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シロクマの検索結果1 - 40 件 / 71件

シロクマに関するエントリは71件あります。 社会、 考え方、 人生 などが関連タグです。 人気エントリには 『今までの人生で脳汁が出たコンテンツ62本 - シロクマの屑籠』などがあります。
  • 今までの人生で脳汁が出たコンテンツ62本 - シロクマの屑籠

    今までの人生で脳汁がでるほど嵌ったコンテンツ125 +α本 - orangestarの雑記 数日前に、小島アジコさんが「今までの人生で脳汁がでるほど嵌ったコンテンツ125 +α本」という長ったらしい文章をブログに書いておられた。あの滅茶苦茶な長文は、不特定多数が読むことを度外視した、ふた昔ほど前のブログの文章、というよりウェブサイトの文章のようだった。 で、読んでいるうちに自分も同じことをやってみたくなった。そうすることで、私と小島アジコさんの嗜好の違いや来歴の違いだけでなく、「脳汁が出るほどハマッたものの定義の違い」みたいなものも詳らかになる気がしたからだ。このブログの常連読者さんでない人には読む価値の無い文章なので、それでも読みたい人だけ付き合ってやってください。 小学校低学年まで 小学校低学年だったのは昭和56年~59年ぐらい、ファミコンはまだ普及していなかったしビデオ録画もできなか

      今までの人生で脳汁が出たコンテンツ62本 - シロクマの屑籠
    • おれたち、黙って死んでくれると思われてませんか? - シロクマの屑籠

      togetter.com 上掲リンク先は、「氷河期世代が高齢になった時、若い世代のために切り捨てられる」的な話題のtogetterだ。私のタイムラインではよく見かける話で、実際、氷河期世代が高齢者になった時、今までどおりの社会保障が支えづらくなるのは多くの人が予想していることだ。 将来に限らず、就職氷河期世代、ロスジェネ世代とかロストジェネレーションとか呼ばれた人たちは、バブル崩壊後の影響をモロに受けて就職難に遭遇し、結婚や家族を持つ機会も逸し、これからは社会保障費のお荷物とみなされようとしている。それはそのとおりなのだろう。そんなわけで、当の氷河期世代はツイッター上で自分たちの不遇や見捨てられようとしている未来を悲観してみせる。 「おれたちを生かさないとただじゃおかないぞ」と氷河期世代は行動したか? 氷河期世代の境遇が不遇だったのはわかる。 では、その不遇な氷河期世代は「おれたちは不遇だ

        おれたち、黙って死んでくれると思われてませんか? - シロクマの屑籠
      • インターネットで民主主義が加速して良かったですね - シロクマの屑籠

        ビバ! デモクラシー! 兵庫県知事選、結果はどうあれ投票率の高さを鑑みれば民主主義が終わったどころか、真の民主主義が高らかに産声を上げたと言っていいだろう。あらかじめ地盤・看板・カバンを備えた既得権益者が勝つ時代は終わった。これからはblog、SNS、動画配信をフル活用した者が勝つ、選挙2.0の幕開けだ。— 犬紳士 (@gentledog) 2024年11月18日 民主主義が三度の飯より好きな人には、ともあれ好ましい選挙だったのではないだろうか。高い投票率。若い世代の意思表示。多くの識者が予想していなかった選挙結果。これらは、普段は投票に行かず選挙活動に関心を持たなかった人たちまで、民主主義が届いていることを示しているからだ。 先日の兵庫都知事選に限らず、昨今、識者やマスメディアが予想していなかった結果となる選挙が相次いでいる。そうした選挙で勝つのは“良識派”を嘆かせる候補だ。選挙活動の公

          インターネットで民主主義が加速して良かったですね - シロクマの屑籠
        • なめる/なめられる についての話 - シロクマの屑籠

          blog.tinect.jp 上掲リンク先の記事は、刺激的なタイトルのためか、はてなブックマークでも喧々諤々の様子になっている。私個人としては、海外でコミュニケーションをする際には、日本の標準的な構えよりも自己主張を強めにするとちょうど良い、逆に、日本の標準的な構えのままでは意思疎通に支障をきたすと思っていたので、外国の人々にまともに相手をしてもらうためには、明確に自分の意見や願望や意志を伝える・表出しないとだめだ、とは思っていた。表出のなかには、もちろん身振り手振りも含まれる。 国内外の違いはさておき、私は、「なめられるか、なめられないか」は社会適応において非常に重要だと思っている。鳩の群れを眺めていると、なめられる鳩はろくなことがなく、やせ細って死んでいく。チンパンジーなども、群れのなかでの順位のために、お互いに無理をしている感がある。であるから、「なめるか、なめられないか」は、社会的

            なめる/なめられる についての話 - シロクマの屑籠
          • 誰もが表現者になれる時代はとっくに終わってるんだよ - シロクマの屑籠

            今回の内容は、以前にも誰かが書いていたかもしれない。でもこれから私が書くことを一字一句違わず書いた人はいないはずだから、誰かに届くかもと期待しながら記してみる。 インターネットの普及期と現在を比較して、違っているところを挙げるとしたら何が挙がるだろう? アングラ感の強弱。インターネットの多数派がどんな人なのか。コミュニケーションの主な手段がウェブサイトかブログかSNSか動画か。挙げれば色々ある。 今日、まとめたいのは「誰もが表現者になれる時代の終わり」についてだ。 インターネットではさまざまな新しいネットサービスが流行っては廃れを繰り返してきた。そして共通点がある。どのサービスでも、流行期には「誰もが表現者になれる」という夢が薄らぼんやりと漂い、それに釣られて集まってくる人々がいた。 90年代から00年代のはじめはウェブサイトの時代だった。この頃インターネットをはじめたアーリーアダプターた

