック最後の扉 ――実は初対面じゃないんですよ。 TOSHI‐LOW ……うそっ!? いつ? ――20年ぐらい前、たぶん媒体は『Gb』(注1)だったと思うんですけど、BRAHMANのМVとか作っているタナカノリユキさんとの対談をボクが仕切ったことがあったんです。 TOSHI‐LOW あ、あったかも! ――検索したけどネット上に情報は何も残ってなくて。そのとき、おっぱいパブの話ですごい盛り上がったのに、後から「これは使わないでね」って言われたのが印象的 でした。 TOSHI‐LOW じゃあ使えないじゃない! ――ダハハハハ! いや、その頃と比べたら相当オープンな人になったんだろうなって。
ふとX(旧Twitter)をみたら、スティーブ・アルビニの訃報が流れてきた。 80年代後半から90年代初頭の一時期、スティーブ・アルビニは私のヒーローの一人だったし、今でもBig Blackというバンドのことを未だに考えているときがある。 現在、私の脳内はいわば金縛り状態にあり、一定の流れにそって思考をまとめることは難しい。これ以降に書き並べるものは、アルビニや彼の周辺のまつわることに関して普段考えていたことや記憶の断片でしかない。 Big Blackは80年代に活動したアメリカのシカゴのバンドである。トレブル域が強調された金属的なギター音と潤いのないドラムマシーンの音が特徴的なバンドだった。私が初めて聴いたのは87年発売の最後のスタジオアルバムとなる『SONGS ABOUT FUCKING』だったのだが、金属的で潤いのない音とドラムマシーンの疾走感に夢中になった。当時自分が主に聴いていた
フジロックが経産省の補助金を受けていたことに対して、「政府から補助金もらっておいて、その口で政府を批判するなんて、ロックというのはダサいものだね」という意見がSNS上で多数見られた。 そのことに対して、それは違うと私は思ったので、それは違うと私は言った。具体的には、「俺の中ではロックは(というかとりわけパンクは)、路上で酒飲みながら「福祉くれよ! もっとくれ! 働かないで飯食わせろ!」と愚痴ってる最悪なやつらというイメージ。だから政府の金でライブしながら政府はケチ! 政府はクソ! と言うのはロック的に(パンク的に)合ってる」とツイートした。そうして私は炎上した。2021年8月28日のことである。 まあ、こういう強い言葉を使うと、ロックとかパンクとか何もわかってないやつらから怒られて、炎上はするかなと思っていたので、そのこと自体は何も意外ではなかったのだが、驚いたのは、普段ロックやパンクに触
昼は街のお菓子屋さん、夜はパンクでロックな優しいピエロ。これがニューロティカ・あっちゃんの“普通の生活” 元「smart」編集長・佐藤誠二朗によるカルチャー・ノンフィクション連載「Don't trust under 50」。 有頂天のKERA、ラフィンノーズのチャーミーに続く、3人目のゲストはニューロティカのヴォーカル“あっちゃん”ことATSUSHI。2022年1月には、史上“最遅”で初の日本武道館ライブを成功させ、大きな話題となった。 1984年の結成時からバンドのフロントマンであり続けるあっちゃんに、自宅である八王子の『藤屋菓子店』にてロングインタビュー。4回にわたって、あっちゃんの現在、過去、そして未来に迫る。 (全4回の1回目 #1 #2 #3 #4) バンドブーム全盛期でも月給は15万円。あの頃はそれで十分満足だった 世界広しといえども、誰もがこれほど簡単に接触できる“ロックスタ
日本のパンクロックに詳しい人なら、そのバンド名を一度は聴いたことがあるのではないだろうか。 「ニューロティカ」。 1984年1月に結成され、1990年にメジャーデビュー。世のバンドブームにも乗り、ライブの集客やCDの売り上げはうなぎのぼり。バンドブームが終息してメジャーとの契約が切れると、インディーズに拠点を移して地道な音楽活動を継続。メンバーの移り変わりはあるが、ボーカルのATSUSHI(アツシ)こと“あっちゃん”は唯一のオリジナルメンバーとしてグループの顔であり続けている。 ▲写真提供/ATSUSHI 2015年にはドキュメンタリー映画『あっちゃん』を公開。2019年は、結成35周年のメモリアルイヤーを迎えた。そして今でも精力的にライブ活動を続け、2022年1月3日には初の日本武道館単独公演も決まっている。 子どものころからお菓子屋を手伝っていた あっちゃんはバンド活動を行う一方で、八
