爆撃の推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:02 UTC 版)
「中島飛行機半田製作所」の記事における「爆撃の推移」の解説
1945年7月24日、マリアナ基地からB29が600機、硫黄島、沖縄、航空母艦から小型機が1400機発進した。B29は、大阪・名古屋・桑名・和歌山・半田の5目標(主要軍需工場)に分かれ、小型機がその前後で援護攻撃を行うというものだった。7月24日早朝から太平洋沿岸に小型機約300機が活動中との情報がラジオで流され、警戒警報と同時に半田製作所の全従業員は出勤停止となり、自宅・寮で待機せよとの指示が出された。通常は警戒警報で注意勤務、空襲警報で避難または出勤停止の指示が出されるのだが、7月24日に限り空襲必至という前述の状況から警戒警報で出勤停止としたのだった。 この日マリアナ基地を出発したアメリカ第20軍第314爆撃部隊のB29 78機は、潮岬から紀伊半島を東海岸に沿って東北に進み、松阪付近から侵入体制をとり、伊勢湾を横断して午前10時半頃、第1波が武豊町方面から半田市上空に達し、康衛町の一部と中島飛行機山方工場に対し爆撃を開始。B29 78機の編隊は高度4500〜6000mほどの上空から爆撃を開始し、250kg爆弾2149発、1t爆弾数発を投下した。雲量が8/10〜10/10であったのでレーダー観測よって実施されたという。しかしB29が肉眼ではっきり見えたと語る人も多い。爆撃時間は計18分とされB29側の被害は対空砲火により2機がわずかな損傷を受けたのみだった。 数波に分かれたB29による爆撃の直後からP51・P38などの小型機が来襲し、機銃掃射を浴びせて、さらに死傷者を増大させ、救援活動を妨害した。小型機の攻撃は夕刻まで続けられた。
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