経済改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:35 UTC 版)
「ニュージーランドの歴史」の記事における「経済改革」の解説
第二次世界大戦は、イギリスに深刻な損害をもたらしたのに対し、ニュージーランドはほとんど無傷であった。このような状況からニュージーランドはイギリスに対して特恵待遇で生産物を供給する対策を打ち出し、国内で生産される産出品目の安定市場の確保に成功する。バター、チーズ、食肉、羊毛などの主要な輸出品は90%以上がイギリスへ輸出され、その割合は輸出品全体で見ても半分以上を占めるに至った。ニュージーランド経済はイギリス市場に依存することで大躍進を遂げ、1960年代には経済成長率、国民所得が先進諸国の最高水準に接近するなど、栄華を極めた。 しかし、1973年にイギリスが欧州諸共同体に加盟すると、それまで大きく依存していたイギリス市場を喪失することとなり、一転して経済は不安定となった。さらに翌1974年と1979年のオイルショックが追い討ちをかけニュージーランド・ドルは大規模な下落を記録した。1982年にはインフレ率が17.6%に上昇し、政府は緊急対策として「物価・賃金・金利統制令」を発動したが、あまり効果は挙げられなかった。失業率が上昇し、財政赤字が増大する中、当時の首相ロバート・マルドゥーンは、「シンク・ビッグ計画」を打ち出し、大々的な経済改革に乗り出した。シンク・ビッグ計画は外債調達資金による大規模な工業開発計画であったが、結果的に失敗に終わり、多額の負債を抱えたニュージーランド政府は破綻してしまうこととなる。この失敗から1984年には労働党政権が誕生し、ロジャーノミクスといった新自由主義的改革が推し進められ、財政赤字を解消するための行政改革に乗り出し、高福祉・高負担の社会主義的政策が撤廃され、ニュージーランドの福祉制度は後退を見た。この影響で1991年には医療崩壊や、犯罪の増加、高等教育の質の低下が起き、失業者が20万人を超える経済不況に見舞われたが、1993年をピークに徐々に混乱は落ち着き、ニュージーランド経済の体質と構造は大きく変革を遂げた。
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