藤原良門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/16 00:37 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 正六位上、内舎人 |
氏族 | 藤原北家冬嗣流 |
父母 | 父:藤原冬嗣、母:安倍雄笠の娘 |
兄弟 | 長良、良房、良方、良輔、良相、良門、良仁、良世、順子、古子 |
妻 | 飛鳥部名村の娘 高田春子(高田沙弥麿の娘) |
子 | 利基、高藤、利世 |
藤原 良門(ふじわら の よしかど)は、平安時代前期の官人。藤原北家、左大臣・藤原冬嗣の六男。官位は正六位上・内舎人。
経歴
正六位上・大舎人に叙任するが、利基・高藤の2子を儲けた直後に没したとされ、兄弟中唯一五位に昇る事がなかった[1]。そのため、事績はほとんど伝わっていない。『今昔物語集』巻12には高藤については、「父ノ内舎人年若クシテ墓无ク失給ヒケリ」と記されている。
子孫
息子高藤は娘の胤子が醍醐天皇の生母となったことから、内大臣に至り、早い時期で貴族社会において一定の地位を確立している。降って院政期に入ると、良門から8代後の藤原為房の一家が権勢を得て栄え、結果的に良門流は藤原北家を代表する一族の一つとなった。この系統を中心に、良門流からは歴史上著名な人物が多数輩出されている。
利基の子孫
高藤の子孫
- 藤原顕隆…「夜の関白」と称された代表的な院近臣。葉室家祖。
- 藤原経房…権大納言。吉田家祖。
- 勧修寺流の各家…吉田、葉室、清閑寺、万里小路、中御門、勧修寺、坊城などの各家。高藤の子定方の子孫。
- 上杉氏…勧修寺流の一門、上杉重房の子孫。
その他
- 井伊氏…良門の子利世の5代の孫と称した井伊共保の子孫(※継体天皇の後裔と称した越前国坂井郡の国造三国真人を祖とする三国氏の末裔とも。ただ、利世なる人物は藤原氏のいかなる系図にも名前が存在しないとも言われる)。
系譜
- 父:藤原冬嗣
- 母:安倍雄笠の娘
- 妻:飛鳥部名村の娘
- 長男:藤原利基
- 妻:高田春子(高田沙弥麿の娘)
- 次男:藤原高藤(838-900)
- 生母不詳の子女
- 藤原利世(前述の通り井伊氏の祖先とされる人物であるが、実在した確証はない)
脚注
参考文献
固有名詞の分類
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