1968年の橋とは? わかりやすく解説

1968年の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 00:13 UTC 版)

高砂橋 (荒川)」の記事における「1968年の橋」の解説

1956年昭和31年)頃、高砂橋架橋地点玉淀第一ダムの建設計画発表され、町はこれを契機ダムゲート併設する案を県に陳情した。県はそれを受けて具体化進めたが、具体化目前文化財保護委員会より自然保護観点から問題だとの申し立てがあったため、橋の架設ダム計画と共に中止となった。町はの上流にある蓬莱島を町が買い取った上で県に寄託し、その見返り県道への編入前提とした上で架け替え陳情したその結果昭和41年補正予算三分の一補助議決し残りは町費と起債をもって町道として架設されることになり、取り付け道路工事費を含めた総工費44417000円(県補助2440万円起債700万円)を掛けて1966年昭和41年3月28日事業着手され1966年昭和41年8月着工された。施工上部工をトピー工業(現、日鉄トピーブリッジ)、下部工株式会社山口組担当した1968年昭和43年2月埼玉県により今までのやや川下側の位置新し永久橋けられ、長105.2メートルの3径間連続鋼鈑桁橋完工した。また、橋の架設合わせて取り付け道路川下側に整備し直された。これが現在の高砂橋である。当時町が事業主体としては長、幅員、高さ、建設費何れにおいて県内最大規模のものであった。この三代目完成以って高砂橋県道編入された。4月29日午前10時30分より栗原知事数百名が列席する竣工式開通式)が行なわれ、雨宮町長によるテープカット執り行われた後、長瀞第一小学校児童らによる鼓笛隊先頭渡り初めパレード実施された。架設当初歩道設置されていなかったが、通行する車両増加に伴い歩行者の安全を守るために橋脚上流側拡幅して歩行者専用専用の「高砂橋側道橋」が架設されている。2016年平成28年1月左岸側ポケットパーク改修され秩父県土整備事務所ポケットパーク内に案内看板設置が行なわれた。案内看板には高砂橋についての詳細なデータ始め周辺の観光情報などが記されている。 この三代目年配の人たちを中心におらく呼ばれている。

※この「1968年の橋」の解説は、「高砂橋 (荒川)」の解説の一部です。
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