              誰もが表現者になれる時代はとっくに終わってるんだよ - シロクマの屑籠
            • 「いにしえの00年代のインターネットへの憧れ」はわかる気がする - シロクマの屑籠

              今の10代の人の間で、「ゼロ年代のいにしえのインターネットへの憧れ」がそこそこ共有されているっぽいのに最近気づいてる— highland (@highland_sh) 2023年12月18日 highlandさんの上掲投稿を見かけて、その少し前に読んだ00年代のブロガーの文章を連想せずにはいられなかった。 amamako.hateblo.jp gothedistance.hatenadiary.jp 未経験な世代の憧れを牽引し、その時代を経験した世代も懐古的に当時を語る、その00年代のインターネットとはどういうものだったのか? 私も思い出したくなったので少しだけ書く。 「当時のインターネットは良いことづくめじゃなかった」という一面 この問題について、同じくhighlandさんは絶対に無視できない一面にも触れている。 おもしろい個人サイトとか、フラッシュ動画とか、2ちゃんの面白コピペとか見て

                「いにしえの00年代のインターネットへの憧れ」はわかる気がする - シロクマの屑籠
              • 頑丈な人間・頑丈に見えて命を削っている人間、どちらも恐ろしい - シロクマの屑籠

                先週読んだ、「眠いと思うから眠いんです。眠いと認めなければ、いくらでも時間がうまれてきます。」という文章がなかなか忘れられず、以下のようにはてなブックマークを書いた後も反芻してしまっていた。 これは、恐ろしく、深く、重要なお話だと思いました。 できる人は限られているし万人に勧められるわけがない、生存バイアスな話でもある。でもできる人はやってのけるでしょう。 / “眠いと思うから眠いんです。眠いと認めなければ、いくらでも時間がうまれてきます。” https://t.co/03b8sP1lvq— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2025年2月19日 あんまり反芻してしまうものだから、上のコメントにおさまりきらなかった気持ちまで書いてしまいたい。 睡眠時間を削ってもてなす人物談に、複数の「恐ろしさ」を感じる くだんの文章には、風邪を風邪とも思わないような商売

                  頑丈な人間・頑丈に見えて命を削っている人間、どちらも恐ろしい - シロクマの屑籠
                • シロクマが廃墟に移り住んでいた。現実離れした北極の世界をカメラが捉える

                  コッホ氏は2021年、チュクチ自治管区にあるウランゲリ島でシロクマの姿を捉える撮影の旅に出た。ウランゲリはユネスコ世界自然遺産に登録されている島で、シロクマの繁殖地として知られている。

                    シロクマが廃墟に移り住んでいた。現実離れした北極の世界をカメラが捉える
                  • 50代で浮かび上がってくる承認欲求のヤバさ - シロクマの屑籠

                    togetter.com 正月明けに、「50代くらいになると何をやっても褒められなくて、不安になり、承認欲求をこじらせる人が多い」というtogetterを発見した。 本当だろうか? だとしたら世知辛い世の中だ、大変ですね、でも自分も無関係とは言えないな、などと思った。 そもそも、50代にもなって他人に褒められたい、それも、褒められているとはっきりわかるかたちで他者からの承認をいただきたい心境とは、どんなものだろうか。 私は、そのような心境は ・心理発達のプロセスが厳しかったことのあらわれか ・その人を取り囲む環境が特に難しくなっているか のどちらかに思われ、どっちにしても滅茶苦茶厳しいよね……といった風に思った。しかも、案外他人事とも思えなかったりもした。今回は、それらについて書いてみる。 「50代になって、わかりやすく褒められなきゃ不安ってどういう心理発達なのよ」 まず心理発達のプロセス

                      50代で浮かび上がってくる承認欲求のヤバさ - シロクマの屑籠
                    • 「本物の社畜」が生まれようとしている - シロクマの屑籠

                      www3.nhk.or.jp 今週、NHKのサイトで"在宅勤務中も禁煙"を求める企業の動きについての報道があった。野村ホールディングスは、出社している社員に加えて在宅でリモートワークしている社員にも、就業時間中は禁煙を求めるのだという。 こうした動きは社員の健康の維持と生産性向上を図るねらいがあるとのことで、イオン、カルビー、味の素なども似たような取り組みをしているという。そして働く人の健康づくりを重視した企業経営は「健康経営」と呼ばれ、経済産業省も後押ししている。 健康と生産性の名のもと、社員は飼い殺されるのか しかしこれは、社員の自由や裁量を奪うものではないだろうか。 企業が営利を求める以上、社員に生産性を期待すること自体はわかるし、その延長線として社員の健康に目を向けるのも自然な成り行きにみえる。しかし、ある社員にとって何が生産性を向上させるのか、それとも向上させないのかは個人差の大

                        「本物の社畜」が生まれようとしている - シロクマの屑籠
                      • 努力しているか否かでなく、努力でアタリを引ける確率・努力できる回数が問題ではなかったか - シロクマの屑籠

                        blog.tinect.jp 恵まれているか、恵まれていないか。 命がけといえるほど努力しているか、努力していないか。 努力するポテンシャルがあるか、努力するポテンシャルがないのか。 これらは相対的で、総論的すぎて、細やかさを欠いた比較ではある。 とはいえ親の年収や文化資本の多寡、心理的サポートや社会的サポートの有利不利の総合として、恵まれた環境で育ったと言える人・恵まれない環境で育ったと言える人はいるだろうし、その差異、その競争上の不平等を巡って不満や苛立ちの声があがるのも自然なことだと思う。 恵まれた環境で育った人が努力してないと思っている人は、そんなに多くないのでは 上掲リンク先によれば、スタンフォード大学に入り、かつ書籍を出版した人に関して、(今は消去されている)Amazonのコメントがトリガーとなってブーイングがネットに木霊したという。 そうしたブーイングのなかにも「努力している

