2025-06-22

明けの明星」と「宵の明星

ある言葉があらゆる可能世界で同じ対象を指すなら、それを<固定指示子>とよぶ。ある指示子が特定対象を、それが存在する限り常に指示するなら、その指示子はその対象を<固定的>に指示している。

XYZ (あなた名前)」というあなた名前は<固定指示子>である

さらに、その対象必然的存在するものであるなら、指示子は強い意味で<固定的>とよばれる。例えば、「2025年6月アメリカ大統領」はある特定の男、トランプを指す。しかし、トランプでなく他の誰かが2025年6月アメリカ大統領だったかもしれない(カマラハリスとか)。だから、この指示子は固定的でない。

それでは、二つの<固定指示子>を使った同一性場合にはどうだろうか。

明けの明星R1)」は「宵の明星R2)」であり、どちらも金星を指す(R1=R2)。

ところが、R1R2が<非固定指示子>で固定されることは、大いにありえる。金星場合には、

◼️「【朝方の空】の【これこれの位置】に現れる【天体】(D1)」

◼️「【夕方の空】の【これこれの位置】に現れる【天体】(D2)」

という形をとる。

したがって、「R1=R2」は<必然的>(な真理)だが、「D1=D2」は<偶然的>(な真理)だということは大いにありうるのである

このため、「R1=R2」は別の結果になりえたかもしれなかったという、「誤った見解」が生じる。

ーー

◼️「猫は動物である

という例において、私たちは驚くべき発見をした。

事実私たちの信念に反することはなにも見つかっておらず、猫は実際に動物なのである

とすれば、この真理は<偶然的真理>ではなく、<必然的真理>である

これらの生き物のかわりに、近寄る人に不運をもたらす小さな悪魔が実はいた、という反事実的状況を考えてみよう。

これを、猫が悪魔であった状況として記述すべきだろうか?

いや、これらの悪魔は猫ではない、と思われる。

「猫はある種の悪魔だったと判明するかもしれない」ということはできるが、

猫が実際に動物であることが認められた以上は、現実世界においても反事実世界においても、

猫に似てしか動物でないようなものは、決して猫ではない。

そのようなもの存在したとして、それらは猫ではなく、「猫もどき」なのである

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