犬山道節
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「南総里見八犬伝の登場人物」の記事における「犬山道節」の解説
犬山 道節 忠与(いぬやま どうせつ ただとも) 忠の珠を持つ。左肩に牡丹の痣。 長禄3年(1459年)9月、武蔵国豊島郡生まれ。父は煉馬家重臣・犬山道策貞与。浜路の異母兄。 生まれながらに左肩に瘤があった。幼少時に父の妾(浜路の母)に毒殺されたが、墓の中で蘇生した。乳母は音音である。犬山家が仕えた煉馬氏は豊島氏とともに扇谷定正らに滅ぼされ、父も討死したため、姨雪世四郎・十条兄弟らとともに扇谷定正を仇として執拗に付け狙うことになる。 道節は家伝の書を研究し火遁の術を使いこなしており、本郷円塚山での初登場時には火定を装って軍資金を集めていた。網乾左母二郎から村雨を奪取し、浜路の最期を看取っている。荘助と斬り合った際、切り裂かれた道節の左肩の瘤から珠が飛び出し、荘助の手に渡るとともに、荘助の珠を手に入れている。上州白井で村雨を用いて扇谷定正を討とうとするが、巨田助正の策によって失敗。荒芽山の音音の家で四犬士と合流し、自らも犬士として自覚すると火遁の術を棄てた。このとき、荘助と互いの珠を返し、村雨を信乃に返している。 離散後は甲斐で物語に再登場し、犬塚信乃と浜路姫を救出。犬坂毛野の仇討ちを知るとこれに乗じて扇谷定正を狙い、里見家に仕官したのちの対管領戦では洲崎口の防禦使として扇谷定正を追い詰めるが、いずれも失敗に終わっている。後に里見義成の四女・竹野姫(1468年 - ?)と結婚。三男二女を儲ける(犬山道節中心(子に犬山道節(三世))、落鮎余之八有与(落鮎余之七有種の娘婿)、三郎(後に出家して道空と名乗り、延命寺三代目住持となる)、娘(二世十条力二郎の妻)、娘(二世十条尺八郎の妻)の五人)。 扇谷家への復仇の一念のあまり、短気・短慮でトラブルメーカーとしての描かれ方をされている。内田魯庵は、「知慮分別があり過ぎる」八犬士の中で、道節を「短気で粗忽で一番人間味がある」と評している。
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犬山 道節(いぬやま どうせつ)(声:堀内賢雄)
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「里見☆八犬伝」の記事における「犬山 道節(いぬやま どうせつ)(声:堀内賢雄)」の解説
自称忍者だが、どう見てもサイボーグである「忠」の犬士。マスクを絶対に取ろうとしないなど謎が多い。他の犬士達と一緒に行動はせず、主に土の中から神出鬼没に現れる。妹の浜路が好きなシスコン。信乃と浜路の仲は認めていない。肩の大砲「火遁一号」は一撃必殺の威力を誇る。
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犬山 道節
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「戦国甲子園〜九犬士伝説〜」の記事における「犬山 道節」の解説
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犬山 道節(いぬやま どうせつ)
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「里見☆八犬伝REBOOT」の記事における「犬山 道節(いぬやま どうせつ)」の解説
練馬家重臣・犬山道策の息子にして浜路の実兄。「忠」の犬士。字の位置は左胸。
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