実話BUNKAタブー2023年7月号 5/16発売 通常毎月16日コンビニ・書店で発売 特別定価670円(税込) ▼性を売る女子と性を買うおっさんと性を売らせるホスト 歌舞伎町とSEX▼ジャニーズのメディア支配を崩壊させた文春の戦略▼いい人キャラHIKAKINは本当に聖人なのか▼秋篠宮家が国民から反感を買っている理由▼朝ドラ美女たちの性欲らんまん私生活▼日本がイジメ社会になったのはダウンタウンのせい▼山上徹也を英雄視したせいで岸田首相襲撃が起きたというデタラメを鈴木エイトが斬る▼売春相場の真相2023▼少子化対策の子育て世帯支援は無駄金なので今すぐ止めるべき▼任天堂VSソニー 圧倒的にソニーの勝ち▼ラーメンチェーン激マズ店決定戦▼富裕オタク暇空茜に直撃インタビュー ほか ●連載中『ロマン優光の好かれない力』は「田村淳と室井佑月が攻撃的すぎて心配」 実話BUNKA超タブー2023年5月号 コ
元セックス・ピストルズ/PiLのジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)が、40年以上連れ添う妻ノラさんの認知症が悪化し、現在、フルタイムで彼女を介護していると明かした。 ライドンは英国の新聞『The Mirror』にこう話した。「ノラはアルツハイマーなんだ……。俺はフルタイムで彼女の介護をしている。誰にも彼女の頭を混乱させはしない。俺にとっては、真の彼女はまだそこにいるんだ。俺が愛する人物は毎日、どの瞬間にも存在する。これが俺の人生だ。彼女が物事を忘れてしまったのは残念だが、俺らみんな、そんなもんだろ?」 「どんどん悪くなっている。脳がだんだん記憶できなくなり、記憶のいくつかは突然、完全に失われる」状態だが、ライドンのことは認識しているという。「これがスゴイとこなんだが、俺ら、高い金払って何人かのいわゆる専門家ってものに診てもらわなきゃならなかったが、彼らは、彼女が俺のことを決して忘れない
Mannie Fresh bumrushed the crowd and mugged for the camera. Soul Glo's Pierce Jordan stunted on office furniture. Moses Sumney played our window-side piano. Some moments were staged and others spontaneous, but sometimes an artist just needs to "break the frame" of Tiny Desk. Case in point: Our puny shelves and cluttered junk could not contain Otoboke Beaver's Yoyoyoshie, who literally lept out fro
『DEBACLE PATH 別冊2』は非常に感化されるもので、この別冊の核といえる「パンク本座談会」(「現場」からの『パンクの系譜学』批判を中心に)を特におもしろく読んだ。ここで取り上げられている川上幸之介『パンクの系譜学』(2024年、書肆侃侃房)については私もモヤモヤと不満を抱えながら読んだので、その不満がこの対談では言語化されて、読むことでツボに命中、スッキリと浄化されたような感覚がある。アカデミアから捉えられた「パンク」に対して、真っ向から、現場のパンクスたちによって、反論が繰り広げられる。痛快である。とくに、「アマチュアリズム」や「反知性主義」(権威を常に疑うこと)、「パンク文化のアカデミズムからの搾取」について言語化されていたのが見事だった。経験が重要であるパンクにおいて、フィールドワークを重視しない研究は、もちろんズレが生じるだろう。うるさい音の鳴るベニューで繰り広げられてい