                          努力しているか否かでなく、努力でアタリを引ける確率・努力できる回数が問題ではなかったか - シロクマの屑籠
                        • 時代は「自分のアタマで考えるな」だと思う - シロクマの屑籠

                          今の世の中、自分のアタマで考えないほうが良いターンになっていると思いませんか。 犬も歩けばフェイクに当たる これはアウト。 物理的にありえない水の動き、現実的ではない家の配置、画質と画像サイズ。AIが作成した写真です。 熊本地震の際にライオンが逃げたとフェイクニュースを流した人と同様で、災害時に不安を煽るデマを流している。通報しました。 なお、ライオンの件投稿した男性は後に逮捕されています https://t.co/WRRKb1xrWy— なかむらすばる🌻紅楼夢【き03-b】 (@subaru_chen) 2022年9月26日 先日、静岡県の水害のフェイク画像がツイッター上に流された。ある者はそれを本物と思って拡散し、別の者はフェイクだと疑って拡散を思いとどまったり、疑問の声をあげたりした。自分のタイムラインではこれに引っかかる人はいなかったように見えたけれど、皆が皆、引っかからずに済ん

                            時代は「自分のアタマで考えるな」だと思う - シロクマの屑籠
                          • 40代になってからも限界はみえない。それでもできることは減っている。 - シロクマの屑籠

                            2023年度のGWも終わって、何というでないけれどもくたびれている。このままギアを落とさず5月をやっていくのかーと思うと気分が晴れない。五月病など、あってはならないことだ。 仕事と原稿と家庭に忙殺される日々を振り返って、思う。ああ、すごくできることが増えたけれども、すごくできることが減ったなぁ、と。以下に書くことがすべての中年に当てはまるとは、私も思っちゃいない。けれども私のようなパターンにはまる中年もいるはずだし、そういう人には刺さるかなと思って、四十代後半になった一人の人間の成長と限界について書き置きしておく。 「中年の成長の限界」の予想と現実 私は昔から成長の限界について考えるくせがあって、もう20代の頃から自分の限界はどこなのか、もし限界が来るとしたらどう身を処すべきか意識してきた。不安だったのだろう。というか今でもまあまあ不安だ。 そうして20~30代の頃に想像していた「中年の限

                              40代になってからも限界はみえない。それでもできることは減っている。 - シロクマの屑籠
                            • 「何者かになりたい」と願う人とそうでない人、どこが違うのか

                              先日、私の新しい本『何者かになりたい』がイーストプレスさんからリリースされた。 想定読者は「何者かになりたい」と願わずにいられない人や「何者にもなれない」と悩んでいる人だ。 そうした気持ちをどこかに抱えながら中年期を迎えた人も、潜在的読者かもしれない。 ところで、この「何者かになりたい」「何者にもなれない」といったフレーズには、シンパシーをおぼえる人とまったくおぼえない人がいるのが通例だ。 たとえば先月、講談社ビジネスに 『「何者かになりたい人々」が、ビジネスと政治の「食い物」にされまくっている悲しい現実)』という記事が公開された時、twitterやはてなブックマークではこうした気持ちへのシンパシーがたくさん書き込まれると同時に、「そんな気持ちになったことはない」という書き込みも少なくなかった。 先月公開された『いい年した大人の『何者かになりたい』という感覚は、けっこう厄介。』という記事で

                                「何者かになりたい」と願う人とそうでない人、どこが違うのか
                              • 男性役割、いや、競争社会や上昇志向から「降りる」ことの難しさ - シロクマの屑籠

                                https://anond.hatelabo.jp/20200507171805 「男性の役割から降りても救いはない」という匿名ダイアリーの記事を読み、早口で喋りたい気持ちになったので書いてみる。 筆者は男性役割から降りた・障害者となった、と記しているが、この「男性役割」という言葉を「競争社会」や「資本主義的上昇志向」に入れ替えてもほとんど文意は損なわれないか、むしろそのほうが似合っているようにも思える。 というのも、いまどきは男性だけでなく女性も、他人に選ばれるため・良い収入を得るため・より良いポジションを得るために公私を問わない競争のただなかにあるからだ。直接お金に換算できないものも含め、バリューを求めて人々は競争し、その競争を生き抜くよう訓練される。幼稚園や稽古事に通う幼少期も、学力やモテをめぐって競争する思春期も、社会に出た後も、だいたいそうだ。 女性には「競争社会」や「資本主義的

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                                • タイトルすら読めない人の「声」は今のネットに存在するか - シロクマの屑籠

                                  note.com 先日、狂人を名乗っている小山さんが、「論破王」ひろゆきさんとtwitterで「議論」になった一部始終をnoteにまとめてらっしゃった。その内容は、ひろゆきさん自身に焦点を当てるよりも、ひろゆきさんのファン層に焦点を当てた内容だった。 小山さんは驚きをもって語る。「日本語は読めないけれど論破したい」という欲望が存在する、と。ひろゆきさんのファンからの声には、論争内容を理解したコメントがぜんぜんなくて、まったく論争内容を理解していないコメントが無限に飛んでくる、と。 自分はインターネットに20年以上どっぷり浸かり、不毛なネット論争を何十何百と繰り返してきたわけなのですが、ここまでファン層の知的レベルが低いのは確実にひろゆきさんが初めてだと思います。というか、おそらくは「論争」という知的(?)遊戯を嗜まない層にまでひろゆきさんの影響力は波及している。論争の当事者になることで、そ

