1968年の橋
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1956年(昭和31年)頃、高砂橋の架橋地点に玉淀第一ダムの建設計画が発表され、町はこれを契機にダムのゲートに橋を併設する案を県に陳情した。県はそれを受けて具体化を進めたが、具体化目前に文化財保護委員会より自然保護の観点から問題だとの申し立てがあったため、橋の架設はダム計画と共に中止となった。町は橋の上流にある蓬莱島を町が買い取った上で県に寄託し、その見返りに橋を県道への編入を前提とした上で架け替えを陳情した。その結果昭和41年度補正予算で三分の一補助を議決し、残りは町費と起債をもって町道橋として架設されることになり、取り付け道路工事費を含めた総工費4441万7000円(県補助2440万円、起債700万円)を掛けて1966年(昭和41年)3月28日に事業着手され、1966年(昭和41年)8月着工された。橋の施工は上部工をトピー工業(現、日鉄トピーブリッジ)、下部工を株式会社山口組が担当した。1968年(昭和43年)2月、埼玉県により今までの橋のやや川下側の位置に新しい永久橋が架けられ、橋長105.2メートルの3径間連続鋼鈑桁橋で完工した。また、橋の架設に合わせて取り付け道路が川下側に整備し直された。これが現在の高砂橋である。当時町が事業主体の橋としては橋長、幅員、高さ、建設費何れにおいて県内で最大規模のものであった。この三代目の橋の完成を以って、高砂橋は県道に編入された。橋は4月29日午前10時30分より栗原知事他数百名が列席する中竣工式(開通式)が行なわれ、雨宮町長によるテープカットが執り行われた後、長瀞第一小学校の児童らによる鼓笛隊を先頭に渡り初めのパレードが実施された。架設当初歩道は設置されていなかったが、橋を通行する車両の増加に伴い、歩行者の安全を守るために橋脚を上流側に拡幅して歩行者専用の専用の「高砂橋側道橋」が架設されている。2016年(平成28年)1月左岸側ポケットパークが改修され、秩父県土整備事務所がポケットパーク内に案内看板の設置が行なわれた。案内看板には高砂橋についての詳細なデータを始め、周辺の観光情報などが記されている。 この三代目の橋も年配の人たちを中心におらく橋と呼ばれている。
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