遠藤ミチロウオフィスより ~遺言書公開に際して~ 4月25日に予定しておりました『遠藤ミチロウ一周忌〜ボクは元気で暮らしているよ〜』は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、公演を延期することとさせていただきました。ご来場を予定されていました皆様にはお詫び申し上げます。罹患された方々の一刻も早い快復をお祈り申し上げます。 昨年の4月25日、遠藤ミチロウはこの世を去りました。 旅をすることが日常であったミチロウは、その土地土地の人々に支えられながら歌い続けて来ました。お客様、ライブハウススタッフの皆様、共演させていただいた皆様、バンドメンバーの皆様、関係者の皆様の支えがあったからこそ最期まで歌い続けることができました。 そんな全国各地のお世話になった皆様への感謝の気持ちを、ミチロウは癌の手術の前に遺言書として遺しておりました。本日この遺言書の一部を公開させていただきます。今、このよう
ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロトさん。 バンドとは? 音楽とは? 歌って何で人の心を撃つのでしょうか。 ‥‥なんて、それらしいような、 ロックの取材っぽいことを聞いても、 まあ、だめでした。 「ヒロト」が、「ロック」について、 ただ、アタリマエのことを言うだけで、 「バンド論。」なんて浅い器を、 気持ちよくひっくり返された気分です。 とくに「前説」はありません。 ロックンロールが聴きたくなりました。 全6回の連載。担当はほぼ日奥野です。 >甲本ヒロトさんのプロフィール 2006年7月の「出現」以来、すでにシングル18枚・アルバム13枚・全国ツアー15本など精力的に活動してきたザ・クロマニヨンズのボーカリスト。過去、クロマニヨンズのギタリスト・真島昌利とともに、ザ・ブルーハーツ、ザ・ハイロウズとしても大活躍。一般のファンだけでなく、多くのミュージシャンからも熱狂的な支持を受けている。2020年
フェミニスト・パンクロックバンド「プッシー・ライオット」のメンバー、ナディア・トロコニコワは筋金入りのアクティビストだ。クレムリンに目をつけられ、投獄されただけではへこたれない。現在彼女は、ゲリラライブの代わりに「仮想通貨」という手段で社会に変化を起こそうと戦っている。 ズームの画面越しに向き合ったナディア・トロコニコワ(32)は「プッシー・ライオット」のTシャツを着ている。彼女の居る場所は、明かされていない。何が起きても動じない、不屈の決意が見てとれた。 プッシー・ライオットを結成した2011年以降、彼女が繰り出すフェミニスト・プロテストアートはいつだって大真面目の真剣勝負。観客の目には、バンドが奏でる遊び心ある音楽や無許可でおこなわれるゲリラライブは楽しそうに映ったことだろう。 それが最高潮に達したのは2012年、モスクワの救世主ハリストス大聖堂で「神の母よ、プーチンを追い払って」と歌
バンドの復活、サブスク解禁、新曲発表——ここにきてJAGATARAが大きな盛り上がりを見せている。彼らと関わりのあった音楽評論家・高橋健太郎が緊急寄稿。2019年の終わりに、伝説的バンドの歩みを振り返る。 JAGATARAのリード・ボーカルの江戸アケミが急死してから30年が過ぎようとしている。30年目の命日に当たる2020年1月27日にはOTO、EBBY、テイユウ、南流石らを中心にしたJagatara2020がコンサートを行い、2曲の新曲と80年代の未発表音源をコンパイルしたミニ・アルバム『虹色のファンファーレ』をリリースすることもアナウンスされている。ざわざわした気分で、それを待ち受けているのは、僕だけではないだろう。 Jagatara2020は2019年3月のTokyo Soy Source出演が契機となって、新曲の制作を開始。それに合わせて、多くの物事が動いたようだ。12月18日には
Left→Right YAKO,AGATA MELT-BANANAは今年で結成30周年を迎えた。あの衝撃的なデビューからもうそんなにたったのか……と感慨深くなってしまうが、去る6月17日にWRENCHとの対バンで見た彼らのライヴは、そんな感傷など軽く吹き飛ばしてしまうようなすさまじいパワーとカッティング・エッジなエネルギーに満ちていた。平たく言えば、30年前の登場時と同じように彼らは尖っていたし、2023年の今でも彼らのノイズはガリガリと時代に爪痕を残すような鋭い切っ先を突きつけていた。ハードコア・パンクやポスト・ロックやグラインドコアやノイズコアやオルタナティヴや、そんな流れから生まれてきた彼らは、今もハードネスとラウドネスとノイズとスピードとポップの最高値を弁証法的に更新し続けている。 MELT-BANANAは1993年にYAKO(vo)AGATA(g)を中心に4人組として結成された。