                                    タイトルすら読めない人の「声」は今のネットに存在するか - シロクマの屑籠
                                  • 日本人にかかる性淘汰圧と、その行方を想像する - シロクマの屑籠

                                    はてな匿名ダイアリーと一部のtwitter界隈で、「現代の恋愛は、告白すれば告ハラ扱いされ、付き合う前に口説こうとすればセクハラやストーカー扱いされる」、という文章が注目されていた。関連して、「ぬいぐるみペニス(略してぬいペニ)」というネットスラングについても、はてなブックマークやnoteで目にした。 現代の恋愛ってぶっちゃけ平民には無理ゲーじゃない? [B! 増田] 現代の恋愛ってぶっちゃけ平民には無理ゲーじゃない? 「ぬいペニ」問題について|しの。|note 現状認識:交際までの曖昧なプロセスは難しくなっている これらに対する反応はさまざまだった。恋愛や結婚の経験のある人々は「恋愛を理解していない」「告ハラなんて言われたところで無視すればいいしセクハラほどの誘い方なんてするほうが変」「まずは異性の友達作れ」などと書いていた。 1990年代的だと思うし、だからといって間違いだとも言いづら

                                      日本人にかかる性淘汰圧と、その行方を想像する - シロクマの屑籠
                                    • 適切な言葉遣いは、身を助ける防具にも敵を排除する武器にもなる - シロクマの屑籠

                                      blog.tinect.jp 上掲リンク先の文章は「適切な言葉遣い」の重要性について書かれたものだ。混同しそうな言葉のひとつひとつを丁寧に、面倒くさがらず、厳密に選択していく必要性が経験談とともに紹介されている。 だが上司は、非常に言葉にうるさかった。 例えば「問題」と「課題」のちがい。 これは専用のテキストまであり、「絶対に混同して使うな」と教えられた。 これはのちに、小難しい議論を好む人ほど 「問題」じゃない、「課題」だ と強く主張することが結構多く、「厳密に教えてもらっていてよかった」と強く思った。 あるいは「失敗」と言うな、「成長ネタ」と言いなさい、とも言われた。 正直なところ、「馬鹿馬鹿しい」と最初は思った。 小学生じゃあるまいし、「失敗」と言って何が悪い、と。 しかし、「失敗」の発表の場で、誰が発表したいと思うだろうか。 社長が「成長ネタ」を披露してください、とコンサルタントに

                                        適切な言葉遣いは、身を助ける防具にも敵を排除する武器にもなる - シロクマの屑籠
                                      • ますます静かに・安全になっていく社会は人間を自由にするか - シロクマの屑籠

                                        anond.hatelabo.jp リンク先の文章には、近隣の公園の喧騒に過敏になり、クレームをつけるに至った人の体験談が丁寧に記されている。いつものようにはてなブックマークにはたくさんのコメントが集まっていて、さまざまな意見、見解、感想が入り混じっている。 コメントのなかには、筆者の体験を病的であるとみなし精神科病院に行くよう勧めるもの、逆に精神科病院に行くよう勧めることが問題の個人化を促し、環境の改善がおざなりになってしまうのを懸念する声も見受けられた。なるほど。とても現代的だ。ここでは、近隣での騒ぎ声についての悩みが医療化されていると同時に、行政にクレームをつけることで改善を期待するさまが読み取れる。どちらも昭和時代以前には稀なソリューションだったに違いない。 昭和時代だったらどんなソリューションになっただろうか。 決まっている。「コラー!」である。 「子供が公園で自由に騒げた時代」

                                          ますます静かに・安全になっていく社会は人間を自由にするか - シロクマの屑籠
                                        • 「僕たちの文明では感情は精神疾患」まであと何歩? - シロクマの屑籠

                                          私の気持ちは、誰のもの?(熊代亨:精神科医)#もやもやする気持ちへの処方箋|「こころ」のための専門メディア 金子書房 リンク先は、金子書房さんのnote記事に寄稿させていただいた「私の気持ちは誰のもの?」という文章だ。 社会から不適切な感情がどんどんなくなり、怒りや気分の落ち込みや不注意がどんどん治療やマネジメントの対象になっていくとしたら、私たちの気持ちはいったい誰のものなのか──そういった疑問を書き綴ったものだ。 でもって、この文章の終盤で、私は『魔法少女まどか☆マギカ』のキュウべえのセリフを拝借した。 10年ほど前にヒットしたアニメーションで、効率主義の異星人が「僕たちの文明では、感情という現象は稀な精神疾患でしかない」と主人公に言い放つ場面を見たことがあります。当時はその異星人の非-人間性に戦慄しましたが、最近の私には、それが他人事には聞こえません。効率性や生産性の妨げとなる感情や

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                                          • 散歩で急にシロクマと会っても食べるのは肉だけにしたほうがいい「肝臓1gに含まれるビタミンAが致死量を超える」

                                            ツイ鳥「ジョージ=コクム」(森に入ったのですが怪物もおらず、ツイ鳥だけがいました。赤字貿易経営者! @_596_ 散歩とかしていると急にシロクマとかに会うやん。 前にも言ったけど狩り取ったとしても 食べるのは肉だけにしなよー。 シロクマの肝臓って ビタミンAが致死量超えているからな。 北極とかでシロクマ食べてた 探検家たち全身の皮膚が剥がれて 高熱と嘔吐と下痢続いて死んでったからな(続く1 pic.twitter.com/zbQmZvxJiD ツイ鳥「ジョージ=コクム」(森に入ったのですが怪物もおらず、ツイ鳥だけがいました。赤字貿易経営者! @_596_ 北極などに行った冒険家の方々は 食料でホッキョクグマを狩って 食べている時代がありましたが 「ほぼ確実に死んでいました」 通称「ホッキョクグマの呪い」 当時はそういわれていました。 現代では解明されてビタミンAの量が 肝臓に致死量レベルで

