認めると何かが瓦解する気がして言葉にできなかったけど、私は夫と結婚したことを後悔してるのだと思う。
夫は結婚前から姑問題という大きな欠陥のある人で、結婚式前日は憂鬱な気持ちで過ごしたことを覚えている。当時無職だった私は結婚を辞める勇気も無くてそのまま結婚して、結婚後も引き続き姑と夫に苦しめられることになる。姑と絶縁して数年たったとして、姑問題を持ってくるような性格の夫なので、その性格に愛想が尽きていた。この頃には結婚継続を望まれているから、また離婚する気力がないからしているだけだった。
なぜ彼と子供を作ったのか、不妊治療してまで、それは子供が欲しかったからだ、もう年齢的にリミットだったから一生子無しか子供を産むかその決断にピリピリして産むことを決めた、という感じだったように思う。
子供を愛している。この子の幸せが私の幸せであるという思想は過剰だと思いつつも心は素直にそう感じる。それくらい可愛い。
子供を愛している。が、夫は愛して無い、でも信用はしている。彼のことは家庭共同運営者だと思っている。
夫を愛していないこと、結婚に後悔していることを認めると、私の中の子供が、子供の存在が否定されたように感じ始め泣きたくなるので、そういうことは無かったことにしようとしてたんだと思う。でも正直結婚は失敗だった。けれど結婚の副産物である子供の存在を1ミリでも否定したくないのと、子供にそれを全く悟らせないため、自分の中でも考えないように日頃は蓋をしている。
結婚して後悔していることは失った不可逆なものが多すぎるからだ、夫に誠実に向き合うことには代償が大きすぎメリットが少なすぎた。時間、健康、可能性を考えられないくらい犠牲にした。
残ったものは少なくて、結婚してない方が幸せだったかもしれないと子供がいなければ確定で思ったはず。
夫はこの結婚に満足しているみたいだ。そもそも結婚に後ろ向きだった私に、離婚に前向きだった私に泣いて縋った人だし、問題を引き連れてきたのは彼だったし、それはそうだろう。
ただ私だけが家族の中で唯一この結婚に後悔しているのだ。でも子供に会えて良かったし、子供のいない人生は考えられないのだ。このギャップをどう扱って良いか分からなくてよく混乱している。結婚を後悔しつづけたまま生きていくのだろう。子供を愛したまま。