セックス・ピストルズのジョニー・ロットンとグレン・マトロック(Photo by Ray Stevenson/REX/Shutterstock) パンク史に深々と刻まれた1977年の金字塔、セックス・ピストルズ『勝手にしやがれ!!』(原題:Never Mind the Bollocks)。ジョニー・ロットンとグレン・マトロックが収録曲にまつわるエピソードと背景を語った。(本記事は2017年初出)。 ●【画像を見る】セックス・ピストルズ、激動の1977年を駆け抜けた4人の素顔(写真ギャラリー) 「『勝手にしやがれ!!』は非の打ち所がないレコードだけど、レコーディングしてる時はそんな風には思ってなかった」。1977年発表の歴史的名盤について、ジョニー・ロットンはそう話す。彼曰く「片耳が聞こえなくて、もう片方の耳は音感ゼロだった」というプロデューサーが仕切ったレコーディングにおいて、バンドは極めて
セックス・ピストルズ「アナーキー・イン・ザ・U.K.」を歌ったジョン・ライドン 46年後に「アナーキーはひどい考えだ」と語る セックス・ピストルズ(Sex Pistols)のフロントマンとして「Anarchy in the U.K.」を歌ったジョン・ライドン(aka ジョニー・ロットン/John Lydon)。1976年のリリースから46年後、彼は「アナーキーはひどい考えだ」と述べ、発言を事実上否定しています。 ライドンは英The Times紙に寄稿した新しいエッセイの中で、こう書いています。 「アナーキーはひどい考えだ。はっきりさせておこう。俺は無政府主義者(アナーキスト)ではない。企業の資金で運営されているにもかかわらず、その外側にいることを声高に主張している.org(※非営利団体などドメイン)の無政府主義者のサイトがあることに驚いている。とんでもない話だ」 また、エリザベス女王の即位
平日は会社員、休日はバンドマン。自己流スタイルを貫き続けた、the原爆オナニーズTAYLOWと「パンクの本質」 元「smart」編集長・佐藤誠二朗によるカルチャー・ノンフィクション連載「Don't trust under 50」。 有頂天のKERA、ラフィンノーズのチャーミー、ニューロティカのATSUSHI、ザ・スター・クラブのHIKAGEに続いて登場するのはthe原爆オナニーズのTAYLOW。1982年にバンドを結成して42年。いまも変わらず地元・名古屋を拠点に活動を続けるリアルパンクバンドのフロントマン、TAYLOWの貴重なロングインタビューをお届けする。全4回にわたって、TAYLOWの現在、過去、そして未来に迫る。 (全4回の1回目 #1 #2 #3 #4) “売れる”ことを想定していないようなバンド名 取材は5月25日(土)下北沢QLUB Queでのライブイベントにて。リハ後のポー
悲しい事実だが、1970年代に女性のパンクスが台頭するまでは、“ロックン・ロール”という男性社会において、女性が男性と同等に見られることはおろか、真面目に扱われるチャンスさえほとんどなかった。 こうした視点から見ると、かつてのロック界には独立心のある力強い女性が絶望的なほど少なかった。1960年代後期から1970年代初頭にかけての時期には、ジェファーソン・エアプレインのグレイス・スリック、今は亡きジャニス・ジョプリン、高く評価されているシンガー・ソングライターのジョニ・ミッチェルやキャロル・キングなどが頭角を現し始めている。しかしメンバー全員が女性というバンドはほとんど見られなかった。アメリカ・カナダの混成バンド、シー・トリニティやニューハンプシャー州の元祖パンク・バンド、シャッグスは、自分たちで作った曲をレコードにしようと果敢に挑戦したが、商業的な成功は収められなかった。 性別による不平
