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はじめに 伊勢志摩地方は、石器時代から縄文時代を通じて、はるか昔から人々がすみ続け、遠くの #諏訪 #... はじめに 伊勢志摩地方は、石器時代から縄文時代を通じて、はるか昔から人々がすみ続け、遠くの #諏訪 #二上山 と行き来していたことがわかっています。 #黒曜石 #サヌカイト #下呂石 目次 石器時代〜縄文時代を通じて遠く交流する人がいた伊勢志摩地方 伊勢志摩と諏訪 参考:縄文中期の鈴山遺跡(三重県北部の菰野町) 本文 石器時代〜縄文時代を通じて遠く交流する人がいた伊勢志摩地方 Wikiの「英虞湾、あごわん、伊勢志摩南端の太平洋側の入り江の湾」の項の気になる一文。 伊勢志摩は、石器時代〜縄文時代後期、黒曜石やサヌカイトの石器を通して、遠く離れた諏訪や大和二上山と交流があったことがわかっています。 伊勢志摩の遺跡から出土した石器の原産地(二上山、下呂、諏訪)地図のブルーラインは中央構造線 ちなみに、現在の大都市圏、大阪市や名古屋市は、今よりも10m近く海が深かった 縄文の大海進期 は、まだ海の
2023/03/25 リンク