                                              散歩で急にシロクマと会っても食べるのは肉だけにしたほうがいい「肝臓1gに含まれるビタミンAが致死量を超える」
                                            • 新型コロナウイルスと、呪術で戦っていませんでしたか - シロクマの屑籠

                                              ※今日、書くことはエビデンスを踏まえたものではありません。感染対策に貢献するものでもありません。私のエッセイ、いや思いつきでしかないことをあらかじめ断っておきます。※ (※出典:『肥後国海中の怪』(京都大学附属図書館所蔵)) 人々は、新型コロナウイルス感染症と「呪術」や「アニミズム」で戦っていたのではないだろうか。 外出自粛やマスク、手洗い、医療機関や行政機関の努力の甲斐もあって、5月27日現在、この感染症は下火に向かっているようにみえる。実際にウイルスの拡散を防いだのは医療や防疫のテクノロジーであり、そうしたテクノロジーにもとづいて専門家が助言を行い、施政が行われたからだろう。 そのことを踏まえたうえで、専門家ではない私たちの大半がどのように感染対策を"体験"したのか、あるいは"解釈"したのかについて、所感を書いてみたい。 専門家ではない私たちのなかには、この、新型コロナウイルス感染症と

                                                新型コロナウイルスと、呪術で戦っていませんでしたか - シロクマの屑籠
                                              • 2020年から見たエウレカセブン、良さ・しんどさ・わからなさ - シロクマの屑籠

                                                TVシリーズ 交響詩篇エウレカセブン Blu-ray BOX2 (特装限定版) 発売日: 2017/09/27メディア: Blu-ray 2020年の夏アニメにはあまり食指が動かず、『放課後ていぼう日誌』と『ゼロから始める異世界生活 第二期』ぐらいしか見ていなかった。で、アマゾンPrimeを眺めていたら『交響詩篇エウレカセブン』が配信されていたので、これを見ることにした。 『エウレカセブン』は2005年にオンエアされた頃から自分の好みではない作品だとわかっていて、避けていた。オタクたるもの、自分の好きな作品と嫌いな作品はおおよそわかるべきで、好きな作品にこそ時間を費やすべきだと当時は思っていたからだ。いや、今だって本当はそうだと思っている。話題の作品を追いかけたりジャンルの系統的理解のために作品を見たりするのは、本来、サブカルや批評家のやることであって、オタクは自分の好きなものを知り、好き

                                                  2020年から見たエウレカセブン、良さ・しんどさ・わからなさ - シロクマの屑籠
                                                • RE:郊外都市には文化が無い (……本当に?) - シロクマの屑籠

                                                  anond.hatelabo.jp 「郊外都市には文化が無い」、というタイトルの文章がはてな匿名ダイアリーを読んだ。 タイトルが、なんだか大きな釣り針だ。ただし、この名古屋近郊に住んでいる筆者はあるていど誠実だ。というのも、 この街の文化と呼べるものに触れ合った記憶が無い。 生まれも育ちもここなのに郷土史とか一切知らねえ。 名古屋やその近郊に文化が無いと言い切っているのでなく、名古屋やその近郊の文化を自分は知らない、と書いているからだ。 たとえば自宅と職場とショッピングモールだけを往復している生活をしていたら、自分の暮らしている場所の文化についてロクに知らないこともあるだろう。交通網が発達し、地域共同体への依存度が低いニュータウンで暮らしていれば尚更だ。 それについて、名古屋を街歩きした時を思い出しながらちょっと書いてみる。 名古屋近郊の住宅地には文化が[無い|ある] まず、名古屋近郊のg

                                                    RE:郊外都市には文化が無い (……本当に?) - シロクマの屑籠
                                                  • 解呪と供養のためにシン・エヴァンゲリオンを観に行く - シロクマの屑籠

                                                    『シン・エヴァンゲリオン劇場版』本予告・改【公式】 公開情報と延期情報が行ったり来たりしていたシン・エヴァンゲリオン劇場版の日がとうとう近づいてきた。 シン・ヱヴァンゲリヲンではなくシン・エヴァンゲリオン。 10年ほど前は、こういうカタカナの違いを云々する30代のオタク古参兵みたいな人が仰山いたような気がするが、それも記憶の彼方となった。アマゾンプライムやテレビ波で『新劇場版ヱヴァンゲリヲン』の過去三作が公開され、SNSで話題になることもあったけど、もう、カタカナの違いにこだわって大きな声をあげるような人は稀だ。エヴァンゲリオンを一生懸命に語ること、それも、90年代や00年代のようにエヴァンゲリオンを語ることはとても難しくなっている。 なんか大人の人めっちゃエヴァ好きですよねwって言われて死にたい— こじま (@801_CHAN) 2021年3月5日 801ちゃんはこんな風に言うのけど、俺

                                                      解呪と供養のためにシン・エヴァンゲリオンを観に行く - シロクマの屑籠
                                                    • いつまでも あるかわからぬ 長寿の国 - シロクマの屑籠