この情報は横山が代表を務めるBEAST ARTS Internationalにより各SNSで伝えられたもの。現時点で死因などの詳細については公表されていない。 G.I.S.M.は1981年に結成されたハードコアパンクバンド。「ANARCHY & VIOLENCE」をスローガンに掲げて、客席に降りた横山がオーディエンスに暴行を加えるといった暴力的なライブ活動で知られる。G.I.S.M.が参加した1984年発売のコンピレーションアルバム「ハードコア不法集会」は日本のハードコアシーンにおける金字塔的作品に。2001年にギタリストのRANDY内田が亡くなったことを受け、2002年開催のライブ「+R」をもってバンドは活動を“永久凍結”したが、2016年にオランダで開催された音楽フェス「Roadburn Festival 2016」にて14年ぶりにライブを行った。さらに、1983年リリースの1stミニ
THE TRASH、GHOUL、BAD LOTS、MASAMI & L.O.X、SQWADでボーカリストを務め、1992年に34歳の若さでこの世を去った片手のパンクス・MASAMIの生き様に迫ったノンフィクション『右手を失くしたカリスマ MASAMI伝』(4月30日発売/blueprint)が、各所で話題を呼んでいる。FORWARD/DEATH SIDEのボーカリストとして国内外へジャパニーズ・ハードコアを発信し続けているISHIYAが、関係者への綿密なインタビューをもとに綴った同書は、これまであまり記録されてこなかった80~90年代のハードコアシーンを臨場感たっぷりに伝える一冊として、当時を知るアーティストたちからも様々な声が寄せられている。 筋肉少女帯や特撮のボーカリストであり、作家としても知られる“オーケン”こと大槻ケンヂもまた、同書についてTwitterなどで熱くレコメンドしてくれ
ニューヨーク・パンクの代表的バンド、テレヴィジョン(Television)の象徴的なフロントマン、トム・ヴァーレイン(Tom Verlaine)が死去。ニューヨーク・タイムズや米NPRによると、短い闘病生活の後、ニューヨークで亡くなっています。73歳でした。 トム・ヴァーレインは、1949年にニュージャージー州生まれ。本名はトーマス・ミラー。デラウェア州ホッケシンの私立寄宿学校であるサンフォード・スクールに通っていたとき、後にリチャード・ヘルと名乗ることになるリチャード・レスター・マイヤーズと親しくなる。2人は芸術と音楽で意気投合し、一緒に学校を抜け出し、1960年代後半にニューヨークに居を構えた。そのニューヨークで、フランスの象徴主義詩人ポール・ヴェルレーヌへのオマージュとして、トム・ヴァーレインを名乗ることにした。 ヴァーレインとヘルは1972年にドラマーのビリー・フィッカと共に最初の
Home > News > RIP > R.I.P. Vivienne Westwood - 追悼:ヴィヴィアン・ウエストウッド サウス・ロンドンの湾岸地区にある巨大なスタジオで忌野清志郎のフォト・セッションが始まり、僕はやることもなくただ見学していた。彼の初ソロ・アルバム『レザー・シャープ』のために30着ほどの衣装が用意され、デイヴィス&スターが息のあった撮影を続けている。スペシャルズやピート・タウンゼンド、デヴィッド・ボウイやティアーズ・フォー・フィアーズのジャケット写真を手掛けてきた夫婦のフォトグラファーである。2人が交互にシャッターを切るので、清志郎はどっちに集中していいのかわからず、序盤はうまくいっているようには見えなかった。彼らが用意した衣装のなかにテディ・ボーイズのジャケットがあり、清志郎がそれを着てポーズを取ると、実に恰好良かった。ミックス・ダウンの合間を縫って、体を休める
GAUZEの解散は世界にとっても大きな損失だーーISHIYAが綴る、偉大なハードコアパンクバンドの功績 2022年の音楽界で、個人的に一番衝撃を受けたニュースといえば、日本で最初のハードコアパンクバンドでありながら、40年以上現役で活動し続けてきたGAUZEの解散だ。 11月も終わりに近づいていたある日、筆者がボーカルをやっているDEATH SIDEの東欧オーストリアとセルビアのツアー中に、この信じられないニュースが入ってきた。 その一報はTwitterのGAUZEオフィシャルサイトのツイートだった。 「GAUZE解散の報告 現メンバーになって以来、一人でも脱退したら解散と決めていましたが、この度それが現実となってしまった為、本日GAUZEは解散する事になりました。」 こう書かれていただけで、誰が脱退したのか、何があったのか全くわからない。これを見た瞬間に「GAUZEが解散したらしい」と、
