山本地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 16:26 UTC 版)
左岸の川下公園(白石区)を過ぎると河道はほぼ一直線に北東へ進む。区境線はこの付近から川の中心となるため、左岸は白石区東米里、右岸は厚別区山本となる。 このあたりはかつては大谷地原野(または厚別原野)と呼ばれる泥炭地で、石狩川、豊平川、厚別川や野津幌川、月寒川、望月寒川などが集中して蛇行する海抜10メートル以下の低湿地帯だった。水はけが悪く定住や農耕に適さず、毎年融雪期にはそれぞれの河川が氾濫し、1ヶ月以上水没する有様だった。このため明治以後も長らく開拓者を寄せ付けなかった。 最初の入植は厚別川流域の他の地域よりもずっと遅く、1908年(明治41年)に小樽から山本久右衛門が土地の払い下げを受けて山本農場を拓いたのが始まりである。山本農場は戦前から私財を投げうって農地解放を行ったことでも知られている。この地域はもともと「本田」地区と呼ばれていたが、二代目の山本厚三の代に累代の開発貢献を認められ「山本」地区へ改称された。
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