                                                      今日、ある方から「日本人のエイジングについて」質問をいただいたこともあり、久しぶりに日本人の平均寿命についてググってみたんですよ。そうしたら、以下のような読み取りやすいグラフがあって。 *こちらのグラフは高齢者住宅ジャーナルさんが出典となります* 皆さんは、この表を見て何を感じますか。病院に勤務している人なら、2020~2021年あたりは高齢者があまり亡くならない年だった、そのぶん2022年は亡くなる高齢者が多かった、などと思い出すかもしれません。コロナ禍の影響はここにも現れていますね。 私は、ぼんやりグラフを眺めながらこう疑問に思いました。「20年後、同じぐらい高齢者の平均寿命は長いものだろうか?」と。 このグラフの目の付けどころはどこでしょう? 医療行政の充実や医療技術の発展によって平均寿命が延びているさま、ひいては国民の健康が促進されているさま、と着眼する人は多いでしょうし、それ自体

                                                        いつまでも あるかわからぬ 長寿の国 - シロクマの屑籠
                                                      • 水星の魔女はガンダムという伝統芸能をやってのけた - シロクマの屑籠

                                                        <この文章には『機動戦士ガンダム 水星の魔女』のネタバレを含みます> 機動戦士ガンダム 水星の魔女 HG ガンダムキャリバーン 1/144スケール 色分け済みプラモデル BANDAI SPIRITS(バンダイ スピリッツ)Amazon 『機動戦士ガンダム 水星の魔女』第二期がこないだの日曜に終わった。大団円のエンディング、と言えるんじゃないだろうか。第一期に引き続いて、2020年代のガンダムとして『水星の魔女』は完結した。私はそれをうれしく思う。 2020年代にガンダムという手垢のついた、伝統すらできてしまっているIPの新作を作るのは、とても大変だろうなぁ……と放送前から思っていた。私自身、長年ガンダムを観てきた人間だから、ガンダムと銘打つからには、その作品にはガンダムらしさがあって欲しいと願っていた。歴代のガンダムだってそうだっただろう、ガンダムがガンダムらしくない時には賛否両論が沸き起

                                                          水星の魔女はガンダムという伝統芸能をやってのけた - シロクマの屑籠
                                                        • 強者の道徳だよ、二重の意味でー『21世紀の道徳』 - シロクマの屑籠

                                                          21世紀の道徳 作者:ベンジャミン・クリッツァー晶文社Amazon 去る12月、『21世紀の道徳』という書籍が出版された。筆者は、日本暮らしのアメリカ人にしてブログ『道徳的動物日記』を書いているベンジャミン・クリッツァーさんで、これまでも活発に議論をしてらっしゃった方だ。 そういう出自の方がアップトゥデイトな書籍と古典を紐解きながら、現代の道徳的問題を縦横に論じたのが本書、である。 とはいえ、同書を21世紀の道徳ダイジェストとみるのはたぶん違うと思う。いや、もちろん同書には『学問の意義』『動物倫理』『ジェンダー』『進化論とリベラル』といった道徳と縁の深い話題が並び、さまざまな書籍が紹介されているのだけど、総花的に紹介されているわけではなく、たとえば『ブルシット・ジョブ』や現代フェミニズムの書籍の幾つかなどは、かなり批判されている。でもって、通読すると筆者の道徳観が浮かび上がってきて、「なる

                                                            強者の道徳だよ、二重の意味でー『21世紀の道徳』 - シロクマの屑籠
                                                          • 「無限労働中年になれた」が勘違いだった話 - シロクマの屑籠

                                                            年齢とともに気持ちが変わり、ライフステージも変わる。すると、生活や趣味や働き方も変わる。そういうことに関心をずっと寄せていた私にとって、2023年という時は「オレ、無限に働ける中年になれたのでは?」と思える一年でした。 その気持ちを書いたのが『50歳が近づいてきた中年の人生は「香車」のよう』というタイトルの、books&appsさん向け文章だったのですが、12月も後半になってきて、だんだん「香車」やってられなくなってきまして。 blog.tinect.jp 上掲リンク先を書いたのは11月の後半ぐらいで、その頃はまだ仕事やミッションに全力投球を続けていたんですが、12月に入って疲弊してきて、年の瀬に入って「これじゃ身体かメンタルのどちらかがぶっ壊れる」と思って全力投球モードをやめました。で、全力投球モードをやめて最近は何をしているかというと、宇宙探索です。 2020年に紹介記事を書いたことの

                                                              「無限労働中年になれた」が勘違いだった話 - シロクマの屑籠
                                                            • ウマ娘プリティーダービーに片思いしていた。愛されてはいなかった。つらい - シロクマの屑籠

                                                              『ウマ娘プリティーダービー』というゲームを好きになって、頑張って時間とお金を費やしてきましたが、片思いだったことが最近やっとわかってきましてね。 (ソーシャル)ゲームの世界では近頃、「環境」だの「人権」だの物騒な言葉が聞こえてくるけれども、『ウマ娘プリティーダービー』にもそのような「環境」や「人権」に位置づけられるサポートカードがある。いわば、かつての『Fate/Grand Order』でいう諸葛孔明やキャスター・アルトリアのような存在、将棋でいえば飛車角に相当する存在だ。 そして11月、まさにその飛車角に相当するサポートカードのひとつ、「キタサンブラック」のサポートカードピックアップガチャが到来した。 まさにこの時のためにひたすらジュエルを貯めていた!よって、これをひたすら回すことにした。回すしかない。今回さずに、いつ回す。 ところがジュエルを費やしてもまったく「キタサンブラック」が出な

                                                                ウマ娘プリティーダービーに片思いしていた。愛されてはいなかった。つらい - シロクマの屑籠
                                                              • 最近の新人は「好青年」と「才媛」ばかり。けれど素直に喜べない私。