もともと'70年代後半の東京ロッカーズに対して関西NOWAVEというのがあったんや。 関西ではINU、アーントサリー、ウルトラビデ等。 パンク・ニューウェーヴからより自由で前衛的な音楽がアングラで流行りだした。 その中心的人物が林直人(ex.INU) さんやったわけや。 '70年代終わり頃、当時、林さんは『アウトサイダー』というミニコミを発行・発信しておった。 その拠点が、大阪阿倍野にあったボロボロのジャズ(ロック)喫茶『マントヒヒ』なんや。 仙台から小山さん(YOU)が大阪へ移り住んで来たのはこの頃だと思う。 YOUは当初パンクがどうのとかというより新しい物好きだったのと違うやろかなぁ。 大阪西成のアパート『昭和荘(やったかな?)』と『マントヒヒ』はそう遠くない距離や、 林さんとの付き合いの中で、コントーションズやDNAみたいな実験的音楽に傾倒していったかな? 林さんが『アウトサイダー』
最新ニュース 悪性リンパ腫を克服し真打昇進、講談師・一龍斎貞弥「あるがままに楽しもう」当時を振り返る2023-01-25 11:55(水)詳しくはこちらプロのスタイリストが選んだ「お洋服」が家に届く!?『airCloset』が展開する“ファッションレンタルサービス”とは?2023-01-25 11:40(水)詳しくはこちら「スマホ結露」「水道管凍結」に注意!「最強寒波」到来で気をつけること、対策は?2023-01-24 21:02(火)詳しくはこちら急きょ仕事を休みに、交通・物流にも…「寒波の影響、ありますか?」アンケート結果発表2023-01-24 20:48(火)詳しくはこちら5年かけて貯めた“ポイントカード”、“免許の更新”だけなのに…あなたが“あと一手で達成できそうなこと”は?2023-01-24 19:30(火)詳しくはこちら
伝説的な日本のハードコア・パンクバンド、G.I.S.M.のヴォーカリストである横山SAKEVIが死去。横山SAKEVIが代表を務めるBEAST ARTS InternationalのSNSアカウントにて明らかにされています。 以下、BEAST ARTS Internationalの声明より 「横山SAKEVIは2023年8月24日、永眠いたしました。」 G.I.S.M.は1981年結成。東大赤門ギグでライヴデビュー。活動スローガンに“anarchy & violence”を掲げ、バイオレンスなステージを展開する。1983年、ドグマレコードから1stミニアルバム『DETESTation』を発売。日本のハードコア・パンク黎明期にリリースされたこの作品はカルト的な人気を獲得し、のちの国内外のバンドに多大な影響を与えた。『ハードコア不法集会』といった日本のハードコア史に残るオムニバス・アルバムにも
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音楽ドキュメンタリー「白い暴動」が、新型コロナウイルスの感染拡大および緊急事態宣言の発出に伴い、各動画配信サービスで4月17日よりレンタル配信される。 本作は4月3日に封切られるも、全国的に上映劇場が休館となり鑑賞が難しくなったことを受け、急遽レンタル配信される運びに。配信期間は4月17日から5月15日まで。配信プラットフォームは映画の公式SNSや配給会社ツインのTwitterを確認してほしい。配信開始日や価格は各サービスによって異なる場合がある。 順次公開を予定している劇場もあるが、本作の監督ルビカ・シャーの「混沌とした世の中でこそ、自身で考え、声を上げることの大切さを知ってもらいたい。例え自分1人だったとしても、声を上げることで仲間を見つけることができる。ともに行動し、乗り越えられるから」という言葉を受けて、ツインが配信に踏み切ったという。 “英国病”と呼ばれるほどの経済破綻状態に陥っ
Guest 0 Collections Redeem Passcode Sign In Sign Up Guest mode has some restrictions. Please sign in or sign up for free to use all the features of OTOTOY. Guest Mode Messages Collections My Page Settings Register Your Card Purchase History Points History Sign Out オトトイ読んだ Vol.10 文 : 津田結衣 今回のお題 『女パンクの逆襲──フェミニスト音楽史』 ヴィヴィエン・ゴールドマン(著)野中モモ(訳) ele-king books : 刊 出版社サイト Amazon.co.jp OTOTOYの書籍コーナー“オトトイ読んだ
