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欧州情勢にらむソ連の決断 日本軍の北進論を抑止 1938年9月にチェコスロバキア・ズデーテン地方を... 欧州情勢にらむソ連の決断 日本軍の北進論を抑止 1938年9月にチェコスロバキア・ズデーテン地方を手にしたナチスドイツのA・ヒトラーは翌年3月、ミュンヘン協定に反してチェコとスロバキアを分裂させ、占領した。謀られたN・チェンバレン英首相は宥和(ゆうわ)から抵抗に姿勢を転じ、ポーランドなど小国の安全保障を支える意向を示した。<イギリスが東・南ヨーロッパ諸国に保障を与えたのは始めてのことであり、ここに大陸の戦争がイギリスを巻き込む条件が成立した>(斉藤孝著『戦間期国際政治史』岩波現代文庫) 英仏とポーランドなどの諸国が独伊の枢軸同盟に対抗する構図の欧州では、英仏とソ連の外交交渉が依然難航した。圏外に立つことを選んだソ連は極東で、大きな転機をはらむ、日本との戦端を開くことになる。