                                                                感染騒動があるとはいえ2020年度が始まり、新成人がやってきた。 医療の世界もそれは例外ではないが、ここ数年、私はルーキーに少しびびってしまっている。 というのも、研修医のクオリティが年々高くなっているように感じられるからだ。 「はじめまして。4月からお世話になります○○と申します。××大学の出身で、△△科志望です。どうかよろしくお願いいたします……。」 いまどきの研修医たちは、こういった挨拶をごく自然にこなしてみせる。 カリキュラムの確認もそつがなく、課題はきっちりやってのける。 ハキハキしていて、ポジティブで、要領が良く、理解力にも優れている。 “好青年”とか”才媛”といった言葉の似あう若者たちだ。 私がルーキーだった頃、こんなに若者たちはキラキラしていただろうか? いや、私も含め、冴えない研修医や行儀作法のなっていない研修医、要領の悪い研修医がもっとたくさんいたはずだ。 キラキラして

                                                                  最近の新人は「好青年」と「才媛」ばかり。けれど素直に喜べない私。
                                                                • 深まる秋に、50代の身の振りようを思う

                                                                  ひと雨降るごと、秋が深まってゆく。 道端で、咲き誇る彼岸花や蝉の死骸を見るたび、私は少し憂鬱になる。 つまり夏が終わって冬の足音が聞こえ始めたのだ。 コオロギやスズムシは今が最盛期だが、やがてそれらも絶えてゆくだろう。 死の横溢する冬の到来はどうにも避けられない。 人気ビジュアルノベルゲーム『月姫』には、”直死の魔眼“というものが登場する。 主人公・遠野志貴の目には万物の死、それも概念としての死が見えてしまうという。 その目を駆使して遠野志貴は危機を切り抜けてゆくのだが、そんなものが四六時中見えてしまっては正気ではいられない。 『月姫』は、そのさまもよく描いていた。 しかし平凡な私たちでも、秋から冬にはさまざまな死が見える。 芽吹きの季節や盛期があるだけでなく、秋の衰えと冬の死がやってくることを、四季は私たちに示唆してやまない。 思秋期、という言葉がその最たるものだが、洋の東西を問わず、人

                                                                    深まる秋に、50代の身の振りようを思う
                                                                  • 子どもがなんj語を使いこなすようになっていた - シロクマの屑籠

                                                                    子育てには、人生の二週目のような味わいがある。子どもが新しいことを覚え、新しい遊びをおぼえるたびに、ずっと昔に自分がそうしていた頃を追体験できるからだ。それから虫取りや海水浴といった、大人になってやらなくなった遊びも子どもによってリブートされる。親子でそれらをやっているうちに、気が付けば自分も夢中になっていたりした。 時が経つのは早い。 「人の子どもは育つのが早い」と言うけれど、自分の子どもも日進月歩で成長している。気が付けば、ゲームの上達が子どものほうが早くなっていた。親の知らないことも、あちこちからどんどん吸収してくる。心強いことだ。 ところが最近、自分の子どもがなんj語をペラペラとしゃべるようになった。 [参考]:なんJ語 (なんじぇいご)とは【ピクシブ百科事典】 なんj語とは、匿名掲示板のなんでも実況jをルーツとする一連のネットスラングだ。語尾にンゴをつける「○○ンゴ」や関西弁風の

                                                                      子どもがなんj語を使いこなすようになっていた - シロクマの屑籠
                                                                    • かつて私たちがいた世界『窓ぎわのトットちゃん』 - シロクマの屑籠

                                                                      映画『窓ぎわのトットちゃん』 オリジナル サウンドトラック NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパンAmazon ある人から、「シロクマさんは『窓ぎわのトットちゃん』を見ておいたほうがいいと思う」と勧められ、疲れたまま週明けを迎えようとしている連休最終日に観に行った。映画館に来ているお客さんは大半が私より年上で、公開から約1か月にもかかわらず客席は結構埋まっていた。 私は原作を読んでいないし、この作品を作った人たちがどういう狙いで制作したのかを知らない。この作品を自分がどう受け取めたのかを確かめてみたかったので、パンフレットのたぐいを買わなかったからだ。インターネット上での評価や噂話もほとんど知らない。先週までノーマークだったからだ。 「トットちゃんはADHD」では片づけられない世界 映画が始まって間もなく、一般的な小学校に通学するトットちゃんが描かれる。私はまず、ここでスゲーと思っ

                                                                        かつて私たちがいた世界『窓ぎわのトットちゃん』 - シロクマの屑籠
                                                                      • ロボットやアリとして「現代人らしく生きる」ということ - シロクマの屑籠

                                                                        anond.hatelabo.jp 冒頭リンク先の文章は、結婚や子育てをするでなく、仕事→給料→趣味という生活のうちに自己実現が欠如している、その実存的悩みを吐露したものだ。 文中から察するに、結婚や子育てが自己実現の一環をなし、実存的な悩みを解決してくれるような期待が仄見えるし、それは結婚や子育てをしていない人に起こりやすい期待かもしれない。その一方、世の中には結婚や子育てが自己実現の一環をなさず、承認欲求や所属欲求を獲得する糸口にすらならず、重荷になっている人もいる。 だからこの文章の重心は自己実現とその欠如、自分のためにでなく誰かのために生きざるを得ない(または生かされている)ことの虚しさや交換可能っぽさやBOTっぽさ、なのだろうと受け取った。 こうした問いかけに、ポジティブな回答を提供するのも不可能ではない。実際、ついているはてなブックマークコメントをみれば様々な考えが述べられてい