Soul Glo 左からTJ・スティーヴンソン、GG・ゲラ、ピアース・ジョーダン(Photo by Christopher Postlewaite) Soul Glo(ソウル・グロー)の初来日ツアーが10月26日〜31日にかけて京都・大阪・名古屋・神奈川・東京で開催される。2022年に名門Epitaphからリリースした最新アルバム『Diaspora Problems』が世界中で絶賛され、今年のコーチェラ・フェスティバルでも圧倒的な存在感を放った「今絶対見ておくべき」ポストハードコアバンドはどのように生まれたのか? 米ローリングストーン誌が発表した、音楽産業の刷新をリードする25組「Future 25」にも選ばれた彼らの最新インタビューをお届けする。 様々なジャンルを横断するロック界の無頼漢、Soul Gloが2014年に結成された頃、フロントマンのピアース・ジョーダンはワイルドで実現不可能
「パンク」とは何か? ──反権威、自主管理、直接行動によって、自分の居場所を作る革命|『Punk! The Revolution of Everyday Life』展主宰・川上幸之介インタビュー 「パンク」とは何か? コロナ禍の日本にあって大いに話題となった展覧会『Punk! The Revolution of Everyday Life(パンク!日常生活の革命)』展の全貌、そして今あらためて「パンク」を知ることの意義について、企画&キュレーションを担当した川上幸之介氏に話を訊いた。 「パンク」という言葉から皆さんは何を連想するだろうか? 音楽のジャンルとしては、セックス・ピストルズやクラッシュが有名で、パンク・ファッションの典型といえば、モヒカン・ヘアや鋲ジャンを思い浮かべる人も多いだろう。しかし、「パンク」には、DIY精神を尊び、自主独立のライフスタイルを奨励し、インディペンデントでク
取材・文◎吉岡洋美 協力◎モモヨ、地引雄一 78年秋にバンド結成して3か月足らずで初ライヴ、翌年の野外フェス出演を経て、80年の年明けにライヴハウスデビュー。ここまでほぼ1年半にも満たないスピードで展開してきた水玉消防団。さらに初ライヴハウスでパンクシーンに足を踏み入れたこの80年は、カムラが言ったように「1年が10年ぐらいに思える」ほど、バンドのスピードとパワーは加速していく。 天鼓「ライヴハウスにも出ることが多くなると、音がどう出るのかライヴのやり方も段々分かってきて現場に慣れていったし、この1年はバンドとして曲を本当に真剣に作るようになった」 JORAでセッションのようにそれぞれが思い思いに音を出しながらオリジナル曲を作るようになったのは前述したが、それにしても「曲の作り方なんか分からなかった」(カムラ)どころか、バンドもロックにもほとんど縁のなかった女性たちが1年数ヶ月で「ジークフ
取材・文◎吉岡洋美 協力◎松本路子写真事務所、地引雄一 1978年末、5人の女性によって結成された日本のオリジナル女性パンクバンド、水玉消防団。1953年生まれの天鼓、1955年生まれのカムラ、1949年生まれの可夜、まなこ、みやもとという、結成当時23歳〜29歳のメンバーたち。そのバンドのはじまりを辿ると、まず1970年代の東京・新宿のとある場所に行き当たる。女性たちだけで運営されたというカフェ「ホーキ星」である。話は彼女たちの出会いの場となったここから始まる。 女による女のためのカフェ 1976年、新宿2丁目の古い木造二階建ての一軒家を改造し、作られたという「ホーキ星」。その目的は “女たちが集える場”。1階は食事も出来てお酒も飲めるカウンターとテーブルを配したカフェ、2階の畳の間は多くの女性関連本やイベントチラシが置かれ、お茶を飲んでくつろぐことも出来るが、フリースペースとして女性に
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