W.No.14077
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/29 09:48 UTC 版)
「竜崎鉄道1号蒸気機関車」の記事における「W.No.14077」の解説
No.14076と共に帝国海軍に購入されたが、こちらは比較的早期に売却処分となった。 同機は既存のNo.3が不調で代機を探していた九州の松浦炭礦が購入、2代目No.3と付番された。 松浦炭礦が購入した時点でこの機関車は既に大きく荒廃しており、運転台やボイラー上の水タンクは腐朽などにより事実上喪失状態であったとされる。そのため、松浦炭礦が導入する際には、全溶接構造のサドルタンクを新製して取り付け、運転台は廃車となった初代No.3の、つまりNo.4→佐世保鉄道No.14→ケ215形ケ215となった摂津鉄道由来のスイス・ロコモティブ・アンド・マシン・ワークス社製Cタンク機関車の同型機に搭載されていた運転台を若干の手直しの上で流用し、米瑞日合作の異様な外観の機関車となった。 松浦炭礦改め岡本彦馬専用鉄道が1933年10月24日に佐世保鉄道へ合併されると、本車は佐世保鉄道在来車との番号重複を避けてNo.13へ改番、さらに1936年10月1日の佐世保鉄道国有化で国鉄籍へ編入されると、従輪を備えていたことからケ600形ケ600と改番された。もっとも、老朽車であったことから松浦線改軌よりも一足先に休車となり、保管されていた。 しかし、竜ヶ崎鉄道よりの譲受車であるNo.2が1940年に廃車となり、しかも第二次世界大戦の開戦に伴う燃料統制でガソリンカーが事実上使用できなくなったことで、致命的な機関車不足に陥っていた赤穂鉄道が1941年に本機の払い下げを受け、C1形13として従輪を撤去した状態で使用を開始した。 つまり、赤穂鉄道は1形1となったW.No.14075の廃車解体後約5年を経て、同機と同一ロットで製作された姉妹機を、全く別の経路から再び購入したことになる。 この状態で本車は戦時中の赤穂鉄道の貨客輸送を支えたが、元々老朽車で末期はボイラーバレルの煙管を全て交換せねば蒸気機関車としての再起が不可能なほどにコンディションが悪化していたことや、1形1、つまりW.No.14075と同様、脱線癖があったこと、本車購入後1942年に、重要物資である赤穂産の塩の陸上輸送を一手に担う同鉄道に対し、車両統制会から新製蒸気機関車の割り当てが認められ、本江機械製作所製Cタンク機関車がC10形1010として新製投入されていたこと、それに客車化していた元の片ボギー式ガソリンカーを改造したディーゼル機関車(DLC10形ハ6)が一定の成功を収めていたことなどから1950年に廃車、森製作所でその台枠および動輪、サイドロッドなどを流用してDLC10形D102ディーゼル機関車が新造され、さらに不要となったボイラーは赤穂御崎の御崎館という旅館で風呂を沸かすボイラーとして転用されたと伝えられている。 なお、D102はハ6と共に1951年12月11日の赤穂鉄道廃止後、静岡鉄道駿遠線へ譲渡された。D102については1952年5月14日付けで竣工して同社DC106となった後、1955年12月に同社大手工場で第2動軸を撤去してDB606へ改造、1960年代中盤の路線短縮に伴う車両整理まで、BLW社製の動輪輪心を保ったまま使用されている。
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