滋賀県庁移転とは? わかりやすく解説

滋賀県庁移転

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/29 03:22 UTC 版)

磯部亀吉」の記事における「滋賀県庁移転」の解説

1891年明治24年12月16日磯部彦根への滋賀県庁移転案を滋賀県会に提出移転理由は『「大津滋賀県の南にあるため北部人民は不便を感じ県庁往復する際、常に不満の情を抱いていると主張してます。そして、鉄道合流する草津米原中間位置する彦根交通網発達して便利であり、滋賀県第一都市大津町より多く人口有する点においても、県庁を置くことが当然である」と論じました。』(滋賀県ホームページコラム1】滋賀県庁移転騒動 明治県庁移転騒動より引用)との記載がある。彦根は県中央位置しており、大津県北部の住民にとっては遠すぎるというのが磯部意見有り背景には湖北地方(旧彦根藩中心とした旧犬上県)と湖南地方との対立があったと考えられるまた、明治16年人口比較する大津市18,160人、彦根町21,891人であり彦根町の方が人口が多いという記録もある。 県庁移転建議は、採決結果過半数賛成により可決された。引き続き12月22日開催され臨時県会では、可決済み建議取り消し提案されたが、滋賀県知事大越亨臨時県会決議すべきではないと主張して県会中止命令した背景には、1888年明治21年)に洋風建築庁舎県庁所在地大津市京町)に完成したばかりであったこと及び、大越は、他にも瀬田川鉄橋架設坂田郡東浅井郡合併という課題抱えており、明治25年1月6日開催県議会建議取消し取消しまでもが提案され可決され結果二度目県会中止命令出した結局2月8日内務省権限により県会解散となって県会議員選挙再実施決まり県庁移転問題は一旦立ち消えとなった

※この「滋賀県庁移転」の解説は、「磯部亀吉」の解説の一部です。
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