旧制高等女学校
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「大阪府立清友高等学校」の記事における「旧制高等女学校」の解説
1941年に私立の清友学園高等女学校として設置された。 設置母体は、大阪府立清水谷高等女学校(現在の大阪府立清水谷高等学校)の同窓会・清友会である。同会は1940年6月13日、清水谷高等女学校の創立40周年記念および紀元二千六百年記念事業として、1941年度に高等女学校を設置することを決めた。当時大阪府下の高等女学校は志願者が殺到して高倍率となっていたことから、入試難を緩和する目的もあった。 学校設置場所は、中河内郡曙川村柏村(現在の八尾市柏村町1丁目63番地)の清水谷高等女学校郊外農園の一角とした。郊外農園は恵我ノ荘(現在の松原市)・山本(現在の八尾市山本地区)と敷地が変遷したのち、1941年に曙川村に移転した。 校舎建設が間に合わなかったため、1941年4月の開校当初は布施市(現在の東大阪市)横沼町3丁目に仮校舎を設置した。1942年9月に校舎が完成し、中河内郡曙川村に移転している。 太平洋戦争に伴い生徒は1944年以降勤労動員されるなどした。1945年には数度にわたり校舎に機銃掃射の被害を受けるなどした。
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旧制高等女学校
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「愛媛県立西条高等学校」の記事における「旧制高等女学校」の解説
1906年(明治39年) - 組合立西条實業女學校を設置。 1908年(明治41年) - 新居郡立實業高等女學校と改称。 1924年(大正13年) - 県立移管、愛媛縣立西条高等女學校となる。
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