                                                                          ロボットやアリとして「現代人らしく生きる」ということ - シロクマの屑籠
                                                                        • 上等な百合アニメだった──『リコリスリコイル』、雑感 - シロクマの屑籠

                                                                          ねんどろいど リコリス リコイル 錦木千束 ノンスケール プラスチック製 塗装済み可動フィギュア グッドスマイルカンパニー(GOOD SMILE COMPANY)Amazon リコリスリコイルを上質な百合アニメだとみなすようになったのは、いつ頃からだっただろうか。 「そんなの最初からに決まっている」という人もいるだろう。序盤から千束とたきなの二人はかわいらしく、かしましかった。オープニングテーマの蹴りあうシーンは、何度見ても飽きない。 いや、そういうことじゃなくて。 「『リコリスリコイル』はとにかく上質な百合アニメとみなして眺めれば良い、それぐらいの目線で見るのがベストだ」と自覚して、視聴態度というか、視聴照度というかを変更したのはいつ頃だったのかな? と振り返ったりした。 それは中盤あたりからだったように思う。 はじめ、『リコリスリコイル』は、千束とたきなのかしましさや、ガンアクションが

                                                                            上等な百合アニメだった──『リコリスリコイル』、雑感 - シロクマの屑籠
                                                                          • もし書くことがなくなったら、俺らは一体なんなんだ - シロクマの屑籠

                                                                            書くことがなくなった - phaの日記 リンク先の文章がアップロードされた時、半目でそっと、逃げるように全文を読んだ。読んではいけないものを読んだ気分になった。 それから丸一日が経ち、寝る前に再び「書くことがなくなった」というタイトルを思い出していたら、おなかが痛くなってきた。心に引っかかっていることがある時の、そういう腹痛だとすぐにわかった。やっぱり他人事ではなかったのだ。他人事ではないから逃げるように読み、ブックマークすることもツイッターで言及することもなかった。が、腹痛をとおしてこれが自分の問題だとハッキリ認識した。たぶん、私と同じぐらいの年齢の、だんだんオンライン上で文章を書かなくなっていった人たちも他人事ではないだろう。 phaさんが言う「書くことがなくなった」の内実はどういうものだろう? あくまでオンラインの、無料の、すべての人に公開された領域に書くことがなくなったのか。それと

                                                                              もし書くことがなくなったら、俺らは一体なんなんだ - シロクマの屑籠
                                                                            • 女体化キャラ・競争社会のロマン・令和男性の生きづらさ - シロクマの屑籠

                                                                              今さら『宇宙よりも遠い場所』を観ているのだけど、これはアクティブを自負する理系の人には心地よく自己投影できるたまらない作品だったろうなあ。大きな舞台へ飛躍せんとする人間の足を引っ張る小人物の存在にも目配せが行き届いていると感じるが、そこで器の大きさを見せつける主人公の善人感よ。— すずもと (@aruto250) 2021年4月27日 しかし、可愛さを求めて女子ばかりで固めておきながら「男のロマン」が捨てられないので女子の中身をおっさんにするような作品や、女子ばかりの作品を好みながら「男の性欲」を捨てられないので百合解釈をするような受容の仕方を見ていると、女性的な表象に依存しすぎなのではないかという気になるな。— すずもと (@aruto250) 2021年4月27日 こんにちは。『宇宙よりも遠い場所』を楽しんでらっしゃったとのことで、ファンの一人として嬉しく思いました。ご指摘のような問題

                                                                                女体化キャラ・競争社会のロマン・令和男性の生きづらさ - シロクマの屑籠
                                                                              • 『人間はどこまで家畜か:現代人の精神構造』が出版されます - シロクマの屑籠

                                                                                人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書) 作者:熊代 亨早川書房Amazon 先日、大和書房さんから『「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド』が発売されたばかりですが、今度は早川書房さんから『 人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)』という書籍を発売していただくことになりました。 私がつくる書籍には2つのタイプがあって、ひとつは、現代人が心理的にも社会的にもうまく適応していくためのメソッドに重心を置いたもので、1月に発売された『「推し」で心はみたされる?』はその典型です。もうひとつは、現代社会という巨大なシステムがどんな構造や歴史的経緯から成り立っていて、私たちにどんな課題が課せられ、どういった現代特有の生きづらさを生み出しているのかを考えるタイプの書籍で、2月21日発売予定の『人間はどこまで家畜か』は後者のタイプにあたります。 同

                                                                                  『人間はどこまで家畜か:現代人の精神構造』が出版されます - シロクマの屑籠
                                                                                • 推しと宗教はどこまで同じで、どこから同じでないか - シロクマの屑籠

                                                                                  www.4gamer.net 少し前に、推しと宗教の共通性について宗教学の先生がお話している文章を読んだ。私はそれを読んである程度は納得できると同時にある程度からは納得できないものだった。ただし、くだんの先生は、私を説得するために「推しと宗教の共通性」についてしゃべっていたわけではない。それに、確かに私たちは推しに「尊さ」を見出しているから、間違ったことを述べていたって印象はなかった。 が、私も推しについては関心は持っているし、私なりに推しと宗教の異同について書いてみたくなったので、やってみることにする。 推しと宗教、共通しているところ 推しと宗教の共通点は、既にリンク先で宗教学の先生がおっしゃっていた。推しに「神聖さ」を見出しているご指摘は、巷でいう「推しが『尊い』」という言い回しとも一致しているし、推しに対してファンがある程度脳内補完したイメージを消費しているさまを福音派の話とダブらせ

                                                                                    推しと宗教はどこまで同じで、どこから同じでないか - シロクマの屑籠

                                                                                  新着記事