最晩年の著作物とは? わかりやすく解説

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最晩年の著作物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 04:38 UTC 版)

斎藤喜博」の記事における「最晩年の著作物」の解説

1972年斎藤61歳)、斎藤季刊個人雑誌『開く』(明治図書)を創刊した。これは毎号巻頭盟友上野省策の解説付けた芸術作品口絵載り続けて斎藤の「宿場裏から」というかなり長い連載随筆掲載されその後教師研究者始めとする各界多様な人々論文実践記録随想等々が続く内容豊かな教養雑誌であったこういう個人雑誌商業的に成り立つというところに、当時斎藤著書愛読者がいかに多かったということうかがえる。この『開く』は、斎藤亡くなるまで10年間、順調に29号まで発刊続け斎藤没後追悼号として第30号最終号)が出て終刊した。 また最晩年、病篤い床で、斎藤教授学研究の会の機関誌として『事実創造』という月刊誌発行企画した。これは斎藤意を受けて、横須賀薫ら同研究会中心となる人々刊行向けて努力し斎藤臨終とほとんど同時に創刊号出た。これは、後に発行主体が同会から一書房移り今日でも発行続けられている。

※この「最晩年の著作物」の解説は、「斎藤喜博」の解説の一部です。
「最晩年の著作物」を含む「斎藤喜博」の記事については、「斎藤喜博」の概要を参照ください。

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