「生きる歓び」補足

きのう書いた「生きる歓び」の感想を、若干補足する。
ただし、きのうよりも図式的になるので、あまり面白くないかもしれない。


きのうのエントリー全体のちょうどまんなかぐらいの行に、ぼくは

この「充実」した他者への奉仕は、生のなかの何かに対する否定、あるいは拒絶だとおもう。その「何か」というのは、闘争のようなことではないか。

と書いたが、作中の「私」が拒絶したい対象とは、「闘争」としての生というよりも、秩序とかシステムとしての生といったほうがいいのではないかと、その後思い直した。
この秩序というのは、視覚的な秩序、ということらしい。
視覚的な秩序に回収されないような生の姿のようなものを、この作家はとらえようと欲している、ということになるだろうか。
「生きる歓び」の最後の部分には、「私」の友人のこどもである全盲の天才少年ピアニストの話が書かれている。この結び方は、問題の子猫が回復し、片目の視力を獲得した後の話題だけに、やや奇異な印象を受けるが、小説全体が、視覚中心的でない生の可能性みたいなことをテーマにしていると考えると、納得できる気がする。

視角というのは脳の中でとても大きな比重を占めているから、視角をフルに稼動させることは脳にとってある種の負担になって、それ以外の部分の活動を抑圧するということがあるんじゃないかと私はそのときに思ったのだ。(52ページ)

私は自分の体にひたすら負荷がかかるような夢をたまに見て、そのときには視覚よりも身体全体の感覚が圧倒的に夢を支配している。そんな例を出すまでもなく、彼の子どもが現実の生活をしていて、それと同時に知覚によって構成された世界を持っているかぎり、視覚がなくても、夢はみるだろうと思った。(53ページ)

これが、この小説の末尾である。
視覚から分離され解放された夢、そこにこの小説と作家が欲望する生のビジョンがある、と考えていいだろうか。


ところで、やはり前回のエントリーの終わりの方で、ぼくは本作において「生に近接する死」とか「死の間近さ」といったものが描かれているという感想を述べた。
これが、この作家が描こうとうする生の姿の、重要な一面であるといえそうな気がする。
それは生の領域のなかにところどころ孔があいて、死の領域と通じてしまっているような世界の姿である。ドゥルーズ=ガタリが『千のプラトー』のなかで、「多孔空間」ということを書いてたと思うが、そのイメージがぴったりくる。生と死の区別が曖昧になってしまっているような世界だ。生と死との閾値が低くなっていると言ってもいいだろう。
これが、視覚中心的でない生の姿の、重要な性格ということではないか。


新潮文庫のこの本には、表題作「生きる歓び」のほかに、著者がもっとも尊敬し敬愛した作家で、親交があった田中小実昌を追悼して書かれた「小実昌さんのこと」という小説が収められている。
そのなかで、田中小実昌が死んでも、自分にはまだ一緒にいるような気がする、ということが書いてある。長い「あとがき」のなかで著者自身が書いているように、生と死に対するこのような実感は、ある時期から著者を強力にとらえるようになったものようだ。
伯父の死を思い出して書かれた「あとがき」の一節には、次のようにある。

(前略)もし来世が本当にあったとして、死にゆく過程でそれを知ることができたとしても、それでもやっぱり生きていた者にとって「生」というのは特別な執着の対象たりうる、歓ばしい状態に違いないと私は思う。

これは、「生きる歓び」に書かれた生への肯定が、生と死とが通じ合う多孔的な生の姿に裏打ちされたものだということを暗示している文章だとも思える。
だが同時に、この文章から分かるのは、いわば「来世」が「歓び」がないだけで生と連続的であるような領域としてとらえられていることだ。つまりそこは、ただ暗くかなしいだけの世界であり、生と地続きのものと考えられている。
死後の世界を、こうしたものとしてとらえる考え方は、「古事記伝」の本居宣長の思想を、どうしても思い出させる。これは、近世の日本の民衆にとっては、かなり支配的な死と生のイメージだったのではないかと思う。それはひとつのシステムとして、現在の日本の社会にも接続している思想であろう。
著者の死と生についての考え方に、それと共通したものをかんじる。


実はこの点に、田中小実昌と保坂和志との相違点があるのではないかと思う。
田中小実昌のあの世界は、生と死が地続きになっているような世界に、裏打ちされてはいなかったと思う。それは、保坂も書いているように、田中がキリスト教徒であったことが大きな理由だったのではないか。

生きる歓び (新潮文庫)

生きる歓び (新潮文庫)